https://anond.hatelabo.jp/20171004091553 の件です。
増田の論調では、「もうほとんどの人が知ってるだろうから、トリックを書いてもネタばれにはならないでしょ」という論調ですが、
- 古すぎて、読んだことない人も結構いるでしょ
- 読んだことない人が少ないから、ネタばれして良い、というのは違う
と、思います。
で、本題。
「ネタばらししても怒られないであろうミステリ」は、あるでしょうか。
ミステリと言えば、某御大が提唱した「魅力的な謎と論理的な解決」(でしたっけ?)が、そのジャンルたらしめているところがあると思うのですが、「魅力的な謎」は最初に提示されるのが普通として、「論理的な解決」を未読時点でばらされた上で、圧倒的に楽しめる何かを持つ作品はあるのか、と。
ミステリを、よく読む人と、そうではない人で違うのかもしれませんが、よく分かりません。
「博士の愛した数式」はどうだろう、とか思ったのですが、あれは そもそもミステリなのか、という感じはします。
ヘルプミー
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「博士の愛した数式」はどうだろう、とか思ったのですが、あれは そもそもミステリなのか、という感じはします。
<<
引用が単なる段下げ、しかもちょっとだけに変わってからなんとなく違和感
まさに本質はそれで、
ミステリ=謎を楽しむもの なので、答えは、
そんなものはない
というのが建前だと思います。
純粋なミステリ以外でも、謎が作品の魅力の一部になっているものは、ネタバレするものではない。
ただ、【自力で謎が解けた時には感動する】だの、【かつて誰も考えなかった驚愕のトリック】だの、【ミステリ界で最後の不可能トリック】だの、【最後の数ページですべてが覆る】だの、【2重3重のどんでんがえし……】だのトリックがその作品に占める割合が多ければ多いほど、
トリックの宣伝が必要になってくるわけで、出版元なり作者なり、推薦者がネタバレ気味に煽っているところはありますよね。
脱線しかしませんが、
万人に、【ネタばらししても怒られないであろうミステリ】はゼロです。
ただ、読者側にも、いろんな姿勢があるので、一部の人にネタバレしても怒られない、一部の人がネタバレを望んでいるミステリはあると思います。
ミステリというくくりが広く、〇〇ダニットだけじゃなくなってたりもしますし。
謎抜きにして、読んでて心地よい森博士さんや西尾維新さんの作品とかあります。ミステリから始まったはずなのにシリーズを重ねるごとに謎とかどうでもよくなってくるやつですね。
キャラに魅力が出過ぎて。
そういうギリギリミステリに区分されている、あるいはもうミステリではなくなりつつある作品にしたって、トリックや謎を求めて読む人はゼロだとは言い切れないのかなぁと。
時刻表トリックなんて、単なるアリバイ崩しだし、ネタを知ったところで、へぇーそんな臨時列車があったんだーみたいな、わたしにとって何らビックリ仰天でもないし、ドラマでやってるようなの見てる視聴者もそこに驚きを求めてないような気もするのですが、それでもそうじゃない人が居るということは否定できない。
(西村さんのはちゃんと読んだことありませんので憶測で書いてます)
結局ケースバイケースですね。「作品と相手」をセットにして考えれば、なんぼでもネタバレしていい作品は多数ある。
脱線ついでに、ミステリ以外でも、誰々(超重要人物)が途中で死ぬ、ほとんど誰も生き残らない、伏線回収しないなど、初見にはびっくりだけれど、あまりにも有名すぎてほとんどの人が知っちゃってる感のある展開なども、
「みんな知ってることだし、知ってから読み始めても楽しめるし、ゆっちゃってもいいじゃん」
って考えは本来は捨てるべきであると。
歴史ものとかの史実をそのまま再現してる作品なんて、結末わかっちゃってるはずですが、
歴史なんて学んでこなかったから、一般人なら知ってる常識知らないひとが、関ヶ原の戦いの東軍と西軍どっちが勝つんだろう! まさか裏切り(←壮大なネタバレ)なんて起こるはずがないし!って読む人だって極論としては存在するのでしょう。
他のみなさんもご回答されているように、ある程度のネタバレが許容されているのが現状でもあって、原作から、ドラマ、映画で犯人や結末が変わる作品もある。
原作を読んだ、ドラマは見ない、だが結末が変わるなら見てみようと考える人 が居たとして、「原作と結末が変わっているよ」というのはセールスポイントなのでしょうが。
(結末が変わろうが変わるまいが)ドラマから入って原作も読んでみようと思う人にとってはネタバレでもある。
本来のミステリ好きには分類されないのでしょうけれど、わたしの場合、トリックとか別にどうでもよくって、なんか犯人がわかって解決したらいいやーって思ってます。
名探偵コナンとか人気が出てるのはそこなんじゃないかなーと。敵の黒幕という大きな謎を残しつつ、毎回のトリックにはそんなに力を入れてない(といったら失礼か)。
子供向けなので、複雑すぎるのはダメでしょうし、あれだけ回を重ねると、トリックも被るでしょうし、一応謎解きだけれども、そうじゃない見方も楽しめるというか。
これも個人的な偏見ですが、火曜サスペンス劇場とか、サスペンスとミステリってどう違うの? ってのはおいといて、元の作品はそれなりにミステリだったりするのですが、犯人が誰か、動機は? どんなトリックを使ったか? なんてのはあんまり興味がなくて、事件が解決されること事態を求めて視聴している人が多そう。水戸黄門とか戦隊ヒーローものとかのテンプレと同じですね。
仮面ライダーとか、子供は仮面ライダーの活躍、新しい変身形態とかを重視してますが、大人はドラマパートにぐいぐい惹きこまれている。
水戸黄門にしたって、事前情報無しに見たら、果たして黄門一向は悪代官の悪事を暴けるのか?
