THEME:「わが家と暮らしのなかにある、幸せの色」
“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!
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「Welcome to イエはてな」
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テーマ詳細とアイデア例
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※質問は9月21日(火)正午で終了させていただきます。
姉が習っていたので、ピアノがありました。小学生の時、姉は凄い時間をピアノの練習に費やしていたと思います。自分では到底出来ないと思いながら、曲を聴いていました。
子どものころ、きょうだいがピアノを習っていました。
そのピアノはいまでもイエのすみに置いてあります。
私は、遊びがてらに弾いてみるくらいでしたが…。
上達した人が弾くのをみると、なんともため息が出ましたね。
手を思い切り開いて、そんなに開くのか、という感じです。
手を普段から柔らかくしているのでしょうか。
ファイアー・クラッカーという曲があります。
元はマーティン・デニーという人が作った曲ですが、1978年にYMOがカヴァーして日本でも(当時)有名になりました。
Yellow Magic Orchestra Usa & Yellow Magi
この2つのアルバムに収録されている「ファイアー・クラッカー」、実は、ちょっと音をずらすと「ピアノの黒鍵だけで(ほとんど)弾けてしまう」のです。
もちろん家庭用のキーボードでもOKです。
ピアノがあれば実演してYouTubeにUpするのですが・・・
わが家の幸せの色といったらピアノの色、特に鍵盤の白と黒です。母はピアノが大好きでした。白と黒の鍵盤の上を、母の指が滑るように動いていきます。私はそれを眺めているのが大好きでした。母が天に召されて何年になるでしょう。今はもう、あの時何色の服を着てたっけ、そんなことも思い出せなくなりつつある私ですが、それでもピアノを弾いている母の手は、鮮明に思い出せます。
母は、音楽の専門教育を受けたことはなかったようです。ですからその演奏は、かなり自己流でした。演奏そのものは、今でも母以上のピアニストはアマチュアにはいないだろうと思われるほど素晴らしいものでしたが、でも、ちゃんと先生について習っている人とは、ちょっと運指(指の運び方)が違ったりしていたんです。ほんの一本の指の使い方の違い。そんなのも、はっきりと思い出せます。
『あの時、お母さんはこんなふうに弾いてたよなあ・・・・』
時々思い出して、私も同じことをやってみます。
『あはは、これ、弾きやすいや、母の遺伝子をもらった手には、こっちの方が合うのかもしれない』
目をつぶって、もう一度弾いてみます。瞼の裏にはっきりと、白と黒の鍵盤の上を滑らかに動いていく母の指の映像が浮かんできます。その指は、けっしてすべすべのピアニストの指ではありませんでした。ごく普通の主婦の指。むしろ、肌が弱かった母の指は、普通の主婦より荒れ気味だったと思います。
でも、母はそんな手を、とても大切にしていました。たとえば母は、座布団から立ち上がる時、絶対に手の平を床につけないんです。手を床に突いて体を支える時は、必ず手の平を軽く握ります。実際、それが正しいお作法でもあるのですが、母の場合は理由が違いました。
「楽器を弾く指は神聖なのよ。音楽は神様からの授かり物。その神聖な音楽を奏でる指先は、みだりに足のつく場所に触れさせるべきじゃないの」
「じゃ、音楽家は便所掃除とかできねーじゃん」
「音楽家の指は人を幸せにするためにあるんだから、そういう指の使い方はいいの」
「わっかんねーよ」
・・・・いえ、今ならちゃんと分かります、その心。
母の指は、様々な音楽を奏でました。中でも、ピアノ曲の定番中の定番、「乙女の祈り」が大好きだったようです。好んでそればかりを弾いていたわけではありません。でも、この曲がどんなに好きかは、指の動きで分かりました。他の曲を弾く時と、躍動感が違うんです。
「この曲、好きなの?」
「大好きよ、お母さんと似てるのよ、これ作った人」
後になって知りました。この曲の作曲者は、テクラ・バダジェフスカという、ポーランド生まれの18歳(あるいは17歳とも)の女性。満足な音楽教育を一度も受けることなくこの曲を生み出し、華々しくデビューすることもなく結婚し、母となった人でした。それでもたぐいまれな才能と、音楽を愛する心が、こんな名曲を生み出したんでしょうね。
母の実家は、あまり経済的に恵まれた家ではなかったようです。弾けるピアノといえば学校の音楽室のピアノだけ。そんな中で憶えたこの曲と、そこで知った作曲者の少女の来歴。おそらく母はその時、バダジェフスカのように生涯音楽を愛し続けようと心に誓ったに違いありません。
目を閉じると、今でも艶やかな鍵盤の上に踊る母の指が思い出されます。私も時々弾いてみます。そんな鍵盤の白と黒が、私にとっては最も色鮮やかな幸せの色なのです。