Xenophobieというのは、自分の群れ以外の群れに対して攻撃的であることをいいます。Xenophobicな動物としては、ハダカデバネズミもそうですし、イヌ(オオカミ)もいますが、ヒトもそうです。
人間は本性として、ゼノフォビックであり、また、共食いをするようです。(レヴィ=ストロース『アメーバの譬え話』)
したがって、戦争も、人間の本性といえるのではないでしょうか。
ある説では、今までの歴史の中でコレラだとか天然痘だとかの疫病が発生し、大量に死者が出るのは、地球(自然)が増えすぎた人口を減らすためだというものがあります。
戦争は人間の意志によって引き起こされるものでもありますが、これも一種の人口を減らすための自然の、そして人の意志があるのかもしれませんね。これは完全に科学的ではないですが。
しかし、一定の期間で疫病も戦争も起こることで、人口が減少し、それがある意味必要なことであることも事実です。
現在は世界大戦などの大規模な戦争がないため、人口は増える一方です。
人間の考え方の違いや領土、資源など、戦争の理由は色々ありますが、それ以外にも、戦争をすることでお金が儲かるということもあるので、わざととまではいかなくても、戦争をおこしてお金を儲けようとする人たちもいます。その人たちとその国の政治が関係していることもあると思います。
結論としては、様々なものの意志が働いて戦争は起こるということですかね。
これはあくまで一説ですので、あまり真に受けないで下さい。(^^)
もうひとつ
地球があれば
いいのかな。
「人類が」ではありません。
戦争という事業に参加している軍人と政治家が、です。
国家構成員のほとんどのすべての人が戦争に参加する、いわゆる「国家総力戦」という戦争形態が現れた時代は、人類史上、比較的新しい時代(第一次世界大戦以降)に現れた歴史現象です。
人類の歴史を振り返るなら、多くの人類・一般の人は、戦争という事業に参加しないまま一生を終えます。そういう時代の方が、長い歴史を持っています。
「なぜ人類は核兵器を使うのですか」という質問が、核保有国だけにしかあてはまらないのと同じことです。すべての国、すべての国民が、核兵器のスイッチを押しているわけではありません。
ではなぜ軍人や政治家は戦争をやりたがるのか? そしてそのような戦争に人々は参加するのか?
残念ながら、その答えはありません。
平和学において、戦争の法則性は研究途上の分野だからです。
個々の戦争の事例をひとつひとつ分析し、それぞれの事情をケース・バイ・ケースで
判断していくよりありません。それが歴史学、平和学の意義です。
僕らのすむ世界は、平穏か非平穏か区別することはできない。
ペットボトルの中のジュースを独占することは平穏で、相手を殴ったら非平穏というように
あらかじめ定義付けがされているわけではないし、
非平穏でなければ平穏かもしれないが、平穏しかない世界であれば平穏の存在意義や価値のようなものは喪失すると考えられる。
つまり、戦争と平和を対立させて考えるならば、戦争がなければ平和は無いし、戦争のために平和があると言っても良い。
また、血を交わしてストレスを発散したり、種の社会的統制をコントロールするために暴力が行なわれる。それらは人類に限らないと思われる。そういう意味では、小難しい動機は無く生理的な欲求として行なわれるのだと思われる。
服を着たせいでしょうか