THEME:「やっぱりわが家が一番!と実感した幸せエピソード」
“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿くださいね!
「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731
テーマ詳細とアイデア例
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20110112
※ピックアップ受賞メッセージは、〈みんなの住まい〉サイトにて記事紹介させていただきます。またメッセージは表記統一や文章量の調整をさせていただくことがございます。
※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。投稿期間中ははてなスターのご利用を控えていただけますようお願いいたします。
※質問は1月17日(月)正午で終了させていただきます。
若い頃はあまり料理が出来なかったこともあり、外食の方が好きでした。どこかへ出かけたときも「夕飯は?」と聞かれて「外で食べてくる」とばかり返事をしていたものです。
そんな私が家ご飯を好むようになったのは、母と一緒にパッケージツアーに参加したときのことでした。
旅行といえば私自身、友人と行くときなどは適当に宿などを手配して気ままに現地を歩き回るスタイルでしたが、母はいろんな場所へ連れて行ってくれるパッケイージツアーを好み、私も親孝行のつもりで参加。
ツアーは強行スケジュールではあるものの、荷物の心配はしなくていいし、個人では入れないような施設へ入ることが出来たりとなかなかの優れものです。
とりわけ、心配しなくていいのは食事。
なにしろ、行く先々で昼食の用意があり、朝と夕はもちろん宿でとることができます。
さて、そんな旅行に出かける前の準備のこと。
帰ってきてからの食事をどうするかと留守を預かる妹に聞かれて、母は「家で食べる」といいます。母に限らず、両親は旅行へ出かけたとき帰宅時間が食事に間に合うときにはいつも家で食事をとることにしているのです。
私はといえば、外食で普段家で食べないものを食べるほうがいいなあと思ったのですが、そこは母のお供の役割ですから、いいつけに従うことにしました。
そして出発。旅行先での食事は確か食事の内容は海の幸を中心とした和食がメインだったような記憶があります。
とりわけ私の住んでる地域ではなかなか食べることができないような魚介類などが宿の夕食で出てきて、すっかり堪能しました。
そして、数日の観光を終えて帰宅。
家で待っていたのは今でもはっきり覚えているのですが、鶏肉と白菜玉葱などが入ったクリームシチューでした。
なぜ覚えていたかというとそのときのクリームシチューがものすごく美味しかったからなのです。
妹に聞けば普段と同じクリームシチューであり、特別変わったことはしていません。
となると、数日間旅行先で家とは違う味付けの食事を取り続けて、体が家の味を恋しがっていたのかもしれません。
このときに、なぜ両親が旅行から帰ってきたときに家でごはんを食べるのか、その理由がわかったような気がしました。
家族みんなで出かけたときには流石に作る人に負担がかかるので、外食か惣菜などを買って帰りますが、待ってる人がいる家で、家のごはんを食べる、これが実に美味しいものであることに気が付いた私は、以後、なるべく家でごはんを食べるようになりました。
と、同時に料理も上手ではありませんが、それほど苦にならなくなってます。
なにより、外から帰ってきた人が家の味を楽しんでくれるといいなあと思うようになったから。
大人でも子供でも、遊びに熱中してしまうと、まだイエには帰りたくない、なんて思ってしまうものですね。イエに帰る、イコール楽しい時間の終わり、と考えてしまうんです。
あれは小学生の時。季節は夏休みでした。私達仲良し仲間数人は、まだ日が高いうちから隣町のお祭りに遠征していたんです。隣町といっても線路を挟んだ向こう側ですから、そんなに遠くはありません。ほとんど地元のようなものです。
