THEME:「家族と友達と、イエで過ごした夏の思い出」
“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿くださいね!
「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731
テーマ詳細とアイデア例
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※回答欄には、1行目に「 」をつけて、メッセージのタイトルをご記入ください。
※ピックアップ受賞メッセージは、〈みんなの住まい〉サイトにて記事紹介させていただきます。
※回答欄のはてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。投稿期間中は回答欄のスターのご利用を控えていただけますようお願いいたします。
お盆の頃、毎年、家族で田舎へ帰郷しました
祖母が蚊帳を吊ってくれて、そのなかで弟と寝転がります
その日は夏祭りで
夜遅くまで起きていなくてはならないので昼寝をします
祖母が団扇であおいでくれるんですが
それがなくても、裏山から吹いてくる風が心地よいです
夜になると神社の境内で夏祭りがはじまります
小さいけど打ち上げ花火もあります
大人たちはお酒を飲んで御神輿を担ぎます
子どもたちは夜店で買い食いです
楽しかった田舎のイエでの夏休み
たいした話ではないのですが、昔よく母親や兄弟で、縁側はないですが、風鈴が聞こえる側で、すいかをよく食べていましたね。
今はあまり食べなくなりましたけど^^
村というか小さな町だったので、村の子供と何日も夏祭りに明け暮れて遊んでいた気がします。いい時代でしたね。
「庭でのラジオ体操」
いまは亡き祖父の家で夏休みにラジオ体操をしました。
祖父はアパートを経営していて、5家族が住んでいました。
夏休みに帰省しては、毎朝そこの子どもたちと一緒にラジオ体操をしていました。
すごく家族のような雰囲気のする夏休みでした。
「海外コメディに笑った夏休みw」
ほんの少し前に教育TVで何度目かの再放送があったTV番組アルフですが
今回の再放送ではなく
初めて見た時、夏休みにはこれをみて兄弟で一緒に笑った記憶があります
所さんと小松さんの声の名演技に一緒に笑ったな・・という。
今は、めったに一緒にTVをみる事なんてないので
一緒に同じTV番組をみて楽しんだのはいい思い出になってますね
(それについて話す事も含めて)
「家でアイスクリーム作り」
夏場になると子供の頃はもう毎日毎日というくらいアイスクリームを食べていた気がします^^;
アイスは一日一本までよ!!!
なんてお母さんに幾度となく言われ、あーいつの日かこれでもかってくらいにアイスクリームを沢山食べてみたいなんていう淡い夢を持ったものでした。
そんなある日、母が”リーベンデール”というアイスクリームを家族分買ってきてくれました。
そうそうこのアイスです!
http://www.eatsmart.jp/do/caloriecheck/detail/param/foodCode/9901550000024/rowNum/0
もう、ちまたでは見なくなってしまったのですがネットに画像がありました↑
大きなカップアイスを母が、家族分買ってきてくれたのです。
母はバニラ、兄弟にはチョコ、私にはストロベリー。
これだけ大きなサイズに初めてスプーンをさした瞬間はもう感動です。
食べても食べても底が見える事のない幸せさ。
なんていいながら、少しずつ食べて行こうと思ったのに、ものの2回に分けた程度で食べ終えてしまった。
一度食べだしたら止まらず一気食いしてしまう始末^^;
子供の頃は自分で好きなだけこうして食べたいものを買うなんていうことは出来なかったので、手にした時は欲望が止まらないものですね。
これはもう10年以上前の過去の話です。
そして最近の出来事。
丁度小さないとこが我が家へ遊びに来て、夏のひとときを一緒に過ごしていた時でした。
母がこんな提案をしました。
「皆でアイスクリームを作ってみようか!?」
え!??アイスって自分で作れるの?なんてビックリしました。
アイスといえば買ってくるもの。
ケーキやプリンは手作り出来るのは解るけれど、シャーベットならまだしも、アイスクリームって自分で作れるの?なんて驚きました。
すかさず母はこう言いました。
「この夏、アイスクリーム作りにチャレンジして、それをAちゃん(いとこの名前)、自由研究として出したらどう?」
そっかー!大好きなものを作って食べられる上に、宿題も出来ちゃうという二度美味しい話。
私も凄く興味があったので母と私といとこの3人でやってみようということになりました。
早速材料を購入し、準備を始めました。
材料は、生クリーム、卵、砂糖、この3つです。
まずは卵白だけを泡立てます。
次に別のボウルにて生クリームを泡立てます。
次にまた別のボウルで卵黄と砂糖を合わせたものを泡立てます。
そしてこれらをすべて一緒に更に混ぜ合わせます。
ここに少しだけバニラエッセンスを加え、全体を混ぜます。
そして容器に移し替え、冷凍庫へ。
ときどき冷凍庫から出して少し混ぜ、空気を含ませて、また冷凍庫へ。
これを何度か繰り返します。
そして出来あがり♪
早速たべてみると……
美味しいーーーー
私もいとこも感動しました。
むしろ、市販のバニラアイスより美味しいんです。
生クリーム100%なので濃厚。
添加物が一切入ってないのも安心ですよね。
それに、材料費も安いので買ってくるより経済的。
生クリームはお好みで植物性にしたり、豆乳生クリームにしたり、チョコレートのホイップクリームにしても美味しいかも。
抹茶を加えれば抹茶アイスにもなるし、アレンジしやすいですね。
たっぷり作ったアイスは、そのまま食べた後、次にクッキーに挟んで食べ、そして最後にはコーラの上にのせてコーラフロートにして贅沢に食べたりもしました。
とにかく面白かったです。
当たり前のように食べている嗜好品をこうして自分で作ってみるっていうのも面白いです。
こんな材料で、こんな工程で、こういう風に出来あがるんだーという感動があったりします。
夏ならではの家での楽しい過ごし方、是非お時間あるときにでもやってみてください^^
「集結・実家でお盆」
お盆になると、イエでガヤガヤしたり祭りでガヤガヤしたり、とにかくガヤガヤ日和。
僕の家では、3家族ぐらいが実家に集結し、ガヤガヤです。
同じぐらいの年齢の人たちとゲームやスポーツでガヤガヤ
食事するときにガヤガヤな食事。
イエのテレビでガヤガヤ団欒。
そんなことしているうちに「スイカ割しましょうよ」の声
やっぱガヤガヤ。
目隠しをしてぐるぐる回ってさてスタート!
