あなたは神話を信じますか?
いちよう私は信じません•••
まず「信じる」ってどのような意味での「信じる」なのか。
神話でも神仏でも幽霊でもこれが問題ですね。
物理的な意味で、歴史上に現実で起こったことだと「信じる」のか
という問いでしたら、私はNOです。
ただし、
神話は精神の諸要素を解りやすく表現した物語で、
人間の精神構造の本質を示していると「信じる」のか
と言うことなら、私は信じています。
ちなみに登場する神や悪魔などに関しては、
「人の精神の中に含まれる要素として、そういう性質のものが有る」と信じています。
そして自分の精神の中に含まれる神は
「認識しようとすれば認識できる」ものです。
認識できるからと言って、それを実在と言うのか、錯覚と呼ぶのか、心の働きとして真実だと認めるに留まるのか。
ここが、皆様の意見が分かれるポイントになっているのでは。
ここからは宗教の話になってきますが、
神や仏というのは精神の中でも、「自分本来の輝いた生き方」をする理想的な部分を指します。
これを信条として生きることは、人生をより満喫する為に有効です。
先述のように「物質として信じる」とか、教訓を捻じ曲げて解釈してしまうと逆効果なのですが。
みんなが幸せに生きる為に、物事をどう捉えてどう活かすのが最良か。
これを判断基準にされていてば、信じても信じなくても全く問題は無いと思います。
日本神話と呼ばれる伝承はそのほとんどが、『古事記』、『日本書紀』および各『風土記』の記述をもとにしている。
-Wikipedia より一部抜粋-
・古事記とは、日本最古の歴史書。
・日本書紀とは、奈良時代に成立した日本の歴史書。
・風土記(古風土記)とは、日本の奈良時代に日本の奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた書をさす。
ギリシャ神話は古代ギリシアの諸民族に伝わった神話、伝説を中核として様々な伝承や挿話の要素が組み込まれ累積してできあがった、世界の始まりと、神々そして英雄たちの物語である。
-Wikipedia より一部抜粋-
いずれにせよ、日本神話は歴史書などを元にして書いていますので私は信じています。
ギリシャ神話は伝説などなので信じるかは自分次第ですが^P^
長い説明ありがとうございます
なんだかすごすじぎて
僕も信じてしまいそうになりました(・・;)
これは日本の場合ですが。
神話はおおよそ時の権力者の一存で書かれているものが多いため、彼らにとって非常に都合の良い書物になっています。その意味で、恣意的な理由で記述されていないのは風土記や地誌ですから、こちらは信用しても大丈夫ですよ。
世界的にも神話はあくまで昔はどうであったかを知る、いわば指標とか目安みたいなものなのでご友人が信じてても問題はありません。神話が真実かどうかはそれこそ神のみぞ知るわけですから。
神のみぞ知るとゆうのがすごくかっこいいです!!
ですが 難しい言葉があるため特に風土記てなんですか?
どちらかというと神話や伝説は、当時の人々の世相や文化によって語られてきたモノが多いと思います。未だに科学的に解明できない一種の呪(まじな)い、当時では怪奇現象だった事などがよく神話や伝承になったりします。日本の妖怪とかはそういうところから生まれる事が多いですからね。
今年は稀に見る災いが続いた・・・きっと●●のせいだ。今年は雨が少ないのは●●への供え物を怠ったからだ。とか。
そんな人々の”なんだかよくわからないモノ”への恐怖だったり、また”あるモノを神と祀って”それにすがったりする事で、そういうよくわからない事柄に理由をつけていて納得していたんだと思います。
だから、神話には必ずそう語られる原因があります。私はその原点を調べてみたりするのがけっこう好きだったりしますが。
単純な話、虫歯で歯が痛い。小さい子なら全身黒タイツの先の尖った槍を持った小さな小悪魔を連想しますよね、なんだかよくわからない歯の痛みをそいつのせいにしているのです。だからそれも立派な神話だと思います。と言ったら言いすぎかな(笑)
お~~何と分かりやすい
しかも小さな悪魔でも黒タイツといれるのはスゴくうけましたww
まず「信じる」ってどのような意味での「信じる」なのか。
神話でも神仏でも幽霊でもこれが問題ですね。
物理的な意味で、歴史上に現実で起こったことだと「信じる」のか
という問いでしたら、私はNOです。
ただし、
神話は精神の諸要素を解りやすく表現した物語で、
人間の精神構造の本質を示していると「信じる」のか
と言うことなら、私は信じています。
ちなみに登場する神や悪魔などに関しては、
「人の精神の中に含まれる要素として、そういう性質のものが有る」と信じています。
そして自分の精神の中に含まれる神は
「認識しようとすれば認識できる」ものです。
認識できるからと言って、それを実在と言うのか、錯覚と呼ぶのか、心の働きとして真実だと認めるに留まるのか。
ここが、皆様の意見が分かれるポイントになっているのでは。
ここからは宗教の話になってきますが、
神や仏というのは精神の中でも、「自分本来の輝いた生き方」をする理想的な部分を指します。
これを信条として生きることは、人生をより満喫する為に有効です。
先述のように「物質として信じる」とか、教訓を捻じ曲げて解釈してしまうと逆効果なのですが。
みんなが幸せに生きる為に、物事をどう捉えてどう活かすのが最良か。
これを判断基準にされていてば、信じても信じなくても全く問題は無いと思います。
はい!わかりました
これが一番の考え方かもしれません
人には人の考えがあるそれが一番だと これで納得しました(=3=)
ぼくは、
部分的に信じたり、
信じなかったりします。
洪水の神話は
世界中にあって、
洪水で出来る地層も
色んな場所にあるので、
事実かも知れないと思います。
聖書のヨシュア記に、
地球の自転が止まったみたいな描写があるので、
その時代と、天照大御神が岩に隠れたのが何年前なのか検証して
イスラエルと日本の時差を調べたりしました。
時差によると、ほんの数時間だけ、
その事件が事実だった可能性がありそうだと思いましたが、
証拠が足りな過ぎるとも思いました。
ギリシャ神話で、
ファエトンが太陽の馬車に乗って、エリダノス川に墜落したのと、
聖書で、ヨルダン川の近くの町に、天から火が降って来たのも、
同じ事件なのかと思って、
エリダノスとヨルダンの語源を調べたら、
無関係みたいだと思いました。
みなさんの意見ですごくいろいろの考えがあるとゆうことがわかりました
どうもありがとうございました
はい!わかりました
2012/02/25 10:15:15これが一番の考え方かもしれません
人には人の考えがあるそれが一番だと これで納得しました(=3=)