そう思う根拠ですが:
①戦前は、徴兵検査を本籍地へ行って受けなければならなかった。
そのため、先祖代々の土地へわざわざ戻った。
本籍を、現住所に移しておればこんな面倒なことはありません。
泊まるところが必要です。本家や総本家に泊まったのでしょうか。
②よく、歴史の本を読んでいると、静岡縣士族とか、書いているのを、見ます。
すると、すくなくとも、士族は、戸籍を移動できなかったのでしょうか、
ただし、分家すれば、分家は他のところへ行けるとか。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/hitosen/dare/dare.tenseki.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E7%B1%8D
旧戸籍制度における本籍は基本的に住所であるが、出稼ぎや進学などのため戸主・家族の一部(ときに全員)が本籍以外の場所に住居を移す場合があった。そのため、別に寄留手続の制度が設けられ、本籍以外の一定の場所に90日以上住所または居所を有する者については届出が義務付けられ、住所のある市町村では寄留簿に、本籍のある市町村では戸籍に添付した出寄留用紙にそれぞれ記載され、住所・居所を把握された。
基本は住所だったようです。
まず、前提として、
2013/07/02 09:07:24「昔は、本籍地に書いてある地名が、まさに住所である、これが普通だった」
ことを踏まえるのですね。
寄留簿は、今の戸籍の附票に少し似ている感じがしました。
大変、有難うございました。
これを前提に、北の土地を考えてみました。次のとおりです。
私の質問の趣旨ですは、「戦前は、本籍を移せたか」、ですが、
下の年表を見ると、移すことはできたのだと思いました。
北海道には、和人は明治維新後、たくさん移住したわけですし、
北千島や南樺太も、江戸時代から住んでいた人は一部だと思います。
明治以後に移住した人、多かったと思います。
その人たちの戸籍は、本籍地は北海道、南千島(北海道の一部かもしれませんが)、
北千島、南樺太とした人、多かったと思います。
1869年北海道(蝦夷地を改め北海道に)成立。
1872年壬申戸籍実施
1875千島樺太交換条約で、北千島が日本領。
1986年明治19年式戸籍実施
1905南樺太がポーツマス条約で正式に日本領に
:現地(南樺太)の行政は、民政長官の熊谷喜一郎が執り、
港湾の整備・鉄道の敷設、現地に住んでいたアイヌ・ロシア人の帰属、
北海道との定期航路、開拓に必要な人民の戸籍・衛生
などを急ぎ進めた。