人権の「意義」を、
誰に対してでも理解させられるような
平易で簡潔な文面を教えてください
自由とは抑圧されていると感じない状態の事。
たとえば、「好き嫌いはいけません」、と言われてニンジンやピーマンを無理やり食べさせられる場合、当然ながらそこに自由はありません。ハンバーガーやスナック菓子など、自分の好きなものを好きなだけ食べられる、これが究極の自由です。しかし、分別のつく年齢になると、前者が健康によく、後者が健康に悪いという事を理解できるようになります。つまり、欲望の赴くままに行動するのか、自分自身のためと割り切って欲望を抑えるのかを取捨選択する自由というものが新たに生まれるわけです。結果、課せられた制限に従わないのも自由だし、課せられた制限に納得し素直に従うのもまた自由であるという事になります(ハンバーガーやスナック菓子を酒やたばこと置き換えた場合も同様です)。
平等とは対等な扱いをする事。
給食の配膳で、A君のカレーは大盛りでB君のカレーは量が少なかったら揉め事が起きる事でしょう。平等を担保する事は揉め事を回避するための手段として一定の効果があるという事です。しかし、平等である事が必ずしも最善であるとは限りません。Cさんは少食なため、平等な量で盛り付けされたら食べきれないかもしれませんし、Dさんはアレルギーを抱えているためそもそも食べられないかもしれません。それを平等なのだからとCさんやDさんに完食する事を強要するならばそれはそれで問題です。CさんやDさんの状況を省みて適切な調整を加えること、これが公正です(公正さを実践した場合、平等に一部歪みが生じる事は避けられません)。
http://buzzap.jp/news/20141111-equity-vs-equality/
このように究極的には公正の方が有益であり、平等そのものに欠陥がないわけではないのだけれども、より根本的な問題として、人種差別などの人としての尊厳を踏みにじるような不平等を内包する社会はとても人に誇れるものではないにも関わらず、かつてはそうした状況が幅を利かせていたということもあるので、それが平等という言葉が重視される要因となっているのではないかと推察します。
wikipedia:平等
博愛とは自分の利益を後回しにしてでも公正さ実践する姿勢。
大きな政府と小さな政府の問題のように、理想的な社会として抱く考えには個人差があるため、公正さの実践というのは匙加減が難しいというのもあるし、財政的な余裕がないためそこまで手が回らないという事もあるでしょう。世界のどこを探しても、今のところ完璧な社会と呼べるようなものは無いと思っていいです。そうした理想と現実の差を埋めるため、自身の資産や時間を一部犠牲にしてまでも弱者のために便宜を図る事、こうした行為が博愛の精神と呼ばれます。
人権の問題となるともう少し事情が複雑になります。まず考えるべき事は、自由は行き過ぎると社会に混乱をもたらすという事です。たとえば殺人をしてはならないというルールが無ければ、殺人をするのはその人の自由であるので人を殺したところで何の問題もない、という事にすらなりかねません(暴徒を組織して自分の意に沿わない人を集団で襲い、異分子を力ずくで従わせようとするような行為というのは歴史上決して珍しいことではありません)。したがって、殺人であるとか暴徒を組織するなど明らかに社会のためにならないであろう一部の自由は法律によって制限される事となります。これは社会秩序を守るためです。自分の生命や財産、あるいは名誉なども含めた人間としての尊厳を他人から脅かされる事なく安心して暮らせる社会、これが人権の守られた社会というわけです。ところがこの社会秩序の部分を度外視あるいは軽視して、自由という権利の部分ばかりを強調する人がいると、特に言論の自由の問題などで顕著なのですが、解釈の対立というものが生じると。結局のところ人権を脅かす相手というのは同じ人間なので、人と人との関わりにおいてお互いの尊厳を尊重し合うためには自身の自由を自制する必要に迫られるとでも言えばいいか。
…… アダムが耕し、イヴが紡いだとき、誰が領主だったか?