あっち行ってこっち行って
パコン・・・
・・・割れました。
割ったスイカはみんなでガヤガヤしながら一個しっかり食べました。
こんな夏でした。
夏休みに、子供の友達が何人も来て、狭い部屋でみんなで泊まっていったりしたのが懐かしいです。
枕投げをしたり、怪談大会になったり、花火大会になったり、やはりみんなでワイワイというのが、夏休みという感じがして良いですね。
「家庭菜園収穫史」
我が家の夏といえば家庭菜園で取れる夏野菜の収穫、そしてそれを家族でいただく楽しみです。
定番はナスにトマトにキュウリ、インゲン、そして場所があればピーマン、シシトウなども加わります。さらに花畑を野菜畑に変えてからは、葉物野菜も植えるようになったので、夏の間は地産地消ではありませんけれども、家の野菜で食卓がにぎわいます。
そんななかで、印象に残ったできごとをいくつか。
1、インゲンの初挑戦
現在、うちではマメといえば枝豆とインゲンを植えていますが、インゲンを植えるまえはキヌサヤを植えていました。ところがキヌサヤは味噌汁に入れるくらいであまり料理で大量消費する機会がなくて、いつも食べるのに四苦八苦。
そんなことが続いて、母がある年、キヌサヤをやめてインゲンの種を買ってきました。これが、結果的には大成功。インゲンは炒め物にしてよし、天ぷらにしてよし、カレーやシチューの具にもなるし、肉巻にも使えると、大変重宝。おまけに大量に収穫して余っても、冷凍にできるので保存がききます。
こうなるともうキヌサヤはオシマイになってインゲンの栽培が毎年行われるようになったのでした。
2、キュウリ三昧
去年でしたでしょうか、いつもは2本の苗で育てているキュウリのうち1つの株が弱ってきて、今にも枯れそうな状態になってしまいました。そこであらたにもう一株苗を買ってきて植えたのですが、枯れそうになった株がなんとこのあと持ち応えてキュウリをたくさん実らされるようになりました。
他の2株も同じようにたくさんキュウリが生るのでその年のキュウリは大変な数に。
いつもなら食卓には2~3日に1度くらいのキュウリが、毎日食卓に上るようになり、これには家族中が苦笑ともつかぬようすで
「まさか、あの枯れそうなのが持ち直すとは思わなかった」
という塩梅です。
知人にも配ったりしましたが、それでも冷蔵庫には1週間前に収穫したキュウリから当日収穫したものまでずらりと並んでいました。
キュウリの料理のレパートリーが少ないので、漬物にしたり、キムチ和えにしたり、味噌で食べたりといったくらいしか思いつかず、あとはレタスと一緒にサラダにしたり、そのまま千切りにしたりといった具合。
そうそう、この年はやけに冷やし中華を作っていたことを思い出します。
3、赤くなり損ねたトマト
家庭菜園、いつも成功するとは限りません。ある年のトマトの出来があまりよくなくて、家で作ったとはいえちょっとなまで食べるには美味しくないものができてしまいました。収穫はしたけれども、捨てるにはもったいない。さて、どうしようかと思っていたら、家族の一人が
「トマトソースにしてみよう」
といって、皮をむいて細かく刻み、玉葱と一緒に火にかけて煮込みだしました。
そして出来上がったソースと鶏肉の焼いたものを煮込んだ料理を作ったところ、青臭いですが、まずまず食べられるものに仕上がりました。
あまり美味しくないものができても、工夫しだいで食べられるものができるものだな、と思った年。
4、自家製野菜づくし
今年の夕食の話ですが、鶏のから揚げにするつもりで、他のおかずをどうしようかと考えていたら、家族が
「ナスとピーマンが生ってたのでとってきたよ」
というので、ではそれで天ぷらにしようと思い立ちました。
それから他のおかずを考えるに、うちでは今、カブとサンチュを育てていて、それがちょうど食べごろ。だったら、カブの酢の物と揚げ物の付け合せにサンチュをつけようかと考え、早速収穫してきて料理。
その結果、その日の夕食は、鶏から揚げ、ナス天、ピーマンの天ぷら、付け合せにサンチュ、カブの酢の物、味噌汁はカブの葉と揚げ、というメニューになり、まさに自家製野菜のオンパレード。
その日の食卓では
「今日の野菜は全部うちでとれたものだよ」
という話に花が咲き、また一つ家庭菜園収穫史の一ページが増えました。
「夕涼みがてら花火会」
二年前の夏、息子とお揃いの甚平を着て夏祭りに行ってきた帰り、祭りの余韻が冷め切らぬまま実家の庭でした花火。
庭の数箇所に虫避けの缶入りの防虫剤入りキャンドルと蚊取り線香を点し、その火でもって花火の点火もする。
これが息子初めての花火で、最初は自分達がする手持ち花火の輝く様をじっと見つめていた。
途中から、自分のする花火に手を添えて持たせたりして、少しづつ花火に慣らしていき、次は一人でやる!と言った線香花火、
足の上に火の玉を落とさぬように慎重に花火を手にした息子の真剣な顔。
また一本の線香花火が終わった後には、花火の真似をして踊って見せたりと、仕草も可愛いくて堪らない。
自分も妻もそして両親も、花火よりもずっと息子の表情を見ていた。そろって親莫迦、孫莫迦であるw
こうしてそれから実家での花火は我が家の夏のお決まり行事となった。
一昨年は娘の体調が悪く、妻と娘は縁側からの見学だったが、その分昨年はご近所さん家族も誘い合わせて花火会を開催。
花火は「とぅちゃん。遅いよ早く早く!」と、ちょっと生意気なことも言うようになった息子と一緒に沢山買ってきて
そして息子はもちろん、よちよち歩き始めた頃の娘も相当花火を見るのを気に入り、大人8人子ども5人で花火を楽しんだ。
いっぱいあった花火もあっという間になくなってしまい「まだみんなでやるの!」「もっと!」と息子が無茶を言ったので
今夏は花火会、二度位は開催されそうな予感・・・・。
二酸化炭素を花火とキャンドル、蚊取り線香が出すということでエコとは言いがたいかもしれないが、
その間エアコンも明かりも使わないですむので、節電イベントにはなると思う。
今年は来月初旬に開催予定のイエ花火会。年ごとに流行の花火が違ったりするのも面白いし、
待ち遠しいと思う今からもう実は自分の心の中はワクワクしており、花火会が始まっている気がするw
そして片付け終わるまでがイエ花火会です!今年はバケツではなく金だらいに終了した花火を入れようかとか考え中。
皆様もこの夏の夕食後の節電として、たまには家族で夕涼みがてら花火会をするのはいかがだろうか?
