厚みと広さがあり、野趣溢れるいい板が手に入りました。いわゆる耳付き。耳付きとは、自然の丸太の縁がそのまま付いている状態のことです。製材してからだいぶ放置されていたようで、表面をカンナで仕上げても、ちょっとシミが残っていました。でも、いい板です。さっそく脚を付けて座卓にしてみました。存在感のある、立派なテーブルが出来上がりました。
シミを目立たなくするには、少し濃いめの着色をする方法が考えられますが、せっかくの自作テーブルですから、糠袋で少しずつ仕上げていくことにしてみました。昔の家の柱などの重厚な色。あれを目指します。
とは言っても、現代生活では糠袋など使いませんから、そもそも作り方が分かりません。ネットでざっと調べてみても、美容に使う糠袋の話ばかりでした。親戚の人に聞いてみても子供の頃に見た程度とのことで、詳しい話は分かりません。そこで、推測の自己流でやってみることにしました。
まず糠は、当然の事ながら塩分の含まれない物を使います。市販の漬物用はほぼダメですね。そこで、無人精米所でもらえる糠を使うことにしました。でも、生の糠は意外に水分が多い感じです。そこで、「煎り糠」という言葉を思い出して煎って使おうと思ったのですが、そうだ、油脂は加熱すると酸化するんだったと気が付きました。米糠にはライスオイルがたっぷりです。軽く大気に曝すくらいなら大丈夫かと考えて、ざっと干して使ってみることにしました。袋はサラシで作りました。
さっそく手作り糠袋で木を磨いてみることにしました。擦っていると、だんだん糠の油脂が布にしみ出してきます。かといってワックスを塗布するほど、べちゃっとは出てきません。糠袋磨きは、油脂を木材に染み込ませることよりも、布で磨き上げることの方がメインなのですね。
しかし、半年、一年と磨き続けているうちに、だんだん木の表面の色が深みを帯びてきました。木は日焼けしますから、それもあったのかもしれません。でも、だんだん年季が入ってきた感じで、落ち着いた色合いになってきました。
実は、この話はもう十年も前のことなのです。まだまだ古民家の柱の色には全く及びませんが、最近は本当にいい色になってきました。磨いて磨いて、磨き続けていますから、表面の艶も素晴らしい物があります。こうして年月をかけていくと、木材は切られてから後も育っていくんだなぁと思います。生物学的な成長とは違います。物理的にも本当は劣化なのかもしれませんが、暮らしを彩る道具としては、年月をへるごとに完成度が高まっていきます。
イエはてなの本『リブ・ラブ・サプリ――今日できるいいコト、365日暮らしのサプリ』の帯に、「理想の暮らしはプチハッピーのミルフィーユ」(小山薫堂さん)という言葉がありますが、こういう暮らしの彩り方は、本当に「プチハッピーのミルフィーユ」だと思うのです。
時には磨くことが楽しくて仕方がないこともあります。時にはあまりに嬉しすぎることがあって、その喜びをどう表現したらいいか分からなくて、テーブルでも磨くか、なんてやっていることもあります。もちろん時には、悩みや悲しみを紛らわしたくて磨いている時もあります。そんな、笑顔も泣き顔も全て積み重ねて有るのが「今」という時、そして今の木の風合いです。その今を幸せだと思えるなら、そして磨き込んだ木が美しいと感じられるなら、涙も含めたあらゆる時間の積み重ねが「プチハッピーのミルフィーユ」なのですよね。
そんな時間を、糠袋に託して塗り込んでいく。木という素材が、自分という人間の熟成と共に歩んでくれる。そういう暮らしの道具に彩られた部屋は、安らぎに満ちています。
皆さんもぜひ、木を糠袋で磨いてみませんか。もちろん糠は食品の一種ですから、磨くための糠袋も、そんなに長持ちはしません。糠はこまめに換えていきます。それがまた、人間として落ち着いてきても常に新鮮な感性は持ち続けていたいという、人生訓のような語りかけとなって心に響いてくるのです。
なんてちょっと精神論になってしまいましたが、ワックス仕上げともステイン仕上げとも違う、自然の糠が醸し出す色合いには、何とも言えない味わいがあります。以上、自然素材と時間が彩ってくれる部屋作りの一端をご紹介してみました。