Ball, John 1338‥ca England 13810715 43 /Wat Tyler's Rebellion
────────────────────────────────
Gandhi, Mohandas Karamchand 18691002 India 19480130 78 /暗殺
♀Bourke-White, Margaret 19040614 America 19710827 67 /
https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/blog-entry-2313.html(19480130)
糸を紡ぐガンジー ~ アダムが紡いで、イブが撮った ~
https://q.hatena.ne.jp/1640775348#a1278895(No.2 20211231 02:17:06)
…… アダムがリンゴを食べ、イブが紡いだとき、どこに親はいたか?
https://tx696ditjpdl.blog.fc2.com/blog-entry-3347.html(19640923)
最下段の画像;丹後半島 〜 Cloudy 400 km 〜
自由とは抑圧されていると感じない状態の事。
たとえば、「好き嫌いはいけません」、と言われてニンジンやピーマンを無理やり食べさせられる場合、当然ながらそこに自由はありません。ハンバーガーやスナック菓子など、自分の好きなものを好きなだけ食べられる、これが究極の自由です。しかし、分別のつく年齢になると、前者が健康によく、後者が健康に悪いという事を理解できるようになります。つまり、欲望の赴くままに行動するのか、自分自身のためと割り切って欲望を抑えるのかを取捨選択する自由というものが新たに生まれるわけです。結果、課せられた制限に従わないのも自由だし、課せられた制限に納得し素直に従うのもまた自由であるという事になります(ハンバーガーやスナック菓子を酒やたばこと置き換えた場合も同様です)。
平等とは対等な扱いをする事。
給食の配膳で、A君のカレーは大盛りでB君のカレーは量が少なかったら揉め事が起きる事でしょう。平等を担保する事は揉め事を回避するための手段として一定の効果があるという事です。しかし、平等である事が必ずしも最善であるとは限りません。Cさんは少食なため、平等な量で盛り付けされたら食べきれないかもしれませんし、Dさんはアレルギーを抱えているためそもそも食べられないかもしれません。それを平等なのだからとCさんやDさんに完食する事を強要するならばそれはそれで問題です。CさんやDさんの状況を省みて適切な調整を加えること、これが公正です(公正さを実践した場合、平等に一部歪みが生じる事は避けられません)。
http://buzzap.jp/news/20141111-equity-vs-equality/
このように究極的には公正の方が有益であり、平等そのものに欠陥がないわけではないのだけれども、より根本的な問題として、人種差別などの人としての尊厳を踏みにじるような不平等を内包する社会はとても人に誇れるものではないにも関わらず、かつてはそうした状況が幅を利かせていたということもあるので、それが平等という言葉が重視される要因となっているのではないかと推察します。
wikipedia:平等
博愛とは自分の利益を後回しにしてでも公正さ実践する姿勢。
大きな政府と小さな政府の問題のように、理想的な社会として抱く考えには個人差があるため、公正さの実践というのは匙加減が難しいというのもあるし、財政的な余裕がないためそこまで手が回らないという事もあるでしょう。世界のどこを探しても、今のところ完璧な社会と呼べるようなものは無いと思っていいです。そうした理想と現実の差を埋めるため、自身の資産や時間を一部犠牲にしてまでも弱者のために便宜を図る事、こうした行為が博愛の精神と呼ばれます。
人権の問題となるともう少し事情が複雑になります。まず考えるべき事は、自由は行き過ぎると社会に混乱をもたらすという事です。たとえば殺人をしてはならないというルールが無ければ、殺人をするのはその人の自由であるので人を殺したところで何の問題もない、という事にすらなりかねません(暴徒を組織して自分の意に沿わない人を集団で襲い、異分子を力ずくで従わせようとするような行為というのは歴史上決して珍しいことではありません)。したがって、殺人であるとか暴徒を組織するなど明らかに社会のためにならないであろう一部の自由は法律によって制限される事となります。これは社会秩序を守るためです。自分の生命や財産、あるいは名誉なども含めた人間としての尊厳を他人から脅かされる事なく安心して暮らせる社会、これが人権の守られた社会というわけです。ところがこの社会秩序の部分を度外視あるいは軽視して、自由という権利の部分ばかりを強調する人がいると、特に言論の自由の問題などで顕著なのですが、解釈の対立というものが生じると。結局のところ人権を脅かす相手というのは同じ人間なので、人と人との関わりにおいてお互いの尊厳を尊重し合うためには自身の自由を自制する必要に迫られるとでも言えばいいか。
平易ではないとの発言を取り消していただけないのであれば、
残念ながら私の能力の遠く及ばないところのようでございますので、
ご要望には応じかねるようです。
一応、少しだけ調べてみました。まずは「意義」という言葉の再確認から。