そのお祭りは、付近一帯を通行止めにして、道の両側にたくさんの露店が並ぶ、なかなか大規模なものでした。大きな通りだけでなく、脇道にも露店が並んでいますから、私達はあっちの道、こっちの道と探検気分で走り回りました。たこ焼きも食べたしラムネも飲んだし、ハズレしか出なかったけどクジも引いたし。御神輿も見たし、山車の行列の後にもついて回って、私達は大満足でした。
でも、子供の楽しみはまだまだ終わりません。一通り回るだけ回ったら、今度は知り合い探しです。
「お、あれ、隣の組のやつらじゃね?」
「ほんとだ、おーい!!」
普段は話をしたこともないような同級生でも、こういう所で出会えば大の仲良しです。新たな友達と出会うたびに、一緒にぐるっともう一周。こんなことを繰り返していると、いくら時間があっても足りません。お囃子や太鼓の音。活気のある人波。私達は時間の経つのも忘れて遊び回っていました。
でも、もっとここで遊んでいたいという私達の願いとは裏腹に、宵闇は確実に近付いてきます。学校の腕章を付けた先生や保護者会の人達が、すれ違う子供達に「そろそろ帰る時間だぞ、もっと楽しみたい人は一旦帰って、改めて大人の人に連れてきてもらうこと」などと声をかけて回っています。私達も呼び止められて注意を受けました。「はーい、今帰る所でーす」と答えましたが、心はもっと遊んでいたい気持ちで一杯でした。
帰り道で、浴衣姿の女子とすれ違いました。お父さんと一緒です。親子で楽しそうにお祭りに向かっています。「俺もあとでお父さんともう一度来よう」「俺も俺も」。友達はみんな口々にそう言っていましたが、私はその日、父の帰りが遅いことを知っていました。母もあまり体が丈夫ではないので、人混みに連れて行ってもらうのは望み薄です。仕方ないか・・・・。私はちょっと重い足取りでの帰り道でした。
「ただいまー」「お帰りなさい、お祭り、楽しかった?」。母が明るく迎えてくれました。私も努めて明るく「うん、向こうでもいっぱい友達に会ってさあ」などと昼間あったことを色々話しましたが、心の中では、『もう一回お祭りに行きたいなあ、見たいなあ、夜のお祭り・・・・』、そんなことばかり考えていました。
「夕ご飯食べられる?」
「うん、昼間たこ焼き一皿食べただけだからお腹空いた」
「たこ焼きだけかあ。じゃ、夕ご飯は焼きそばにしようか。お祭りみたいにマヨネーズかけ放題」
「あ、いいね!!」
ソースの焦げる、いい香りがしてきました。お祭りの匂いです。
「青海苔もかける?」
「かけるかける」
「はい、お客さん、500万円」
「た、高い~」
話にも花が咲きます。私が今日見てきたばかりのお祭りのこと。そして母が子供の頃に体験したお祭りの話。とりわけ母の子供時代の話は楽しいものでした。今はあまり見られないバナナのたたき売りや、わけの分からない品物を口上たくみに売り捌く寅さんみたいな人の話など。私はまるで二つ目のお祭りを回っているような気持ちで聞き入っていました。イエに帰ればいつもの日常。楽しかった時間はもう終わり。そう考えていた私には、思いがけない楽しい夕食になりました。
時計の針が夜9時に近付きます。そろそろお祭りも終わる時刻。父が帰ってきました。手には大きな袋の花火セットをぶら下げています。
「ちょっと時間遅いけど、これ、やらないか?」
「やるやる!!」
母も出てきて、さっそく庭で花火大会が始まりました。イエがこんなに楽しいお祭りの続きになるなんて。私は今、誰よりも楽しいお祭りの夜を過ごしています。赤や緑の美しい光。匂い立つ夏の香り。私はもう、はしゃぎまくりでした。
線香花火が始まると、そろそろ花火も終盤です。
「いつか、家族みんなでお祭り、行こうな」
父がぽつりとつぶやくように言いました。母がコクリとうなずきました。私は何だか瞼が熱くなってしまって、目をゴシゴシとこすりました。父に見られたので、煙い~と誤魔化しました。みんなの笑い声が上がりました。やっぱりイエが一番です!!