ラジオ体操と朝顔の夏の朝
私の地元は田舎だったのでラジオ体操を地区の小学生が行う習慣が残っていました。
朝早くにおきて、ラジオをもってきた上級生とラジオ体操をして
その日の遊ぶ約束をしてかえるというのがお決まりのパターンでした。
夏の朝の瑞々しい匂いと、朝顔の鮮やかさが今でも記憶に残っています。
あぁいった新鮮な感覚を小さなころに味わえたのは非常にありがたかったと思います。
「夏の交換絵日記」
小学校の初めての夏休み、沢山の宿題がでました。
それなのに、それとは別に母親から、真っ白な絵日記帳を渡され、そのノートは毎日夕食後にかいてね。と言われてびっくり。
「お父さんがね、あなたたち(私と弟)が、夏休み中毎日どんな風に過ごしているのか 知りたいんだって」とのことでしたが、
夏休みの初日から父親が仕事の休みの盆休み3日を除き、夏休みが終わるまで毎日「絵日記」を書き続けられた理由は、
父親が絵日記に、毎日返事の絵日記を書いてくれたからでした。
いわゆる「絵日記」の交換日記ですね。
私の描いた昼間にプールに行ったよ。や、セミを二匹捕まえた!という絵日記の次のページには、
夜中に父親がお昼ごはんに食べたラーメんが辛くて口から火を吹いている姿や、
暑気払いで近所の人とお酒を飲んで、真っ赤になっている姿を色鉛筆やクレヨンを使って描いてくれて、
私たちは次の日、そうした父親の絵を見るのがとても楽しみだったのです。
夏の間は、ほとんど寝る間際に帰ってきて、私たちと顔を合わせる時間がない父親でしたが、
そんな時間の空白を「絵日記」が穴埋めしてくれていたように思います。
「日ようび、みんなでスイカわりしよう!」と父親の絵日記にスイカの絵が描いてあると、
「スイカ割るんだって!わーい、スイカ、スイカ割りだぁ♪」とたちまち賑やかになりましたし、
「お盆には、すいぞくかんへ、ラッコに会いに行こう!」とあれば私と弟だけでなく、母親もラッコに会える日を一緒に楽しみにしてくれました。
「交換絵日記」は私が小学校卒業するまで毎年夏休みになると行われ、弟が小学校にあがると二人分それぞれ返事がかかれていました。
私と弟がケンカした時の日記は、フォローが大変だったことだと思いますw
今は携帯メールなどで、いつでもメールのやりとりができたりしますが、メールではなかなか伝わらない言葉の温度のようなものが「絵日記」からは伝わってきたように思います。
我が家でも夫が、娘が字の読み書きが出来るようになったら、交換絵日記をやってみたいと楽しみにしています。
「真夏の夜のお月見」
小学生の夏休み。
ふと夜中に目を覚ますと、窓の外が驚くほど明るいのに気が付きました。
もう夜明けなの?でも空の色が違う…、今何時?
時計を見ると、深夜の0時を少し回ったところでした。
こわごわ窓を開けてみました。
照らす灯りなど無いはずの塀などが、地面にくっきりと影を落としています。
それは私には異様な光景に見えました。
すると突然、遠くの方で犬が「うぉぉ~~ん」。
私は恐ろしくなって、すごい勢いで窓を閉めました。
バシッ。それは小さな音だったのかもしれません。
でも深夜のイエに、それは響いたようでした。
すぐに父と母がやってきました。
「どうした?」
「何かあったの?」
私は涙目で、「外の様子が変なの」と言いました。
父と母は、不審者でもいるのかと思ったのでしょう。
慌てて窓の外を見下ろして様子をうかがっていました。
「怪しい人影は見当たらないようだが…」
「敷地の中?外?」
「…違うの、外が、外が明るすぎるの」
一呼吸置いて、二人は爆笑しました。
私は恐くて半べそなのに、ひ、ひどい…。
「それが普通なんだよ、だって今夜は満月」
「え…、でもお月様はあんなに明るくない、お月様じゃ影はできない!!」
「満月なら影だってできるさ、せっかくだからみんなでお月見をしよう、恐くないからベランダに出てみようよ」
「……」
私は父の服の裾を握って、恐々後を付いていきました。
ベランダに出ると、昼間の猛暑とは全く違う涼しい風がそよそよと吹いていました。
「ほら、月を見てごらん」
まん丸お月様が煌々と夜空を照らしていました。
「ほら、雲を見てごらん。月に照らされて、昼間みたいに白く見える」
「ほんとだー」
「しかも、月が真南に来る時間は月の形によって違うけど、満月はだいたいこんな時間なんだ。つまり今が一番、地上を明るく照らす時間だってことだね」
「へぇぇぇ」
「こんなに明るかったら、地上に影だってできるね」
「そうだったんだー」
今までにも満月は何度も見ていましたし、時には深夜の月を眺めたこともありました。
でも深夜の南中する満月はこれが初体験。
それまでは、まるで天変地異の前触れにでも出会ったような恐ろしさにとらわれていましたが、父のこんな説明で、やっと私の不安は消え去りました。
「きれいねー。魔法使いがやってきそう」
「お母さんは前にこれと同じような月を見て、ポンポコタヌキがやって来そうって言ってたぞ」
「やだー、あはははは!!」
母が、あらあら何の話?と笑いながらやってきました。
「はい、夜更かしさんにはハイビスカスのゼリーをあげましょう」
「うわーい」
冷たいプルンとしたゼリーを食べながら、私はずっときれいな月夜を眺めました。
父と母も一緒に眺めました。
こうして家族でベランダに並んでいるのも珍しいことではありませんでしたが、この夜はなぜか特別。
言葉を交わさなくてもお互いの考えが読み取れる気がしました。
