チリチリチリと鈴の音が聞こえると、母が帰ってきた合図。これが今も続く「イエの音、家族の音」です。
母は同じような鈴を何個も持っています。赤い紐の付いた根付けの鈴。それをバッグや財布など様々な持ち物に付けて、いつも持ち歩いているのです。ですから、外出すると鈴の音のする場所が母の居場所。子供のころはこれで何度か迷子にならないで済みました。
一時期母は体の具合が優れず、ほとんど外出がままならなかった時がありました。その時は、イエから鈴の音が消えていました。鈴は全て外出時に持ち歩く物に付けられていましたから、外といえば庭に出ることしかなかった時期の母は、それらを手にすることが無かったのです。
今は体の調子が良くなり、買い物も楽々ですし、時にはお仲間と一緒の外出などもしています。帰宅すると、元気良く鈴の音をチリチリさせながら玄関を入ってきます。家族の健康がイエの幸せ。この鈴の音は、わが家の幸福の音です。父は鈴で居場所が分かるなんて猫みたいだなと笑いますが、父もそんな鈴の音を喜んでいるようです。
さて、母が同じような鈴をいくつも持っているのには、わけがありました。私がそれを知ったのは、小学校の高学年のころだったでしょうか。母が財布を持ってやって来て、この鈴、紐が切れても落ちないようにする工夫はないかなと言ってきたんです。
鎖に変えようかとも思ったけれど、やはりこの赤い紐に意味があるから、見た目はこのままで何か工夫できないかなと言うので、うーんと考えて、細いテグスを沿わせたらどうだろう、テグスなら丈夫だし、ちょっと見には目立たないし、紐とテグスを赤い糸でくくっておけば間に物を引っ掛けたりすることも無いと思うよと答えると、それは名案と言って喜んでくれました。そして、この鈴のいきさつを話して聞かせてくれました。
母は若いころ、今持っている物とは違う初代の鈴を、とても大切にしていたそうです。ある意味、お守りのような物だったようです。当時は母恋する乙女で、それに何かの願を掛けていたようでした。
ところがずっとお財布に付けて持ち歩いていたものですから、いつしか紐が擦り切れて弱くなっていたんですね。知らないうちに落としてしまったのだそうです。大切な鈴。それに加えて大切な願いを託していた鈴。それを無くしてしまったのですから、それはもう大変な落ち込みようだったそうです。
そうしたら、それを見かねた友だちが何人も、同じような鈴を見つけては相次いでプレゼントしてくれたのだそうです。それも一人一人別々に、相談し合ったわけでもないのにです。アクセサリー屋さんの袋に入っていた鈴もあれば、何々神宮と書かれた袋に入った本当のお守り鈴もあったそうです。友だちみんながそれぞれ自分の思い当たる場所に足を運んで買ってきてくれた鈴。それらは初代の鈴にも増して、母の宝物になったそうです。
そんないきさつで何個も貯まった鈴。母はそれを今でも友情の証しとして大切にしています。私が進言したテグス作戦の成果か、今も一つも無くさずに持ち続けているようです。今日も母は地域の女性の集まりに出席して、元気良く鈴の音を鳴らしながら帰ってきました。
最近はもう一つ、新しい鈴の音も加わっています。それは自転車に付けられた鈴です。父が自治会の役員になったことから、それに伴って、母も色々な役目で出かけることが多くなりました。その時の足に使う自転車に、新しい鈴が付いたんです。
これは何かというと、歩道を走行する時の安全確保の鈴。2008年の道交法改正から、自転車通行可の歩道のほか、「車道等の状況に照らして自転車の通行の安全を確保するため、歩道を通行することがやむを得ないと認められる場合」にも自転車の歩道内通行が認められるようになりましたが、歩行者としては、どんなに安全運転でゆっくり走ってくれている自転車でも、気付かず横を通られるとドキッとすることがありませんか。
ところが母の場合、バッグなどに鈴を付けているので、その音で歩行者が気付いてくれるんです。それならばと小さな鈴を一個新調。ちょっと頑丈な鎖を付けて、自転車専用のアクセサリーにしたのでした。
この鈴は、自転車交通安全の鈴として、ちょっと町内で流行り始めています。時々歩道内でベルを鳴らして歩行者をどかしながら走っているような自転車を見かけますが、これは道交法違反。法的には自転車のベルは自動車のクラクションと同じ扱いなんです。たとえ子供がやったとしても違反は違反。反則切符を切られるかどうかの問題ではなく、社会のルールの問題です。
先の道交法改正で、13歳未満の子供には「歩道を通行することがやむを得ないと認められる場合」以外でも歩道上通行が認められるようになりましたが、この鈴をそうした対象者にも普及して、それと一緒に交通ルールを教えていくような取り組みは出来ないかなぁと思います。鈴はささやかな音しかしませんから、町中に普及しても、それが迷惑になることはないでしょう。わが家の幸福の音である鈴の音が、交通安全の願いの音になればいいと思います。
