「大難を小難に」という言葉を含む祝詞


神道の祝詞で「大難を小難に」という言葉を
含むものがあったら教えてください。

対象となる祝詞は作られてから100年以上経過しているもので、
神職の方の間でよく知られているものでお願いします。

よろしくお願いします。

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  • 終了:2013/08/21 20:15:03
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ベストアンサー

id:fowling-piece No.2

回答回数37ベストアンサー獲得回数8

ポイント50pt

祝詞とはそもそも、神を称え敬意を表すものです。
敬うことで神の加護を得ようとするものですが、直接「ご加護を下さい」などとは書かれません。

仏教であれば災いを取り除いてもらうように仏様を祭るのに対して、神道の場合には災いというか「難」ですが、あるのが当たり前として少しでも小さくして頂けるとありがたい、というのが「大難を小難に、小難を無難に」の考えです。
しかしながら「大難を小難に」するのは神様ではなくて先にある結果なのです。
あくまでも神様に対しては「祓い賜え」、「清め賜え」です。

「大祓詞」などのようにきっちりと決まっているものの方が稀で、祝詞は基本的に決まった型は無く祭事に応じてその都度作るのが基本です。
その上で決まった祭事、例えば結婚式だとか節分だとかの場合には決まった型を使いまわすことが多いということです。
現在で言う「テンプレ」ですね。

祝詞はその都度作文ですから「大難を小難に」という言葉を含む祝詞が作られたことがないとまでは言い切れませんが、最初に書いたように、祝詞の意味からして使われることはまずないと私は思います。

他1件のコメントを見る
id:fowling-piece

もし、ご存じであれば教えていただきたいのですが、「大難を小難に、小難を無難に」という言葉は、いつ頃から使われだしたのでしょうか。出典のようなものはありますか。

その言葉が書かれた書物が探し出せれば一番よろしいのでしょうが、言い伝えられているというような記載しか見つけられておりません。

・滋賀県甲賀市 田村神社
http://japan-geographic.tv/shiga/koka-tsuchiyama-tamurajinja.html

厄除大祭(田村まつり) 2月17日・18日・19日
弘仁3年(812)正月、嵯峨天皇は、あらゆる農作物が実らず、疫病が流行して世の人々が苦しんでいるのを見かね「坂上田村麻呂公」の霊験をもって災厄を祓うよう「厄除大祭」斎行の命令を下された。
そして、三日三晩にわたる大祈祷が行なわれ、災いことは見事に治まったと伝えられる。
この神徳により、大難を小難に、小難を無難にと守護し給う「厄除けの大神」として広く厚く崇敬されるようになり、以来、毎年2月の3日間「厄除大祭」として、現在まで連綿と続けられている。


・福岡県久留米市 高良大社
http://www.kourataisya.or.jp/matsuri/hekokaki

高良大社社殿の前に設けられた大きな「茅の輪(ちのわ)」をくぐり、ご祈願(お祓い)を受けると、高良の神さまのお力によって災難をのがれ、大難を小難に、わざわいを福に転ずると昔から言い伝えられてきました。

年表 を見ても、川渡祭がいつごろから始まったのかよく分かりません。
神社自体はかなり古く、履中元年(400年)に「高良山に社殿を創建し、玉垂宮と称する。」とあります。
始まりというなら「高良の神(玉垂命)、高良山に御鎮座」の仁徳55年(367)の方を取った方が良いのかもしれません。

