チョムスキーは「現代言語学の基礎」(大修館、1972)で、以下のように述べています。
「文法はwell- formedな文の無限集合を特定し、その一つ一つに対して一つかそれ以上の構造記述を付与するデバイスである。
おそらくそのようなデバイスを生成文法と呼ぶことが出来るだろう。
そしてそれは、原理的には、中核的統語部門、音韻部門、そして意味部門を内包するはずである」
デバイスというのは脳の特定の部位のことを指すのでしょうか。
しかし、中核的統語はブロカ野、音韻は発声器官運動制御、意味はウェルニッケ野と記憶領域
の相互作用と考えると、独立した単体のデバイスの作用とは思えません。
この点について、チョムスキーやチョムスキアンは何か議論をしていないでしょうか。
ここでいうデバイスとは脳の特定の部位その他の生理学的なものを指しません。機能とでも訳すべき内容です。
ここで「……するデバイス」とイコールで結ばれているのは「文法」です。
ここでキーワードになるのは、チョムスキーによる「普遍文法」という概念です。
人間にはもともと生まれつき普遍的に持っている文法生成・理解能力がある、それによって無限ともいえる数の新しく生成された文の意味を理解することができるのだ、という考え方で、UG(Universal Grammer)と表記されることもあります。
前の質問と合わせて回答しますと、チョムスキーはこの普遍文法に基づいて作られる生成文法の仕組みを考えることで、それを解決できるのではないか、と考えたわけです。
中核的統語はブロカ野、音韻は発声器官運動制御、意味はウェルニッケ野と記憶領域
と書かれていますが、これはあまりにも限定・分割しすぎです。音声学的には発声器官運動制御と言えなくもないですが、音韻論となると「どの音とどの音を同じとし、どれを違うと区別する」といった認知作用が必要です。したがって、脳のどの部位というような発想から一度離れ、デバイスを「仕組み」とか「法則」とか「ルール」とか「システム」に置き換えて理解されることをおすすめします。
Chomskian には他にどういう方がいらっしゃるか知りませんが、
Chomsky自身や、学生時代から一応のChomskianである私
(卒論はContext Free Grammarとか。。。)としては、
「生成文法」というデバイスを考えるとき、
人間の脳の働きはブラックボックスで、立ち入らないものです。
ちょうど、「自動車を運転して、ある地点から別の地点に行く」
のに、ハンドル、アクセル、ブレーキ、ときにはヘッドライトとか
ワイパーの機能を理解して運転しますが、「内燃エンジンに
おいてガスの燃焼がどうで、排気ガスがどう出るか」などは
意識しないのと似たようなことでしょう。それらはブラックボックスです。
なお、私は論理畑ですから、もっぱらwell-formedな記号操作を扱い
ましたが、人間よりの言語学者からは、「そもそもwell-formedなどと
いうことをいっているようでは、人間の言語は分からないのだ」といった
批判もあったようです。
sibazyunさん、ありがとうございます。
な~るほど、ブラックボックス扱いでしたか。
そもそもそれについて考えるという選択肢がないわけですね。
それは行動主義心理学が主流であるアメリカならではということでしょうか
脳生理学や生理心理学とは一線を画すわけですね
他の人間よりの言語学者も、ブラックボックスとして脳の中身や文法・概念の成立については考えないという立場なわけだ。
なんとなく進化論を認めない原理主義者たちに近いように感じました
ありがとうございました
なるほど、デバイスは、脳の全体システムとしてもっている機能といった感じになるのでしょうか。
でも、できれば分けてみたくなりますね。
とくに発話と聴覚とは、別々に扱いながら。
そうしないと、「生成文法」ということの意味は、「脳は文法をもっている」という意味だということになりかねませんから
先行研究はいろいろありそうですね
http://www.springerlink.com/content/w5232325g54j2792/