不思議なものですよね。
ストレス発散、気分転換、日常からの解放などで旅行へ行くものですが、不思議な事に旅行から帰ってきて家についた途端、毎回思うのです。
「あーやっぱりここだな。ここが一番落ち着く。」
非日常を求めて、いつもの場所から離れたくて旅行へ行くのに。
それなのに帰ってくるとまたその家に安心を感じてしまうものです。
普段一緒に生活していると家族が煩わしいと感じる時もあるものです。
けれど少し離れてみるとやっぱり寂しい。
いつも見慣れている顔ぶれに会えない日々というのは心の中にぽっかりと穴があいたような気持ちになるのです。
笑い声から怒り声。やっぱり聞きなれた声に囲まれていないと落ち着きません。
毎日当たり前のように過ごしていると、家族の存在がどうしても当たり前に感じてしまいます。
それゆえに、有難みを忘れます。
その存在がどれだけ自分が生きて行く上で支えとなり基盤となっているかを。
当たり前のように一緒に目を覚まし、当たり前のように一緒に食事し、当たり前のように眠りに就く。
でもこれって本当に当たり前でしょうか?
明日が当たり前に来るとは限りません。
もし来なかったらきっと後悔します。
何故なら大事な人たちの存在を大事だと認識する力が不足しているからです。
旅行へ行くとこれを毎回感じます。
一人静かに過ごしていると妙にもの寂しい。
家に帰って我が家のにおいを感じると安心する。
ありがとう。
いつも一緒に居てくれて、過ごしてくれて。支えてくれて。
私は、今は結婚していますが、一人暮らしをしていた時期も結構ありました。
一人暮らしの時、冬の夕方、薄暗くなり始めた街を歩いていると、どこからともなく「晩ご飯の支度の匂い」がただよってきます。
それが、どうも苦手でした。
その匂いをかぐと、淋しく、人恋しく、心細くなってしまうのです。
テレビの音なんかも、ちょっと「ぐっとくる」ものがありました。
今は「早く帰って我が家の匂いに浸ろう!」と思うので、大丈夫になりました。
帰る場所がある、家族がいるというのは、有り難いものです。
家族みんながそろって、食卓を囲むことができたときはうれしいですよね。
ただそれだけで、ほっとします。
そのうえで、あたたかいお料理をいただくことができれば、もうそれは至福のときですよね。
こうした時間はできるだけ多くつくるようにして、そして大切にしていきたいものです。
早く帰れば、喜んでくれる笑顔
遅く帰っても、可愛い寝顔
毎日楽しいです。
コタツって、何だか距離が近くなったようで、すごく暖かいですよね。
我が家も昔はコタツを出していたのですが、祖母が足を悪くし、イスにしか座れなくなったのと、コタツ布団でつまづく危険性が出てきたので、撤去されてしまいました(^^;
仲良し夫婦のご様子で、とってもうらやましいです。
>それには栄養のバランスが大切ですね。
>栄養食品サブリが良いからといってそればかり摂取しては駄目でやはり栄養のバランスですね。
>この”いえはてな”でも回答がある様に5色の食材をバランス良く摂取した方が健康の安定になります。
そうですね。きちんと大地で元気に育ったものをいただく。
これってすごく重要だと感じます。
あとは、やっぱりみんなで楽しく食べることですよね。
>この”いえはてな”での知識で家族等の健康を保って下さいね。
>お母さんとお祖母さんの健康の為にご活用下さいね。
>長命を祈っていますよ!
ありがとうございます!
そうなんですか?
高齢者は貴重な存在です。
出来るだけ長命である事を願います。
それには栄養のバランスが大切ですね。
栄養食品サブリが良いからといってそればかり摂取しては駄目でやはり栄養のバランスですね。
この”いえはてな”でも回答がある様に5色の食材をバランス良く摂取した方が健康の安定になります。
この”いえはてな”での知識で家族等の健康を保って下さいね。
お母さんとお祖母さんの健康の為にご活用下さいね。
長命を祈っていますよ!