2013/08/19 14:59:16
id:muratori

詳しく調べていただき、ありがとうございます。

2013/08/21 23:10:29

その他の回答1件)

id:holoholobird No.1

回答回数574ベストアンサー獲得回数104

ポイント50pt

「大難を小難に」ではなく「大難は小難に、小難は無難に」です。
よく知られている祝詞というものでも個々人によって細部が変化するものなので、変化する前の原典を探しているのなら、に掲載されている明治34年の祭文私稿に掲載されている堂鎮挫祝詞が原典のはずです。

id:fowling-piece

明治34年の祭文私稿に掲載されている堂鎮挫祝詞が原典のはずです。

どこをどうひっくり返せば、そのような結論が導き出されるのでしょうか。
祭文私稿なんて読めないだろうと高をくくっているのでしょうか。
近代デジタルライブラリーにある祭文私稿の同鎮座祝詞の部分です。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815395/26
どこに「大難を小難に」に類することが書かれているか、解説して頂きたいです。

魚拓は採ってあります。
http://megalodon.jp/2013-0817-1409-32/q.hatena.ne.jp/1376478604

2013/08/17 14:16:48
id:fowling-piece No.2

回答回数37ベストアンサー獲得回数8ここでベストアンサー

ポイント50pt

祝詞とはそもそも、神を称え敬意を表すものです。
敬うことで神の加護を得ようとするものですが、直接「ご加護を下さい」などとは書かれません。

仏教であれば災いを取り除いてもらうように仏様を祭るのに対して、神道の場合には災いというか「難」ですが、あるのが当たり前として少しでも小さくして頂けるとありがたい、というのが「大難を小難に、小難を無難に」の考えです。
しかしながら「大難を小難に」するのは神様ではなくて先にある結果なのです。
あくまでも神様に対しては「祓い賜え」、「清め賜え」です。

「大祓詞」などのようにきっちりと決まっているものの方が稀で、祝詞は基本的に決まった型は無く祭事に応じてその都度作るのが基本です。
その上で決まった祭事、例えば結婚式だとか節分だとかの場合には決まった型を使いまわすことが多いということです。
現在で言う「テンプレ」ですね。

祝詞はその都度作文ですから「大難を小難に」という言葉を含む祝詞が作られたことがないとまでは言い切れませんが、最初に書いたように、祝詞の意味からして使われることはまずないと私は思います。

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id:fowling-piece

もし、ご存じであれば教えていただきたいのですが、「大難を小難に、小難を無難に」という言葉は、いつ頃から使われだしたのでしょうか。出典のようなものはありますか。

その言葉が書かれた書物が探し出せれば一番よろしいのでしょうが、言い伝えられているというような記載しか見つけられておりません。

・滋賀県甲賀市 田村神社
http://japan-geographic.tv/shiga/koka-tsuchiyama-tamurajinja.html

厄除大祭(田村まつり) 2月17日・18日・19日
弘仁3年(812)正月、嵯峨天皇は、あらゆる農作物が実らず、疫病が流行して世の人々が苦しんでいるのを見かね「坂上田村麻呂公」の霊験をもって災厄を祓うよう「厄除大祭」斎行の命令を下された。
そして、三日三晩にわたる大祈祷が行なわれ、災いことは見事に治まったと伝えられる。
この神徳により、大難を小難に、小難を無難にと守護し給う「厄除けの大神」として広く厚く崇敬されるようになり、以来、毎年2月の3日間「厄除大祭」として、現在まで連綿と続けられている。


・福岡県久留米市 高良大社
http://www.kourataisya.or.jp/matsuri/hekokaki

高良大社社殿の前に設けられた大きな「茅の輪(ちのわ)」をくぐり、ご祈願(お祓い)を受けると、高良の神さまのお力によって災難をのがれ、大難を小難に、わざわいを福に転ずると昔から言い伝えられてきました。

年表 を見ても、川渡祭がいつごろから始まったのかよく分かりません。
神社自体はかなり古く、履中元年(400年)に「高良山に社殿を創建し、玉垂宮と称する。」とあります。
始まりというなら「高良の神(玉垂命)、高良山に御鎮座」の仁徳55年(367)の方を取った方が良いのかもしれません。

2013/08/19 14:59:16
id:muratori

詳しく調べていただき、ありがとうございます。

2013/08/21 23:10:29

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