よく知られたゼノンのパラドクスに、飛んでる矢は止まっているというものがありますよね。
このパラドクスを世界のあらゆるモノに押し広げて考えても、この瞬間の世界は止まっていて運動や変化を含まない、、、
こんな固定観念から抜け出すことができずに困っています。治療法をお授けください。
このパラドックスのミソは、時間を無限に分割したらって前提にあるとおもいます。
ショートケーキを無限に分割したら、何人でも食べられてハッピー、と思う一方で、その一切れ(?)は限りなくペラッペラでちっとも嬉しくない。
お悩みのポイントとズレがあるかもしれませんが、
「時間が止まっている」のではなく
「時間が止まっていると仮定すれば」と前置きしただけの話なのであって、変な方向に云々唸る必要はないのです。
物体が移動するためには時間がかかる。ということで、仮に、時間を止めれることが出来れば、矢は移動できませんが、実際は時間を止めることは出来ませんので矢は止まりません。(^_^;
回答ありがとうございます。
おっしゃる通り、現実には時間を止めることはできません。
でも思考の中で現在を厳密に瞬間と考えると、世界全体が止まってしまうのです。
世界が止まっている状況で、あなたがなぜ困るのかが、よくわかりません。
あなたの時間は止まっているから、自覚できないし。
他の全員も止まっているから他人に出し抜かれる心配もないし。
困っているのは、現実と思考が折り合わないからです。
僕だって思考の中で全てが止まっていると考えるのは気持ちが悪いのです。
このような僕の思考の方は、仮想とか二次元と言われるのですね。
一体このパラドクスのどこがおかしかったのか、思考の中から解決することはできないのかということを知りたいんです。
思考しているんだから、時間は流れているでしょう?
「時間よ止まれ」と言ってそのまま止まっても、止めた人は止まったことに気付かないんですよ、時間止まってますので。思考できてるんだから、時間は止まっていません。
たとえ止まっても、物体は急に止まれないので大丈夫です。(慣性の法則)
うーん、何か煽ってる人とか居るけど、何がしたいんだろう…
抽象的な思考能力とか無いのかな…
本人悩んでるんだから、分からないならせめて黙ってスルーしてやりゃ良いのに…
論理で解決は当然出来ますよ。
ゼノンのパラドックスの解決法なんて調べれば山ほど出てきますし、直接解答じゃないにしても時間という概念に対しては他の方も述べてくれてますし。
今の貴方は思考と感覚のリンクが壊れてるのが一番の問題なんじゃないでしょうか?
思考と感覚が一致してるなら既に問題はもう無いですよね?(論理的には先人が既に解決してる訳だから)
思考が暴走して感覚がそれに引きずり回されて、自分と自分以外の境界が凄く曖昧になってるんだと思います。
コレの解決法なんですけど、人それぞれです。
気分転換のスポーツや、考える間もない程忙しいバイトするとかが健全な方法でしょうか。
勿論、健全な方法が効かなくて精神科行く人も多々ですし、それで治らない事も普通に有ります。
ただ一個だけやっちゃいけない事が有って、それが「思考を思考で制御しようとする事」です。
回答で仰られてましたよね。
人間の思考ってパラレルではなくマルチタスク(Aという思考とBという思考を目まぐるしく切り替えて、擬似的にパラレルぽくする事)なんで、脳の負荷が高まって余計に暴走するだけです。
「考えて解決する」という思想を捨てるのが問題解決の第一歩で有ると思います。
因みに暴走を繰り返したら人って簡単に壊れますよ。
ブツッ、って音がして、次の瞬間からは思考も感覚も無い単なる恐慌だけが襲ってきます。
ニーチェとかはこの状態から抜けられず、そのまま死にましたよね。
このパラドックスのミソは、時間を無限に分割したらって前提にあるとおもいます。
ショートケーキを無限に分割したら、何人でも食べられてハッピー、と思う一方で、その一切れ(?)は限りなくペラッペラでちっとも嬉しくない。
お悩みのポイントとズレがあるかもしれませんが、
「時間が止まっている」のではなく
「時間が止まっていると仮定すれば」と前置きしただけの話なのであって、変な方向に云々唸る必要はないのです。
回答ありがとうございます。
時間が止まっている、というのは仮定っぽいですが、ただの仮定ではないと僕は思うんです。
これは、「現在の世界の状態が一つに決まっている」という素朴な信念とセットになった考えだと思います。
