「経験そのものだけでは、生徒が何かを学ぶことは可能ではない。
重要なのは、経験を自分のなかで咀嚼し、振り返ることだ」
【文献】
小田勝己(1999)『総合的な学習に適したポートフォリオ学習と評価』学事出版
ご教示いただければ、ありがたいです。
また、上述した記述は、デューイの記述そのものではない可能性もあります。
そこで、上述したデューイの思想の要約(?)の引用元に関する情報も
ご提供いただければありがたいです。
よろしくお願いいたします。
要約 のようなものが掲載されているもの
http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04b1/class08/dewey.htm
http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04b1/class08/post-dewey.htm
参考になるかもしれないQ&A
要約 のようなものが掲載されているもの
http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04b1/class08/dewey.htm
http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04b1/class08/post-dewey.htm
参考になるかもしれないQ&A
いずれのURLも参考になりそうですが、下記の部分は特に参考になります。
教育の役割というのは、子どもたちに社会をつくり直していく力をつけることだと説くデューイの教育論に従えば、
「なすことによって学ぶ」という意味を取り違えることなく、知性を高めるような経験を用意し、
子どもに経験の再構成という学習活動の場を与えていくことが大切である。
経験から学ぶ反省的思考(reflective thinking)の態度を育成することが大事なのであって、
行動の意味との文脈的な連関を欠いた知識の注入・技術の訓練は、教育の本来的な役割ではないと言えよう。
『民主主義と教育』の中で主張しているように、デューイにとって「知性的である」ということは、
「行動できる」ということである。
デューイのいう経験主義というのは、
実際にやってみることを反省的に積み重ねることで目的を実現できる能力が育っていくという立場である。
練習を積み重ねることによって何かができる能力が積み重なっていく。
いかに反省しながら行動していくか。さまざまな失敗や成功経験について反省的に振り返ってみる。
目的は行動によって実現されていく。
デューイは行動し、反省的に思考し、反省的に行うことによって学ぶということの重要性を主張したのである。
ただ、私が知りたいのは、下記のフレーズが一体どこから来たのかということです。
経験そのものだけでは、生徒が何かを学ぶことは可能ではない。
重要なのは、経験を自分のなかで咀嚼し、振り返ることだ
デューイの思想そのものにも、もちろん関心はあります。
しかし、私が知りたいことのメインはデューイの思想の要約ではありません。
とはいえ、ご回答は大変参考になりました。
ありがとうございました。
いずれのURLも参考になりそうですが、下記の部分は特に参考になります。
教育の役割というのは、子どもたちに社会をつくり直していく力をつけることだと説くデューイの教育論に従えば、
「なすことによって学ぶ」という意味を取り違えることなく、知性を高めるような経験を用意し、
子どもに経験の再構成という学習活動の場を与えていくことが大切である。
経験から学ぶ反省的思考(reflective thinking)の態度を育成することが大事なのであって、
行動の意味との文脈的な連関を欠いた知識の注入・技術の訓練は、教育の本来的な役割ではないと言えよう。
『民主主義と教育』の中で主張しているように、デューイにとって「知性的である」ということは、
「行動できる」ということである。
デューイのいう経験主義というのは、
実際にやってみることを反省的に積み重ねることで目的を実現できる能力が育っていくという立場である。
練習を積み重ねることによって何かができる能力が積み重なっていく。
いかに反省しながら行動していくか。さまざまな失敗や成功経験について反省的に振り返ってみる。
目的は行動によって実現されていく。
デューイは行動し、反省的に思考し、反省的に行うことによって学ぶということの重要性を主張したのである。
ただ、私が知りたいのは、下記のフレーズが一体どこから来たのかということです。
経験そのものだけでは、生徒が何かを学ぶことは可能ではない。
重要なのは、経験を自分のなかで咀嚼し、振り返ることだ
デューイの思想そのものにも、もちろん関心はあります。
しかし、私が知りたいことのメインはデューイの思想の要約ではありません。
とはいえ、ご回答は大変参考になりました。
ありがとうございました。