玄関に入り、楽な格好に着替えて、炬燵に入って夕食を家内と食べる時は色々とホッとします。
あと、実家を久々に訪れた時の雰囲気も似たような温かさを持っていると思います。
最近は”核家族”化して家族が少ない家庭が多くなりました。
お正月とかお盆のお墓参りで帰省して家族親戚での会食は楽しいものですね。
やっぱり食事は大勢で豪華にした方が美味しく食べれますね。
それがペットとの食事でも言えますね。
ペットももう立派な家族の一員。
一緒に食事出来る事は幸せを感じるそうです。
大勢の家族親戚そしてペットと共に食事出来る事に感謝しましょう!
感謝する事で再び次の出会いが待っています!
次の出会い食事の場面はどんな場面が演出されるのか楽しみですね。
一人での美味しく感じない食事でも自分が多役をして大勢で食事する場面を演出しましょう。
一人芝居の食事場面も楽しいものですよ。
返信、ありがとうございます。
確かに、おっしゃる通りですね。私の実家は、母と祖母が一緒に住んでいます。私が子供の時から祖母がそこにいるのが当たり前で、その何とも言えない暖かさは、離れてみてあらためて感じました。
もうだいぶ高齢ですが、今でも元気いっぱいです。祖母がいなくなってしまう…というのは、今はまだ考えられないですね。まだまだ元気に長生きしてほしいです。
中には、高齢者が一人ぼっちで寂しく暮らしている方も多いので、そう考えると我が家は幸せだと思います。
家庭家族の暖かさは、親の代だけではなく、祖父母の代も抜きには考えられないですね。
帰宅してきた時の気持ちは玄関に入った時に決まりますね。
家族の暖かい出迎えと共に暖ったかい空気が漂う雰囲気は安堵感が漂います。
この帰宅した時の雰囲気は高齢者が自宅で留守番しているだけで醸し出されますね。
高齢者が自宅で留守番しているといつも暖かい空気が漂っていますが、高齢者が亡くなると急に寂しく悲しく冷たい空気が漂いますね。
高齢者も家庭を守る重要な役目を担っている事が判ります。
やはり高齢者といっても家族の一員はそれぞれの役目を持っているもの。
これは高齢者が存命の時は感じないのですが、高齢者が亡くなると同時に認識されるそうです。
家庭家族の暖かさを必要とするなら高齢者も大切にしたいですね。
疲れて帰ってきて、ドアを開けたときに「おかえり~」の声と共に流れてくる、暖かい空気。
そして出てくる、暖かいご飯。
ほっとして、やっぱり家が一番だなぁと思います。
一人暮しが長いので、年々更に、ありがたみを感じます。
年末年始。家族そろって食卓を囲む時が何度かありました
それは、ケーキを切り分けたり、オードブルのお寿司を食べたり
チキンを食べたり・。。色々
最近は、家族、それぞれの生活リズムが違うこともあり
みんなでそろって食べることは珍しいことになってしまったのですが
やっぱり家族がそろって何かを食べるというのはいいですね
食事するだけでなく
そこにおしゃべりもはいってくるからにぎやかにもなるし・・
日ごろもできるだけ(全員は無理でも)
複数で食べるような食事にしたいものです
大病をして3ヶ月くらい入院した時がありました。病院食はおいしいけれど、やっぱり母の味が恋しくなりました。大部屋だったので就寝時間以降のテレビ番組も見られません。
そしてなによりも猫!会いたいと言ったら写真を持ってきてくれましたが、やっぱり猫を抱いてほっこりしたいです。
退院して家に帰ってまずしたことは猫を抱き締めることでした。そして母の手料理!好物なものばかりでした。
寝なれたベッドにもぐりこんだ時、「我が家だなぁ」と思いその晩はゆっくりと寝ました。