字(あざな)のことですね。
現在は分かりませんが、中国人は個人に特有の名として姓(氏)と諱:いみな(名)と字(あざな)の三つの要素を持っていました。
分かりやすいのが三国志にも登場する諸葛孔明で、諱は亮です。
ですからこの呼び方は姓(氏)+字(あざな)なのです。
どうして諸葛亮とはあまり呼ばれないのかというと、
諱:いみな(名)というのは親や主君など目上の者が読んでもいい名であり、
それ以外は失礼になるので、普段、一般的に名乗るのは氏+字でした。
特に成人してからは字(あざな)を呼ぶのが慣例のようでした。
ただし、故人においては姓+諱という表記の仕方をされています。
#wikipediaでも諸葛亮として記載されています。
ただ、姓+諱+字という表記は不自然な表現(失礼になる場合もある)になるので、
諸葛亮とはいっても諸葛亮孔明とは表記はしません。
日本人の感覚だと幼名を読んでもいいのは親や主君や乳母で
それ以外は無礼になるのと少し似ているかもしれません。
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~asuda/kishida/kango100.htm
浅田次郎『蒼穹の昴』第七章(講談社文庫)に次のようなくだりがある。
「少荃(シャオチェン)?……」
槍の穂先を咽元(のどもと)に突きつけられて、栄禄は失禁した。
「汝のような下郎に字(あざな)を呼ばれるいわれはない」
「閣下……李鴻章(りイホンチャン)閣下……」
中国人は名と字(あざな)を持っていた。たとえば孔子の名は丘、字は仲尼という。現在はもうつけなくなっているだろうが毛沢東も潤之という字を持っていた。名は生れた時につけられるが、字は二十歳の成人式につけられた。女性の場合は婚約を期につけられたという。 名は本人が自称に用いるか、あるいは目上の者から呼ばれる場合に使われた。目下の者が目上の者の名を呼ぶのはたいへん失礼なことで、必ず字(あざな)で呼んだ。つまり字(あざな)は敬意をこめた呼称なのである。
『論語』を読むとそのことがよくわかる。孔子は弟子である仲由という人物をその名の由(ゆう)で呼ぶ。しかし、地の文では「子路(しろ)曰く」などと字(あざな)の子路を用いている。これは『論語』が孔子の孫弟子たちの手によって成ったため、編纂者たちが敬意をはらって子路と書いたのである。木村英一訳注『論語』(講談社文庫)では「子路さん」や「子貢さん」と、字(あざな)にはみな「さん」をつけていて、字(あざな)の意味合いがわかりやすい。
上にあげた『蒼穹の昴』の例でいうと、ここは「鴻章」と呼ばれた李鴻章が「汝のような下郎に名で呼ばれるいわれはない」と怒るのでなければならない。浅田次郎氏は字を親しい者や目下に使う呼称、いわば愛称や「あだな」のようなものと思っているのではないか。同じく第七章に占い師の老婆が「とうとう慰庭めが上に破軍の星が回座した。慰庭は国を滅ぼす」という場面がある。慰庭は袁世凱の字(あざな)である。字(あざな)が敬称であることを知っていれば、「慰庭めが」といわず「世凱めが」となるであろう。
宮城谷昌光『史記の風景』(新潮文庫)の「名とあざな」の章では「本名は家族のなかでつかい、あざなは対外的につかう」とあるが、これもおかしい。本名は外でも用いるし、家族間でも字は使う。年齢や身分の上下関係こそが要点なのである。(2007/7/18)
字(あざな)のことですね。
現在は分かりませんが、中国人は個人に特有の名として姓(氏)と諱:いみな(名)と字(あざな)の三つの要素を持っていました。
分かりやすいのが三国志にも登場する諸葛孔明で、諱は亮です。
ですからこの呼び方は姓(氏)+字(あざな)なのです。
どうして諸葛亮とはあまり呼ばれないのかというと、
諱:いみな(名)というのは親や主君など目上の者が読んでもいい名であり、
それ以外は失礼になるので、普段、一般的に名乗るのは氏+字でした。
特に成人してからは字(あざな)を呼ぶのが慣例のようでした。
ただし、故人においては姓+諱という表記の仕方をされています。
#wikipediaでも諸葛亮として記載されています。
ただ、姓+諱+字という表記は不自然な表現(失礼になる場合もある)になるので、
諸葛亮とはいっても諸葛亮孔明とは表記はしません。
日本人の感覚だと幼名を読んでもいいのは親や主君や乳母で
それ以外は無礼になるのと少し似ているかもしれません。
コメント(1件)