厚みと広さがあり、野趣溢れるいい板が手に入りました。いわゆる耳付き。耳付きとは、自然の丸太の縁がそのまま付いている状態のことです。製材してからだいぶ放置されていたようで、表面をカンナで仕上げても、ちょっとシミが残っていました。でも、いい板です。さっそく脚を付けて座卓にしてみました。存在感のある、立派なテーブルが出来上がりました。
シミを目立たなくするには、少し濃いめの着色をする方法が考えられますが、せっかくの自作テーブルですから、糠袋で少しずつ仕上げていくことにしてみました。昔の家の柱などの重厚な色。あれを目指します。
とは言っても、現代生活では糠袋など使いませんから、そもそも作り方が分かりません。ネットでざっと調べてみても、美容に使う糠袋の話ばかりでした。親戚の人に聞いてみても子供の頃に見た程度とのことで、詳しい話は分かりません。そこで、推測の自己流でやってみることにしました。
まず糠は、当然の事ながら塩分の含まれない物を使います。市販の漬物用はほぼダメですね。そこで、無人精米所でもらえる糠を使うことにしました。でも、生の糠は意外に水分が多い感じです。そこで、「煎り糠」という言葉を思い出して煎って使おうと思ったのですが、そうだ、油脂は加熱すると酸化するんだったと気が付きました。米糠にはライスオイルがたっぷりです。軽く大気に曝すくらいなら大丈夫かと考えて、ざっと干して使ってみることにしました。袋はサラシで作りました。
さっそく手作り糠袋で木を磨いてみることにしました。擦っていると、だんだん糠の油脂が布にしみ出してきます。かといってワックスを塗布するほど、べちゃっとは出てきません。糠袋磨きは、油脂を木材に染み込ませることよりも、布で磨き上げることの方がメインなのですね。
しかし、半年、一年と磨き続けているうちに、だんだん木の表面の色が深みを帯びてきました。木は日焼けしますから、それもあったのかもしれません。でも、だんだん年季が入ってきた感じで、落ち着いた色合いになってきました。
実は、この話はもう十年も前のことなのです。まだまだ古民家の柱の色には全く及びませんが、最近は本当にいい色になってきました。磨いて磨いて、磨き続けていますから、表面の艶も素晴らしい物があります。こうして年月をかけていくと、木材は切られてから後も育っていくんだなぁと思います。生物学的な成長とは違います。物理的にも本当は劣化なのかもしれませんが、暮らしを彩る道具としては、年月をへるごとに完成度が高まっていきます。
イエはてなの本『リブ・ラブ・サプリ――今日できるいいコト、365日暮らしのサプリ』の帯に、「理想の暮らしはプチハッピーのミルフィーユ」(小山薫堂さん)という言葉がありますが、こういう暮らしの彩り方は、本当に「プチハッピーのミルフィーユ」だと思うのです。
時には磨くことが楽しくて仕方がないこともあります。時にはあまりに嬉しすぎることがあって、その喜びをどう表現したらいいか分からなくて、テーブルでも磨くか、なんてやっていることもあります。もちろん時には、悩みや悲しみを紛らわしたくて磨いている時もあります。そんな、笑顔も泣き顔も全て積み重ねて有るのが「今」という時、そして今の木の風合いです。その今を幸せだと思えるなら、そして磨き込んだ木が美しいと感じられるなら、涙も含めたあらゆる時間の積み重ねが「プチハッピーのミルフィーユ」なのですよね。
そんな時間を、糠袋に託して塗り込んでいく。木という素材が、自分という人間の熟成と共に歩んでくれる。そういう暮らしの道具に彩られた部屋は、安らぎに満ちています。
皆さんもぜひ、木を糠袋で磨いてみませんか。もちろん糠は食品の一種ですから、磨くための糠袋も、そんなに長持ちはしません。糠はこまめに換えていきます。それがまた、人間として落ち着いてきても常に新鮮な感性は持ち続けていたいという、人生訓のような語りかけとなって心に響いてくるのです。
なんてちょっと精神論になってしまいましたが、ワックス仕上げともステイン仕上げとも違う、自然の糠が醸し出す色合いには、何とも言えない味わいがあります。以上、自然素材と時間が彩ってくれる部屋作りの一端をご紹介してみました。