「お母さん、今、何考えてた?」
「あなたと同じことよ」
「えー、私今、みんなで同じ夜が過ごせるって幸せだなって思ってたよ」
「うん、お母さんも」
「わは♪」
ちょっとくすぐったい、うれしい言葉。
心と心が通じ合う、すてきなお月様の魔法です。
また遠くで犬が「うぉぉ~~ん」と鳴きました。
でも、もう全然恐くない。
わんこの声も、みんなー、いい月夜だよーと知らせているように聞こえました。
そんな真夏の夜のすてきなお月見。
「ねぇ、明日の夜もこんなふうに月が明るい?」
「そうだね、一日くらいならそんなに変わらない」
「じゃぁ、明日も夜中に月見ていい?」
「ん~、夏休みだし、夜更かしもいいか」
「やった!!」
私はお月様に『また明日』と心の中で挨拶をして、ベッドに戻りました。
でもやっぱり深夜は子供にとっては遅すぎる時間帯。
その夏、再び深夜のお月見をすることは一度もありませんでした。
「『妹』がいた夏」
その女の子は、8月の上旬に、わが家にやってきました。お母さんが出産で入院、お父さんも仕事で夜しか帰ってこられないので、それなら昼間はうちで預かりましょうということになったようです。当時私は5年生くらいだったかなあ。女の子は幼稚園の年長さんでした。
女の子がお父さんに連れられてやってきました。しばらくお父さんも一緒に過ごして、そして帰っていきました。女の子は元気に手を振ってお父さんを見送っていました。
が・・・・。お父さんの姿を見送り終わった女の子の小さな背中が震えていました。泣いています。声を押し殺して泣いています。
きっとこの子は、『もうすぐお姉ちゃんになるんだから、自分がシッカリしないとダメ。お母さんが赤ちゃんと一緒に帰ってくるまでいい子にしてなくちゃ』なんて、お父さんの前では一所懸命頑張っていたのでしょう。でも、こんな見知らぬイエに一人取り残されたらどんなに不安になるか。どんなに寂しいか。この子を守ってあげないといけない。せめて不安な気持ちは無くしてあげないと。そう思いました。
「お兄ちゃんと遊ぼう」
声を掛けてみました。すると女の子はゴシゴシと目を擦って、振り返って、うん、と言いました。しかし困った。こんな小さな女の子とどうやって遊んだらいいか見当も付きません。とりあえず仲良しをアピールするため、手をつないでみました。女の子はちょっと微笑んでくれたみたいでした。
これから何をしたらいいの分からず呆然としていると、母が「おやつよー、こっち来てー」と声を掛けてくれました。
「行こう、なんかおいしい物があるみたいだよ」
と女の子の手を引きながら行くと、クリームをいっぱいに乗せたプリンが用意されていました。
当時のわが家の食卓は座卓でした。席には座布団が二つ並んで置かれていました。仲良く並んで食べろということのようです。私が先に座り、女の子を引き寄せて隣りに座らせようとすると、女の子は座布団を通り越して私の膝の上に座ってしまいました。うわ、びっくり。
結局その後も女の子を抱きっぱなしになりました。真夏の昼間なので暑苦しいことこの上もありませんでしたが、女の子のサラッとした髪の毛が素肌に当たる感触は、ちょっと清涼感のあるものにも思えました。
一緒にお昼寝もしました。これは楽ちん。昼寝は私も大好きです。私は仰向けに大の字。女の子はそこに腕枕。最初は頭の重さで腕が痛くなりましたが、もっと近くに抱き寄せて、腕というより肩の方に頭を乗せてもらえば楽なことに気が付きました。
横になると、それまで気付かなかった風の流れを感じます。微かな空気の流れも、草原の葉を揺らすそよ風のように感じます。この子もそんな風を感じているのかな。おっと、お腹が出てる。冷やさないようにタオルケットを掛けて・・・・。だんだんお兄ちゃん稼業が板に付いてきました。
こんな事が続いて三日目。女の子はお父さんがお迎えに来ても、一緒に帰るのを嫌がるようになりました。
「やだー、もっとお兄ちゃんと遊ぶ」
こらこらこら。お兄ちゃんだって夜くらいは自由に過ごしたいんだぞ。うちの父母は、本当の兄妹みたいに仲良しになったねと嬉しそう。女の子のお父さんにも、お泊まりしちゃってもいいですよ、なんて言っています。
「じゃ、今夜は泊めてもらおうか」
「うん」
この子はもう、誰も逆らえないお姫様。私の都合など無関係に話が進んでいきました。それからは連日お泊まりです。
夜も一緒に過ごすことになると、今まで出来なかったことが出来るようになります。例えば家族で花火。幼児が加わるので危険の少ない小さな花火ばかりが用意されましたが、それでも前年の夏より遥かに楽しい。家族が一人増えるってこういうことなのかと思いました。
着替えをうちに置くことになったので、昼間の庭で水遊びもやり放題です。ホースの水を掛けっこしたり、バケツの水をビシャビシャ飛ばし合ったりして大はしゃぎ。濡れた土の上に転んでしまっても、お着替えが有れば安心です。
時間がたっぷりなので、夕暮れを楽しみながらお散歩に行ったりもしました。この子のお母さんの入院はちょっと長くかかりました。でも、そろそろ退院の日が近付いています。
8月も半ばになると、日暮れはもう秋の気配。もうすぐこの子はいなくなるんだ。そう思うと、急に寂しくなってしまいました。
女の子の手をギュッと握ると、女の子もギュッと握り返してくれました。女の子がじっと私の顔を見つめました。私も女の子を見つめました。
「お兄ちゃん・・・・、泣いちゃダメ」
・・・・え?・・・・俺、泣いてた?