チリチリチリと鈴の音が聞こえると、母が帰ってきた合図。これが今も続く「イエの音、家族の音」です。
母は同じような鈴を何個も持っています。赤い紐の付いた根付けの鈴。それをバッグや財布など様々な持ち物に付けて、いつも持ち歩いているのです。ですから、外出すると鈴の音のする場所が母の居場所。子供のころはこれで何度か迷子にならないで済みました。
一時期母は体の具合が優れず、ほとんど外出がままならなかった時がありました。その時は、イエから鈴の音が消えていました。鈴は全て外出時に持ち歩く物に付けられていましたから、外といえば庭に出ることしかなかった時期の母は、それらを手にすることが無かったのです。
今は体の調子が良くなり、買い物も楽々ですし、時にはお仲間と一緒の外出などもしています。帰宅すると、元気良く鈴の音をチリチリさせながら玄関を入ってきます。家族の健康がイエの幸せ。この鈴の音は、わが家の幸福の音です。父は鈴で居場所が分かるなんて猫みたいだなと笑いますが、父もそんな鈴の音を喜んでいるようです。
さて、母が同じような鈴をいくつも持っているのには、わけがありました。私がそれを知ったのは、小学校の高学年のころだったでしょうか。母が財布を持ってやって来て、この鈴、紐が切れても落ちないようにする工夫はないかなと言ってきたんです。
鎖に変えようかとも思ったけれど、やはりこの赤い紐に意味があるから、見た目はこのままで何か工夫できないかなと言うので、うーんと考えて、細いテグスを沿わせたらどうだろう、テグスなら丈夫だし、ちょっと見には目立たないし、紐とテグスを赤い糸でくくっておけば間に物を引っ掛けたりすることも無いと思うよと答えると、それは名案と言って喜んでくれました。そして、この鈴のいきさつを話して聞かせてくれました。
母は若いころ、今持っている物とは違う初代の鈴を、とても大切にしていたそうです。ある意味、お守りのような物だったようです。当時は母恋する乙女で、それに何かの願を掛けていたようでした。
ところがずっとお財布に付けて持ち歩いていたものですから、いつしか紐が擦り切れて弱くなっていたんですね。知らないうちに落としてしまったのだそうです。大切な鈴。それに加えて大切な願いを託していた鈴。それを無くしてしまったのですから、それはもう大変な落ち込みようだったそうです。
そうしたら、それを見かねた友だちが何人も、同じような鈴を見つけては相次いでプレゼントしてくれたのだそうです。それも一人一人別々に、相談し合ったわけでもないのにです。アクセサリー屋さんの袋に入っていた鈴もあれば、何々神宮と書かれた袋に入った本当のお守り鈴もあったそうです。友だちみんながそれぞれ自分の思い当たる場所に足を運んで買ってきてくれた鈴。それらは初代の鈴にも増して、母の宝物になったそうです。
そんないきさつで何個も貯まった鈴。母はそれを今でも友情の証しとして大切にしています。私が進言したテグス作戦の成果か、今も一つも無くさずに持ち続けているようです。今日も母は地域の女性の集まりに出席して、元気良く鈴の音を鳴らしながら帰ってきました。
最近はもう一つ、新しい鈴の音も加わっています。それは自転車に付けられた鈴です。父が自治会の役員になったことから、それに伴って、母も色々な役目で出かけることが多くなりました。その時の足に使う自転車に、新しい鈴が付いたんです。
これは何かというと、歩道を走行する時の安全確保の鈴。2008年の道交法改正から、自転車通行可の歩道のほか、「車道等の状況に照らして自転車の通行の安全を確保するため、歩道を通行することがやむを得ないと認められる場合」にも自転車の歩道内通行が認められるようになりましたが、歩行者としては、どんなに安全運転でゆっくり走ってくれている自転車でも、気付かず横を通られるとドキッとすることがありませんか。
ところが母の場合、バッグなどに鈴を付けているので、その音で歩行者が気付いてくれるんです。それならばと小さな鈴を一個新調。ちょっと頑丈な鎖を付けて、自転車専用のアクセサリーにしたのでした。
この鈴は、自転車交通安全の鈴として、ちょっと町内で流行り始めています。時々歩道内でベルを鳴らして歩行者をどかしながら走っているような自転車を見かけますが、これは道交法違反。法的には自転車のベルは自動車のクラクションと同じ扱いなんです。たとえ子供がやったとしても違反は違反。反則切符を切られるかどうかの問題ではなく、社会のルールの問題です。
先の道交法改正で、13歳未満の子供には「歩道を通行することがやむを得ないと認められる場合」以外でも歩道上通行が認められるようになりましたが、この鈴をそうした対象者にも普及して、それと一緒に交通ルールを教えていくような取り組みは出来ないかなぁと思います。鈴はささやかな音しかしませんから、町中に普及しても、それが迷惑になることはないでしょう。わが家の幸福の音である鈴の音が、交通安全の願いの音になればいいと思います。