「植民地経営や侵略戦争を正当化」というと語弊があるかもしれませんが、大航海時代に西欧諸国が取った行動を、正教会との対比で考えると、教義上の違いは大きく2つあると思われます。
1. 最高指導者
ローマ・カトリック教会において教皇は最高指導者であり、全世界の教会から司教(主教)等の正規代表者が集まった 公会議 よりも優先されます。
教皇首位説 です。
教皇の命による行動は、道徳的にも正しい事になります。
ローマ教皇も海外侵略を強力に後援した。16世紀初頭から宗教改革の嵐に晒されていたカトリック教会は相次いで成立したプロテスタント諸派に対抗するため、海外での新たな信者獲得を計画し、(後略)
Wikipedia 大航海時代 - 海外侵略
一方、正教会は教皇首位説を認めておらず、正教会全体の最高指導者も存在しません。
教会組織も、ローマ・カトリック教会のようにローマ教皇をリーダーとして全世界の教会がきちんと一枚岩に組織されたものではなく、各地域の独立教会がゆるやかに手を結びあっているにすぎません。
正教会とは:日本正教会 The Orthodox Church in Japan
2. 原罪観
カトリックにおける原罪観 では、人間はアダムの原罪を引きずった存在であり、洗礼が行われてカトリックに帰依しない限り、悪に傾く存在です。
ここから「異教徒=悪」という発想が正当化されます。
一方、正教会は、このような原罪観には否定的です。
どんな人間でも神のイコンでありつづけるので、一人一人の人間は、かけがえのない尊き存在なのです。
世界観-人間:日本正教会 The Orthodox Church in Japan
高橋保行は、西方教会の人間観を指して「西の原罪説」、正教会の人間観を指して「東の性善説」として対比して言及している
Wikipedia 神の像と肖 - 他教派との違い・比較
「性善説」ですから「異教徒=悪」という発想にはならないわけです。
ご質問への回答は以上で、以下は余談になります。
大航海時代を記述した文献に正教会が出てこないのは、教義の違いだけではないと考えます。
15世紀の中頃には、ギリシャ正教のギリシャは オスマン帝国 の支配下であり、ギリシャ正教が生き延びているのはオスマン帝国が宗教の自由を認めていたからです。
ロシア正教の ロシア・ツァーリ国 は、東方への拡大を目指してシベリア方面へ進出し、1598年に シビル・ハン国(シベリアの語源)を滅亡させています。
ロシアのシベリア進出は、大航海時代 には記述されていませんが、Wikipedia 英語版の Age of Discovery には Russian exploration of Siberia (1581–1660) として記述されています。
正教会の政治学上の基本的概念は ビザンティン・ハーモニー であり、国家(皇帝)と教会(総主教)が互いの立場を尊重し理解するというものですから、国家が豊かになるような植民地経営や侵略戦争に異論を唱えたかは疑問です。
また、アメリカ新大陸において、カトリックのドミニコ会やイエズス会は「ネイティブ・アメリカンの権利を主張し、奴隷制に抗議していた」(イエズス会)という事実もあります。
非難されるべきなのは、カトリック・プロテスタント・正教といった大きなくくりではなく、教条主義や 宗教的排他主義 なのではないか、と愚考します。
以上、お役に立てることを祈りつつ。
ここのページに載っていると思います。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/058kirisuto.htm
すみません・・
読んでいたらごちゃごちゃになってしまって・・・
面白いHPのご紹介ありがとうございます。
確かに読んでいて、いったいどこが共通で、どこに違いがあるのか、わけがわからなくなってきますね。
黒人解放の神学ともなる一方で、植民地を推進する原動力にもなった。
もう少し深層で分析ができているともっと面白いでしょうね
「植民地経営や侵略戦争を正当化」というと語弊があるかもしれませんが、大航海時代に西欧諸国が取った行動を、正教会との対比で考えると、教義上の違いは大きく2つあると思われます。
1. 最高指導者
ローマ・カトリック教会において教皇は最高指導者であり、全世界の教会から司教(主教)等の正規代表者が集まった 公会議 よりも優先されます。
教皇首位説 です。
教皇の命による行動は、道徳的にも正しい事になります。
ローマ教皇も海外侵略を強力に後援した。16世紀初頭から宗教改革の嵐に晒されていたカトリック教会は相次いで成立したプロテスタント諸派に対抗するため、海外での新たな信者獲得を計画し、(後略)
Wikipedia 大航海時代 - 海外侵略
一方、正教会は教皇首位説を認めておらず、正教会全体の最高指導者も存在しません。
教会組織も、ローマ・カトリック教会のようにローマ教皇をリーダーとして全世界の教会がきちんと一枚岩に組織されたものではなく、各地域の独立教会がゆるやかに手を結びあっているにすぎません。
正教会とは:日本正教会 The Orthodox Church in Japan
2. 原罪観
カトリックにおける原罪観 では、人間はアダムの原罪を引きずった存在であり、洗礼が行われてカトリックに帰依しない限り、悪に傾く存在です。
ここから「異教徒=悪」という発想が正当化されます。
一方、正教会は、このような原罪観には否定的です。
どんな人間でも神のイコンでありつづけるので、一人一人の人間は、かけがえのない尊き存在なのです。
世界観-人間:日本正教会 The Orthodox Church in Japan
高橋保行は、西方教会の人間観を指して「西の原罪説」、正教会の人間観を指して「東の性善説」として対比して言及している
Wikipedia 神の像と肖 - 他教派との違い・比較
「性善説」ですから「異教徒=悪」という発想にはならないわけです。
ご質問への回答は以上で、以下は余談になります。
大航海時代を記述した文献に正教会が出てこないのは、教義の違いだけではないと考えます。
15世紀の中頃には、ギリシャ正教のギリシャは オスマン帝国 の支配下であり、ギリシャ正教が生き延びているのはオスマン帝国が宗教の自由を認めていたからです。
ロシア正教の ロシア・ツァーリ国 は、東方への拡大を目指してシベリア方面へ進出し、1598年に シビル・ハン国(シベリアの語源)を滅亡させています。
ロシアのシベリア進出は、大航海時代 には記述されていませんが、Wikipedia 英語版の Age of Discovery には Russian exploration of Siberia (1581–1660) として記述されています。
正教会の政治学上の基本的概念は ビザンティン・ハーモニー であり、国家(皇帝)と教会(総主教)が互いの立場を尊重し理解するというものですから、国家が豊かになるような植民地経営や侵略戦争に異論を唱えたかは疑問です。
また、アメリカ新大陸において、カトリックのドミニコ会やイエズス会は「ネイティブ・アメリカンの権利を主張し、奴隷制に抗議していた」(イエズス会)という事実もあります。
非難されるべきなのは、カトリック・プロテスタント・正教といった大きなくくりではなく、教条主義や 宗教的排他主義 なのではないか、と愚考します。
以上、お役に立てることを祈りつつ。
非常にわかりやすく、なおかつ納得のいくご回答をありがとうございました。
原罪説は、そういうロジックで使われるのですね。入信して洗礼を受けないかぎり、その人は罪をもったまま。これは免罪符の発想に近いかも。
ローマ法王の権力性が、正教会にはないことも知りませんでした。
非常にわかりやすく、なおかつ納得のいくご回答をありがとうございました。
2012/01/01 22:29:55原罪説は、そういうロジックで使われるのですね。入信して洗礼を受けないかぎり、その人は罪をもったまま。これは免罪符の発想に近いかも。
ローマ法王の権力性が、正教会にはないことも知りませんでした。