「ご、ごめん。なんか変なこと考えてた」
「かえったらいっぱいあそぼ、だから泣いちゃダメね」
「ん・・・・」
こうして「妹」がいた短い夏が終わりました。涼しげなワンピースの青い花柄が、その夏のイエの色。私はその模様だけを絵に描きました。夏休みの宿題です。
夏の終わりに、何枚かの写真が届きました。赤ちゃんを含めた家族の写真。中に一枚、女の子が一人で写っている写真もありました。父が、
「お前の妹の写真だな、大切に持っておけ」
と言いました。私は、要らないやいと強がりを言いましたが、手にはしっかりと写真を持って離しませんでした。
「夏の庭、両親とトマトとカラスが教えてくれたこと」
小学生の時の話です。わが家では庭でトマトを育てていました。倒れないように支えをしたりして、家族みんなで大切に大切にしてきました。トマトもそれに応えるように、いい実をたくさん付けてくれました。
ところがです。夏休みに入ってしばらくした頃から、カラスがやってくるようになりました。朝起きて庭に行ってみると、毎日のようにトマトの食べカスが落ちていました。父と私は腕組みをして、うーん…。
親子で工夫して、カラス除けに取りかかりました。まず最初に試してみたのは、光る物を付近に配置することでした。鳥除けのキラキラ光るテープを張るなどです。でも父は、「これってそんなに大きな効果はないんだよな」と言っていました。
実際、数日は近寄ってきませんでしたが、やがてこんな物は恐くないと理解してしまったのでしょう。また被害が出るようになりました。
そこで私は、鳥除けのキラキラテープをトマトの枝に巻き付ける作戦に。父に「クリスマスツリーみたいだな」と笑われてしまいました。
「他に何かいい方法はない?」
父に相談すると、テグスを張り巡らせるという方法もあると教えてくれました。
「ただこれはとても危険な方法だ。鳥にとって張り巡らされたテグスは目に見えない脅威。体が触れて絡まりそうになって恐ろしい思いをして、それで近付かなくなるわけだ。だから時には本当に絡まって、命を落とすカラスも出てくる。」
「それはちょっと…。」
「鳥除けとして、音を出すという方法もあったな。」
「へー、どんなの?」
「お父さんの田舎じやカーバイト砲なんて呼んでたなぁ。カーバイトって言う、水に濡らすとガスを出す物質があるんだ。それと水を装置にセットしておくと、発生したガスが定期的に爆発して、ドカーンと音を立てる仕組み。」
「それはカラスもビックリだね。」
このアドバイスを元に、今度は音作戦でやってみることにしました。最初はトランジスタラジオを雨除けのビニールでくるんで、トマトの近くに吊しておく方法。多少は効果があったようですが、常時鳴らしておくと、すぐに慣れてしまうようでした。
そこで間欠的に音を出す方法はないかと考えて、オートリバースのカセットに10分おきに「こらっ!」と録音して、それをトマトの横に。これは大成功で一日たってもトマトはやられませんでしたが、母に「みっともないからやめて~」と言われてしまいました。たしかに10分ごとに誰かが庭先で怒っているなんて人聞き悪いにもほどがありますね(笑)。
そこで「こらっ!」を「ガンガン」と鍋を叩く音に変えました。これでカラスに勝ったと思っていたのですが、しかしこれを見た父が、
「毎日回しっぱなしにしてると、消耗してそのうち壊れると思うぞ、ラジカセ。」
あ、そうか…。まだ当時はMP3プレイヤーなどは存在していない時代でした。
「じゃあ、トマトの周りを網で囲う?」
「農家じゃそういう方法をとるけど、ネットの内側に人が入れるほど隙間を作ると上から入られてしまうし、狭く囲うと収穫のたびにいちいちネットを外さきゃならない。広く囲って上も塞ぐとたくさんのネットが要って予算がかかる。」
「うーん…。」
「だから農家は、畑の周りをネットで囲って、上にはテグスを張っておいたりするんだよ。」
「テグスは…嫌だねぇ…。」
そうめんをすすりながら親子で「うーん」と考えていると、母が言いました。
「いいじゃない、トマトはいっぱい成るんだから、少しカラスにも分けてあげましょうよ。」
あ、そうか!発想の転換です!人間だけで独り占めしない、実った物はみんなで分ける、そう考えればいいことでした。幸い庭のトマトに目を付けているカラスは1羽か2羽程度。市街地ですから、そんなに群れを成してやってくるわけでもなさそうです。
「ほら、今食べてるトマトも庭でとれた物よ。カラスにあげても、ちゃんとわが家の分は残るもの」と母。
父も「そうだな、自然の世界なら鳥はどの木や草から実を食べても自由なんだものな。それを忘れていたよ。」と言いました。考えれば本当にその通りです。カラスさん、今まで泥棒扱いしてごめんなさい。
それからは、鳥に危険がないように注意しながら適度にキラキラテープで防御しつつ、適度なお裾分けで、美味しいトマトをカラスと一緒に楽しむことにしました。
時々、カラスがトマトをつついている現場にも遭遇しましたが、上手にくちばしで実を落として、嬉しそうについばんでいる姿を見て、頭いいなぁ、器用だなぁ、可愛いなぁと、微笑ましく観察することが出来ました。時には親子でそんな姿を眺めたりもしました。
優しい父母と、トマトと、そしてカラスが教えてくれた大切なこと。この夏に学んだ「実りを分かち合う」という考え方は、大人になった今でも、様々な形で生かされています。
「思い出の氷菓」
去年の夏の、体温をも超える気温の連続に、いつもはの元気の塊の子ども達もさすがにぐったり…。
おかげで、冷たいおやつが欠かせませんでした。
でも、毎日のように子ども達に与えるには、市販のアイスばかりでは砂糖も取りすぎだし、そしてちょっと添加物も心配でした。
そんな時、母から教えてもらったのが昔私が美味しいと言って良く作っていたという「トマトのシャーベット」でした。
その名の通り、トマトで作るシャーベットです。色々おやつを作ってもらった記憶はありますが、そんなの食べたっけ?とあまり覚えてはいませんでした。
でも冷たくて野菜もとれるし、作り方も簡単そうで、おまけに低カロリー^^と試しに作ってみました。
作り方は簡単で、湯むきしたトマトを刻んだものにレモン汁と砂糖をかけ、後は冷凍庫で冷やすだけ。
材料(4人分)
・ トマト…中2個(350g~400g)
・ 砂糖…50g~70g
・ レモン汁…大さじ1~2
作り方
1. トマトは熱湯に十秒くらいつけて水にとり、湯むきします。へたと種は取り、粗く刻みます。
2. 刻んだトマトに砂糖、レモン汁をくわえ、ミキサーにかけるかフォークなどで細かくつぶし、密封容器に移して冷凍室に入れ冷やします。
3. 途中で2~3度、フォークでよくかき混ぜて空気をいれながら冷やし固めます。
出来上がったシャーベットを子ども達には、材料が何かは言わずに出してみました。
反応はというと、息子は色と味から「スイカのシャーベット」だと思ったようです。
娘もやっぱり同じようで、二人とも「これ甘くておいしいね!」と、とても喜んでくれました。
実は私も味見して、ようやくこれは昔よく食べていた懐かしい味だと思い出したのですが、
この材料がトマトだとは気づいていませんでした。
なぜなら今でこそ私は好き嫌いはほとんどありませんが、小さい頃はトマトがちょっと苦手だったのです。
私もすっかりスイカのシャーベットだと信じきっていましたw
子ども達には食べ終わってから「これトマトだよ」と、種明かししましたら、え~!?と驚いていましたが、美味しいからまた食べたーい!