一つの対象が現実に二つの状態を同時に持つと考えるのは不合理ですから、対象化できる限りのものは一通りに記述できる、と考えれば、上の信念はわりとまともなものだと思います。
こう考えると、変化が締め出されてしまうのは当然のことですが、ではどうすればいいのかを知りたいんです。
僕はなりの解釈が含まれていてわかりにくかったらすみません。
「現在の世界の状態が~」以降の論旨がよくわからないので、的外れでしたらすみません。
僕は、時間が止まっているってのはやっぱり「ただの仮定」だと思います。
いや、そうでなくて、と言う話になるのであればそれはもうゼノンのパラドクスとは関係のない話なのかな、と思いますのでそういう前提で話をされた方がいいかもです。
ただ、推測ですけど、質問者さんの疑問の根源はもっと違うところにあるような気がしていて、高校で習う極限とか微分とかについて、解説書の類をさらっと読んでみるとさっくり解消できたりしないかな、と思います。
では、こちらをどうぞ。
『あたらしい哲学入門 なぜ人間は八本足か?』
丁寧に段階を踏み、「ここまではわかりますか?」と繰り返し問いかけてこられるので、自分がどこでつまづいているのかが自覚できると思います。
文春文庫版だと56~61pあたりで、ゼノンのパラドックスとアリストテレスの解決について述べられています。そこだけ書店で立ち読みしてもいいかもしれませんが(^_^;; 他のところも面白いので、よかったらぜひご一読ください。オススメです。
その結論は「時間は無限小に分割できる」という仮定に基づいていますから、その仮定を棄却して「時間は最小単位までしか分割できない(離散的な値を持てない)」という結論を得ればいいのでは?
そうであれば、最小単位の時間分に応じて「飛んでる矢」が動きますから、「飛んでる矢は止まっている」という結論が棄却できます。
真面目な話、「時間は無限小に分割できる」なんて仮定は、言うほど自明じゃないと思いますよ。
回答ありがとうございます。
飛んでる矢のパラドクスは、「時間が無限に分割できる」という仮定に立っていたのですか?
結局同じなのかもしれませんが、僕の考えでは「今この瞬間に全てのモノは一つの状態に確定している」という仮定に立っているつもりでした。
言い換えると、「いまこの世界全体の記述の仕方がただ一つだけある」というものです。
そしてこの仮定は自分では至極まともなものだと思っています。
ところが、その世界全体の記述の中には確定的な記述しか含まれていないので、変化や運動は締め出されてしまうのです。
そこが僕には納得できないと思っているところです。確定的に記述された世界に変化が含まれていないのは当然ですが、じゃあ変化はどこに行ってしまったんだろう、という疑問です。
時間の最小単位があると仰っていただきましたが、そうすると前の現在と後の現在がどう繋がっているのかという疑問が出てくると思います。
前の最小単位と後の最小単位が断絶していたとしたら、両者が同じ一つの時間に属しているということが言えず、別世界の歴史が始まるような話になってしまうと思うのです。個々のビーズを結ぶ紐はどうなっているんだろう、という疑問です。
自分で考えたことなのでまとまりがつかず申し訳ありません。
回答ありがとうございます。
2016/02/28 15:27:17時間が止まっている、というのは仮定っぽいですが、ただの仮定ではないと僕は思うんです。
これは、「現在の世界の状態が一つに決まっている」という素朴な信念とセットになった考えだと思います。
一つの対象が現実に二つの状態を同時に持つと考えるのは不合理ですから、対象化できる限りのものは一通りに記述できる、と考えれば、上の信念はわりとまともなものだと思います。
こう考えると、変化が締め出されてしまうのは当然のことですが、ではどうすればいいのかを知りたいんです。
僕はなりの解釈が含まれていてわかりにくかったらすみません。
「現在の世界の状態が~」以降の論旨がよくわからないので、的外れでしたらすみません。
2016/02/29 09:20:43僕は、時間が止まっているってのはやっぱり「ただの仮定」だと思います。
いや、そうでなくて、と言う話になるのであればそれはもうゼノンのパラドクスとは関係のない話なのかな、と思いますのでそういう前提で話をされた方がいいかもです。
ただ、推測ですけど、質問者さんの疑問の根源はもっと違うところにあるような気がしていて、高校で習う極限とか微分とかについて、解説書の類をさらっと読んでみるとさっくり解消できたりしないかな、と思います。