https://kotobank.jp/word/%E6%84%8F%E7%BE%A9-431146
い‐ぎ【意義】
1 言葉によって表される意味・内容。「その語の本来の意義」
2 その事柄にふさわしい価値。値うち。「意義ある生活」
2番の意味である「価値」、こちらの方が平易なようですので、価値で検索。
https://books.google.co.jp/books?id=_gE4NRAGvmEC&pg=PA16&lpg=PA16&dq=%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E4%BE%A1%E5%80%A4&source=bl&ots=s2BRfiLfQc&sig=ttvAOqoL3DHeSkkxUE2II6ktorI&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwj16NOM2OvQAhUEGZQKHTAMA7cQ6AEISTAI#v=onepage&q=%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E4%BE%A1%E5%80%A4&f=false
また驚くべきことに、二十世紀に興隆した自由主義の諸思想においても、自由の概念は深く探求されていない。(中略)自由は、それ自体としては深みの無い概念であり、(中略)自由を哲学するためには、世間で言われるところの「相対化」をしなければならない。だがその探求を推し進めると、いったい自由の価値とはなんなのか、わからなくなってしまうのだ。
橋本努著『自由の社会学』11-12ページ
という事のようですので、自由についてはどの方角からアプローチした「自由の意義」なのか、例えば「言論の自由の意義」のように、もう少し対象を絞ってもらわない事には回答が困難なようです。
博愛は別にしても、平等や人権についても同じ事が当てはまりそうな気はします。
これ「だけ」で
現代人に意義が、「充分」に理解させられるでしょうか?
誰もが自分らしく、生まれてきて良かったと思える人生を送れるよう、
お互いを尊重しあい、譲り合いながら共同体のなかで共に生きていくために
それぞれの心のありかたとして必要です。
↓URL必須らしいのでWikiの博愛へのリンクを載せましたが、回答には無関係です
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E6%84%9B
なぜ?
なぜ、~人生を送れるよう なのか、
なぜ、心のありかたとして必要 なのか、
に直接繋がりませんし
#4さんの回答通りだと思います。
誰もが自分らしく、生まれてきて良かったと思える人生を送れるよう、
お互いを尊重しあい、譲り合いながら共同体のなかで共に生きていくために必要です。
>なぜ、~人生を送れるよう なのか、
>なぜ、心のありかたとして必要 なのか、
そう言った人生を人類の多くが求めているという前提があるから響くのだと思います。
逆に完全に無視した場合を想像すると理解しやすいかも知れません。
例えば、社会に不平等が蔓延する状態を続けると、民衆は必ず蜂起していますのでその社会制度が成立しなくなります。また、戦争などにより多くの財産が毀損しますし平均してみると利益の少ない非合理的な行動となると思うわけでそれは誰もが望んでないわけです。
利益が少ないとか戦争が好きとか特殊な思考を持っている場合にはこの理論は残念ながら通じません。
http://q.hatena.ne.jp/answer
平易ではないとの発言を取り消していただけないのであれば、
2016/12/11 16:01:19残念ながら私の能力の遠く及ばないところのようでございますので、
ご要望には応じかねるようです。
一応、少しだけ調べてみました。まずは「意義」という言葉の再確認から。
https://kotobank.jp/word/%E6%84%8F%E7%BE%A9-431146
2番の意味である「価値」、こちらの方が平易なようですので、価値で検索。
https://books.google.co.jp/books?id=_gE4NRAGvmEC&pg=PA16&lpg=PA16&dq=%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E4%BE%A1%E5%80%A4&source=bl&ots=s2BRfiLfQc&sig=ttvAOqoL3DHeSkkxUE2II6ktorI&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwj16NOM2OvQAhUEGZQKHTAMA7cQ6AEISTAI#v=onepage&q=%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E4%BE%A1%E5%80%A4&f=false
橋本努著『自由の社会学』11-12ページ
2016/12/11 18:13:30という事のようですので、自由についてはどの方角からアプローチした「自由の意義」なのか、例えば「言論の自由の意義」のように、もう少し対象を絞ってもらわない事には回答が困難なようです。
博愛は別にしても、平等や人権についても同じ事が当てはまりそうな気はします。