と案外好評です。
完熟のトマトで作ったので、砂糖を控えめにしましたが、それでも思ったより甘くできました。
完熟の甘いトマトなら、もうちょっと砂糖を控えても大丈夫そうです。
トマトの青臭さもレモンのおかげでなくなるので、子どもにはもちろんサッパリしているので大人にもオススメな一品。
母が作ってくれた思い出のトマトシャーベット。
子ども達から、もう一度食べたいとリクエストをもらっているので、今年もトマトをたくさん手に入ったら、また作りたいと思っています^^
「夏祭りの後のお泊まり会」
近くの神社の夏祭り。私達仲良し五人組は、お祭りの一日をみんなで一緒に遊んで、その夜、お泊まり会をする計画を立てました。その日は午前中からみんな私のイエに集まってわくわく。お祭りは浴衣で行こうということになり、持っていない子はうちにある浴衣を着てもらうことになっていたからです。母は日舞の師範で子供にも教えていましたから、衣装には事欠きません。
「こんなのどう?あなたにはこっちが似合いそう」。母が出してくれる色とりどりの浴衣にみんなきゃぁきゃぁ。「あんたんち、すごいね」。「ううん、これが商売だから」。「あんたも後継ぐの?」。「うん、稽古きびしーよ、今はあんなに優しいお母さんも稽古になると別人」。「これ、何言ってるの?」。「ひゃぁ~」。
もう待ちきれなくなって午前中からみんなで神社へ。だって朝から祭囃子がずっと聞こえていたんですから。準備中の露店の脇を通って鳥居をくぐり、拝殿の前まで行ってまずお参り。私はこの五人がいつまでも仲良しでいられますようにとお祈りしました。
それから露店を一巡り。始まっているお店はひとつもなくて、まだ屋台を組み立て中の所もたくさんありましたが、どこに何屋さんが出るのかを偵察です。
「これは綿あめ屋さん」。「ここはきっとお面が並ぶんだね」。「机が出てる、型抜きだ」。
一回りしたら、近くの公園へ。だって空は雲一つ無い晴天で、すごい日差しだったからです。木陰に入って、ふーっと一息。みんな汗だくでした。
「うち帰って、一度シャワー浴びてから浴衣に着替えようよ、きっとお母さんが髪も結ってくれるよ」。
みんなでわーっと駆け出しました。
「お母さーん、シャワー使うよー」。みんな一緒に元気にシャワー。うわ、さすがに小さなバスルームに五人は満員電車のようです。これではシャワーじゃなくイモ洗い。でもみんな、普段と違うこんな仲良しがとても嬉しいのでした。
タオルは母が人数分用意してくれていましたが、小さな脱衣所では再び満員電車。みんなできゃーきゃー言いながら服を着て部屋に行きました。髪を乾かして、いよいよ待望の浴衣です。「さぁみんな、着替えるよ」と母。友達の着付けはみな母がやってくれました。私は一人で着られるのでちょっとつまんない。「ねー、髪結って」。私はちょっと甘えん坊さんになっていました。
みな髪が長かったので、一人一人アップに結ってもらいました。姿見の前に並んで、はい、ピース!さぁ、浴衣女子五人組、いよいよお祭りに出発です。
お祭りではたっぷり遊びました。あっというまに日が西に傾き、いつの間にか保護者同伴でない小学生は帰る時間です。私達はまだ遊び足りませんが、これからは楽しいお泊まり会。これも会場は私のイエです。
イエではまず浴衣のままで花火をしました。帰ってきた父がスイカの差し入れ。「なんか浴衣、汚しちゃいそう」。「着替えちゃおうか」。「うん」。普段着に戻って、みんなでスイカを食べました。そしてまた花火。ラストはやはり線香花火です。ちょっと、しんみりとした気持ちになりました。
それから夕食。父と母と私達五人で合計七人。大勢で食べるごはんは美味しいです。食休みをしていると、寝る支度が調ったぞと声がかかりました。なんと父が五人分の布団を敷いてくれていたのでした。
「あ、ごめん、私達で敷こうと思ってたのに」。「おじさま、やさしー」。「ありがとう」。父は女子小学生にもてもてになりました。
私達の寝場所は踊りの練習に使うちょっと広い部屋でした。そこに五人分の布団がずらり。この頃はまだ修学旅行の経験はありませんでしたが、修学旅行ってこんななのかなと思いました。
全員サッとシャワーを浴びて、パジャマに着替えて、布団の上で転げ回ったりトランプをしたり。「もう寝なさい」。「はーい」。でもまだまだ眠れません。布団に横になって今度はトークタイムです。
「ねぇ、好きな子の話しよう」。「そんなのいるわけないよ」。「あんたはいるの?」。「いなーい」。「じゃ、自分のことを好きだと思う男子の話」。「それなら○○、あいつ絶対○子のこと好きだよ」。「えー、やだ」。「いいじゃん、けっこういいやつだよ」。「ならあげる」。「いらないよー」。
まだ初恋もしたことのない女子達の恋バナごっこ。楽しい夜が更けていきました。
みんな、何も言わなかった。誰も、一度も触れなかった。夏が終わるとこの中の一人が転校してしまうこと。でもみんな、思いは同じ。たっぷり友情を深めて、思い出を作りたかった。きっとみんな、この後も眠ったふりをしながら、今日一日の、そして今日までの楽しかった思い出を胸に刻みつけていたに違いありません。今も思い出す、懐かしい夏の一コマです。
「真夏の家庭麻雀大会」
お盆に親戚の伯父さんがやってきました。なんと麻雀パイ持参です。
「知り合いにもらったんだけど、うちにはもうあるから、○○君(私のこと)にでもあげようと思って」
「ぼくまだ小学生だよ」
「歳なんて関係ないさ。これは頭を使ういいゲームだぞ。しかも心理戦でもある」
「でもやり方知らないし」
「すぐ覚えられるさ、ちょっとやってみよう」
メンバーは、伯父さんと父と母と私の四人です。夏だというのにコタツのやぐらが出てきて、天板が裏返しに乗せられました。天板の裏の緑の面の使い道をその時初めて知りました。そういえば最近は、裏が雀卓になっている天板、少なくなりましたね。
最初はルールを説明してもらいながらの練習です。他の三人は普通に、私だけ牌をオープンにして打ちます。
「はい、ツモってきて。お、きたきた。ほら、これでここが揃ったろ」
「うん」
