関東平野の秩父山地に近い比企丘陵に二ノ宮山があります。
(西側)の秩父山地は200万年ほど前から隆起を続け、東側の丘陵や台地部は沈降して、西部と東部の標高差が維持されたのであれば、秩父山地の土砂が関東平野を埋めていくのはわかるのです。
その埋め方がきれいです。しかし、元が山で谷もあるようなところを、きれいに平野状に埋めて、山頂部だけを残すには膨大な土砂が必要です。関東平野西部を形成するには、相当な山塊がその土砂を供給しなければならないことになります。秩父はそんなに大きな山はありません。秩父の浸食が土砂の供給源であるならば、今よりも遙かに高い山(台地)が必要です。秩父山地の側の隆起が源になったのであれば、その隆起量はどのくらいなのでしょうか。
エベレストなども隆起でできたそうですので、隆起というのは巨大なものの場合があるのはわかりますが、秩父山地の隆起量は、[小山の元になる山頂の浸食形成が終わった時から]何メートルくらいあったと推察されているので しょうか。
簡単に言えば、関東ローム層は火山灰ですので、富士山から飛んできた火山灰によって出来ています。
その下の方の地層では、貝などが見られることから判るとおり、海底の隆起によっています。
http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2005/pr20050426/pr2...
日本海拡大のとき(2000万年~1000万年前)に海が割れてそこに堆積したものが,ここ200万年に日本が圧縮されるようになって,再び地表に出てくるようになった(隆起した)のが比企丘陵や二ノ宮山であり,その山頂は,隆起以降(少なくとも200万年前以降)において,丘陵面が斜面侵食によって削り残されたものと思われます。
以前質問された,大槌島のような「堅く,古い山」の周囲を河川堆積物が埋めているわけではないでしょう。
関東山地の隆起量については,貝塚1998「発達史地形学」やOhmori1978などで見積もりが行われており,正確な数値は忘れましたが,1m/kyr(100-200万年間で1000m)程度の隆起量と推定されています。隆起した量そのままが山地の高さではなく,侵食によって山頂高度は低下します。
済みません。
suppadv さんのご回答は、秩父側に積もった関東ロームが、関東平野側に流れるので賄ったので、
(隆起と沈降の)東西の高低差がそれほどなくても、関東平野のへこみを埋めるのに十分だったろうということでしょうか?
この質問としては、秩父山地の隆起量は、200万年前を基準にしたときに何メートルくらいなのかというつもりなのですが。