「それじゃ捨て牌を選ぼう。何が要らない?」
「これ…かな」
「うーん、すると、これとこれの間を待つ作戦か。でもほら、他の人の捨てたのを見ると、もう4枚出尽くしてるだろう」
「あ、そうか!」
何回かやっているうちに、だんだんゲームの仕組みやコツが飲み込めてきました。いよいよ本番です。この勝負には賞品が出ることになりました。半チャンやってトップになった人はお寿司の上、残りの人は並というルールです。お寿司大好きの私は大張り切り。
最初の親は、たしか伯父さんでした。すさまじい早上がりでビックリしたのを覚えています。しかも、どんな手だったかは忘れてしまいましたが、満貫以上の高い役だったと思います。
父も母もなかなか強く、特に親の時はサッと勝ちを拾って連チャンします。私は全然勝てず、どんどん点棒が減って惨憺たるものでした。詳しい経過は覚えていませんが、とにかく東場は上寿司がぐんぐん遠のいていきました。
でも南場に入ると、ちょっと私も勝てるようになってきました。
「えーと、えーと、それ、おそらくロン!」
「よし、開いてごらん。おー、揃ってる揃ってる。ちゃんとタンヤオで役も付いてる。いい上がりだ」
伯父さんに褒められました。
そしてやっとゲットしたのが、たしかドラ2のイーぺーコー。ツモ上がりだったと思います。イーペーコーなんて知りませんでしたが、とにかく同じ並びの牌を二組作ったら面白そうとこだわった結果でした。その二組の一枚ずつにドラがヒットしたのです。
結局、役と言えそうな役はそのくらいでしたが、結果は三位。ドン尻がなんと父でした。母の倍満に振り込んでいたのです。
「さー、お寿司を頼もう。今日はビリのお父さんのオゴリだ、全員特上!!」
「やったぜ!!」
真夏の真っ昼間に小学生が麻雀なんて何とも不健全な話ですが、父も伯父さんも揃って休みの、お盆ならではのひとときでした。家族麻雀というとお正月を思い出す人が多いと思いますが、私の場合はお盆休みなのです。普段はほとんど麻雀をする機会のない私ですが、その頃になると今でも家族で卓を囲んでみたくなります。今年もまた伯父さんを呼びましょうか。
「夏と父と母と葛餅」
父は葛餅が大好きでした。夏限定の冷菓として、葛餅を食べるのです。梅雨が明けると、それは始まりました。葛餅は母の手製です。ほぼ三日に一度は作っていました。葛餅作りも本格的にやると、結構面倒な作業のようです。特に加熱しながら生地を練るところが大切なようで、母は丁寧に丁寧に作業していたようでした。
冷やすのも出来たては流水で冷やします。冷蔵庫に入れて冷やすよりもその方が口当たりがいいのだとか。だからといって一日中流水は水がもったいないですから、葛餅を作る日は、父の帰宅時間にちょうどいい頃合いに冷えているよう、夕食の支度と並行して作ります。そして父が帰宅すると冷茶と一緒にそれを出して、今日もご苦労様と母は微笑むのでした。
一度、なぜそんな物一生懸命作るの?忙しいのに、と聞いたことがあります。すると答えは簡単でした。お父さんが喜ぶから。
こんなもんが本当にそれほど美味しいのかなぁ。父にも聞いてみたことがありました。すると父は、お母さんが作ってくれる葛餅は特別なんだよと言っていました。これもとてもシンプルな答えでした。
とにかく父は、母の作る葛餅を、それは嬉しそうに食べるのです。嬉しそうにと言うより、幸せそうにと言った方が正しかったかもしれません。特に作りたての時は、食べる前に、じーっと葛餅を見つめます。何見てるのと聞くと、この透明感、お母さんがとても丁寧に作ってくれた証拠なんだよと。今思うと、あれは愛情を噛みしめる時間だったのでしょう。
そしてスプーンを取って、黒蜜をかけます。わが家では黒蜜も母の手製ですから、市販品のような容器には入っていません。スプーンですくってかけるのです。私は当時、葛餅はそんなに美味しいとは思いませんでしたが、この黒蜜は、よそで食べるのとどこか違う美味しさがあって好きでした。父も、お母さんのはなぜか蜜まで美味いんだよなぁと言っていました。後で知ったこの秘密。実は隠し味にメープルシロップが加えられていたのです。父の味覚の好みをよく知っていた母ならではの工夫でしょう。
ですから、父はきな粉はかけません。母お手製の黒蜜だけ。まるで他の味を混ぜると、母の愛情が薄まってしまうとでも言いたげな食べ方でした。
とにかく夏のイエの思い出というと、私にはこの葛餅なのです。今回のテーマを見て急に母の葛餅が食べたくなり、あれ作ってよとリクエストしてみました。母はアレって何よと、咄嗟に葛餅が思い浮かばない様子でした。父が亡くなってから久しく作っていなかったのですから無理もありません。葛餅だよ、夏の葛餅、と言うと、母は急にパァッと表情が明るくなりました。わかった、あなたが帰ってくる時には美味しく冷えているように作っておくと言ってくれました。
梅雨明けが早く、もう夏本番の今年。母の作ってくれた葛餅は優しい冷たさで、本当に美味しく感じられました。うまい、これは一日の疲れが癒されるねと言うと、そうだといいなと思いながらずっと作ってきたからねと母は言っていました。
今年の夏は、これをずっと作ってもらえそうです。懐かしいわが家の夏の風景が、味と共に戻ってきます。
「ウクレレでハワイアン」
夏で印象深いのはこの思い出です。小五の時だったと思いますが、父がどこかからウクレレを譲り受けてきました。何にでも興味を持つ年頃ですから、初めて見るウクレレの実物に私が目を輝かせたのは言うまでもありません。もちろん母もそうでした。これは夏にぴったりだねとみんなで大喜び。更に父のおみやげはもう一つ。葉っぱ付きのパイナップル。ウクレレを見ていたら食べたくなったとのことで、その夜は冷たく冷やしたパイナップルを楽しみました。
翌日、母が楽器店に行って、替えの弦と教則本を買ってきました。その本を見ながら皆で練習です。まずはチューニングから。これがなかなか難しく、母が一緒に買ってきた調子笛に合わせますが、笛とは合っているように聞こえても、ポロンとならしてみると弦同士では合っていなかったりします。やはり隣り合った弦同士を鳴らして合わせていかないと上手くいきません。
次はコードを覚えます。CとかFとかG7とか。とりあえずこの3つをおぼえると簡単な曲が弾けます。父がこの3つのコードで牧伸二の「あーやんなっちゃった」が弾けることを発見。しばらく父はそればかりやっていました。私と母は他人の振り(笑)。
父がウクレレ漫談に打ち込んで?いるうちに、母はハワイアンの伴奏を数曲マスター。楽しそうに歌いはじめました。私は歌にはちょっとテレがあるのでもっぱら弾くのに集中。子供ですからそれなりに、程度でしたが、それでも簡単な曲なら何とか弾けるようになりました。
こうなってくると面白くて仕方がなくなってきます。夕方、リビングでポロポロ掻き鳴らしながら遊んでいると、夕食の支度をしている母がそれに合わせて歌い出したりすることもありました。これは楽しかったです。
友達が遊びに来た時もウクレレが大人気。みんなが弾いてみたがりました。私は自分自身がまだまだこれからなのに友達に弾き方を教えたりして、その夏はウクレレ師匠と呼ばれました(笑)。
ちなみに私のこの夏の自由研究は「ウクレレのひきかた」。ウクレレの歴史を調べたり、弾き方のコツを解説したりしてリポートにまとめました。
父も「あーやんなっちゃった」以外のレパートリーも増やして、よく窓辺で夕涼みをしながら弾いていました。特に「カイマナヒラ」が好きだったようで、よく歌っていましたが、これがなかなかかっこよく、ロカビリーのしゃくり上げるような歌い方を随所に挟んで、なかなか聞かせます。いつのまにかアロハシャツまで買ってきて、気分はすっかりワイキキビーチ。歌を誉めると喜んで「これでアイスでも買ってこい」と小遣いをくれます。私は走ってアイスを買いに行き、また走って戻って、父のウクレレを聞きながらアイスを食べました。うーん、いい夏でした。
中学高校と年齢が進むにつれて、私は段々弾く機会が少なくなっていきましたが、父や母は今もよく弾いています。その当時のウクレレに加えて今はもう一本有りますから、二人で一緒に弾きながら歌っています。特に父の休みのお盆はウクレレ集中週間。たまに私もパーカッションやベースで加わって、ちょっと楽しいイエ・サマーライブになることもあります。
「就職後最初の夏休み」
社会人になって迎えた最初の夏。ヘトヘトになってやっと迎えられた休暇。私は一日中何もせず、ぼーっと過ごしていました。二日目からは父も休暇に入ったので、二人してリビングでだらけていたら、母に「いやねぇ、このうちにはオッサンが二人もいるの?」と笑われてしまいました。
「若いから仕事がきついんだよ、だから夏休みくらいゆっくり過ごしたいんだよ」と言うと、父が「俺も若いから仕事きつくてさ」。
それでは若い者同士、真っ昼間から一杯やりますかと、買い置きのビールを開けようということになりました。
つまみは何がいいかな、何かガツンとした物が欲しいねぇと冷蔵庫を漁ると、フリーザーに鶏肉発見。豚レバもあります。ネギはあるかな、長ネギ。ありました。
「親父~、焼き鳥焼けるぜ」
「でかした」
さっそく解凍して肉を切り分け、ネギも切りました。それを父が竹串に刺していきます。母は「さっきまでだらけてた人たちが、こんな時だけ生き生きするのねぇ」とまた笑っていました。
焼くのはコンロのグリルです。父がダイニングテーブルの椅子をコンロのそばに持ってきました。「焼きながら飲もう」。シュポッとビールをまず1缶。「カンパーイ」。グリルの中の焼き鳥がだんだん焼けてきました。タレは無いので塩焼きです。
「おい、ひっくり返せ」
「ほいきた」
ジジジジジ…。もういいかな?焼けました。
「へい、お待ちっ」
有り合わせの即席焼き鳥ですが、うまいです。うーん、ビールが進む。
「次、焼いてくれ、今度はレバ」
「よろこんでっ」
ビールをグイグイ。こりゃピアホールに行くよりいいなと父は上機嫌。私が、ああいう所は疲れに行くようなもんだからねと答えると、父は、お前も働く男になったなぁ、疲れを知って一人前の職業人さとしみじみ顔。
「まだ酔うのは早いぜ、豚レバお待ちっ」
「待ってました」
だんだん食べた串が貯まっていきました。
「なんかこう、サッパリした物が欲しいな、キュウリ無いか、キュウリ」
「へいっ、喜んでっ」
今度は二人でキュウリをバリバリ。
「お前、働く男にもなったけど、なかなかいい酒飲みにもなったな」
「なんで?まだそんなに飲んでないよ」
「去年までのお前は丸ごとのキュウリをそんなにうまそうに食うやつじゃなかった」
「そうかな」
「いい飲み方を覚えると、シンプルな食べ物がおいしく感じられるようになるんだよ」
「そんなもんかねぇ、ま、キュウリはうめぇ」
他愛のない話ばかりしていたと思っていましたが、こうして思い出してみると、父は私の社会人になってからの変化を、色々と喜んでくれていたようでした。
私から見ての父は、職業人としても家庭人としてもよくバランスの取れた、理想的な働き方をしている人です。仕事を理由に家庭を疎かにせず、家庭を理由に仕事を疎かにもしない。かといってそれで疲れて不機嫌になることもない。どちらも心から楽しんでいる人です。
その父が当時の私を見て、お前はもっとこうあるべきだといったことを一言も言わなかったのは、それでいいんだと認めていてくれたのでしょうか。それとも、まだ未熟だから何を言ってもその通りに出来るわけがないということだったのでしょうか。そして今の私はどうでしょう。また父と二人で、イエでゆっくり飲んでみたいと思います。
この日は比較的しのぎやすい日で、エアコンは入れていませんでした。ですから、火を使うコンロのそばはけっこう灼熱。それでも開け放した窓から入ってくる風が心地よく感じられたのを覚えています。それは、父とのこんなひとときが心地よい記憶として残っているからでもあるでしょう。社会人になってからの一番の変化は、同じ大人として、父との間の壁が低くなったことかもしれません。
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