ハラハラできますし、
「えー! おっさん! 越後のちりめん問屋だと思ってたのに、先の副将軍かよ!」ってビックリ仰天の展開です。
何が言いたいかわからなくなってきましたが、ミステリそのものも、読者も多様化してきたことはいいことなんじゃないかなと思います。
(読者のミステリに求めるものが)多様化してきたからこそ、相手に合わせた心遣いをすることが必要なんじゃないですかね?
質問なんでしたっけ?
たとえば、ある人にこう言われたらどうだろう。
「ミステリって、食わず嫌いだったんだけど、古典の古典から読んでみたいんだけど、いい本ない?」
古典の中の古典とすれば、
そして誰もいなくなった、も
オリエント急行殺人事件、も
まだらのひも、も
アクロイド殺し、も
Xの悲劇、も
黒猫、も
挙げないとおかしなことになる。でも、原典を示さずにトリックだけがばらされていて、その人がトリックは既知だったとする。
すると、
「ミステリってつまんね」
という結論になる。
大人は言うに及ばず、まだ古典さえ読んでいない小中高生、沢山いるでしょう。そこにトリック・犯人・動機を開示することは
「許されない」
ことだと断言できる。
「ねえ、この主人公死んじゃうのかな」と思いながら読み進んでいる小説だって、
「そいつ死なないから」
すれ違いざまに言い放たれたら、以降主人公がホントは死んでしまうとしても、興をそぐことになることは明白。「犯人はヤス」と告げることが、ミステリ読みの心臓をえぐる行為であることと同様。ミステリに限らず、読んでいる人の意思に反してネタをバラすことは、極論を言えば、死刑に値する行為と思っていただいてよいと思う。どんなに陳腐でも、どんなに使い古したトリックでも、全ては読んだ人だけが行ける領域。
実際、私が小学生の頃、ミステリのトリック集的な本を読んでしまい、まさにオリエント急行などの古典的ミステリのトリックの大半を手に入れてしまったわけで。それから何年か経って、海外ミステリに手を出した途端、
「あれ、このトリック知ってる。これは、犯人がこうだったよね…」
結構興ざめだったこともあり、海外古典ミステリから遠ざかるきっかけとなってしまっていた。古典だからいいだろうと思って作られたに違いないと思う。
『ラスト5分を見逃すな』『意外な犯人にあなたも驚く』『原作とは違う犯人』
等々もネタバレとは言わないが、ルール違反だと思う。作品名は言わないが、何の気なしに借りてきたDVDのラストが超カタルシスだった映画の面白かったこと。予備知識無しに読み始めた時代物が、意外な人物につながっていたなど、知らない方が面白いことは数多く存在する。
知りたがりがいて、言いたがりがいることはわかる。でも、耳をふさがなければならない環境を作らないでほしい。閉じた空間で、言いたがりが知りたがりに話してくれることは誰も止めない。知らずにネタに触れてしまった残念さは、ゴーストバスターズ(1ね)のラストの一枚の写真を見てしまったことで実感済み。ほんと、「あれさえ見なければ」と悔やんだものです。
結論として、
1 ネタバレしていいミステリは無い
2 ミステリに限らず、ネタバレしていい小説・映画・演劇はない
3 ネタバレ以前に、「これ叙述トリックだよね」「この作家は女性が犯人が多い」「ギャラから考えればこの人以外に犯人いないよね」等もご法度にしてほしい。
です。
人に本を貸すときには、相手にこう聞かれたら
「どんな本なの?」
こう答える。
「とにかく読んでみて。それ以上言うと興ざめだから。面白かったら、飲み明かそう」
江戸川乱歩やルブランやドイルまで遡れば逆に読んだことのない人が増えてくるね。
《トリックは陳腐だけどストーリーで読ませるもの》だと、島田荘司のアトポスとか水晶のピラミッドとか、エーコの薔薇の名前あたりを思い浮かべますが、それにしたって、物語にまっさらな状態で触れられるのは最初の一回きりですからね! 読者の了承無くネタバレするのはもってのほかだと思います。
あ、答えがないという質問かもしれないということを失念してました。
はてなのサービス内で、読書歴がうかがえない方は、回答する際に、その辺りもちょっとふれてもらえると助かります m(_ _)m
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「博士の愛した数式」はどうだろう、とか思ったのですが、あれは そもそもミステリなのか、という感じはします。
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引用が単なる段下げ、しかもちょっとだけに変わってからなんとなく違和感
まさに本質はそれで、
ミステリ=謎を楽しむもの なので、答えは、
そんなものはない
というのが建前だと思います。
純粋なミステリ以外でも、謎が作品の魅力の一部になっているものは、ネタバレするものではない。
ただ、【自力で謎が解けた時には感動する】だの、【かつて誰も考えなかった驚愕のトリック】だの、【ミステリ界で最後の不可能トリック】だの、【最後の数ページですべてが覆る】だの、【2重3重のどんでんがえし……】だのトリックがその作品に占める割合が多ければ多いほど、
トリックの宣伝が必要になってくるわけで、出版元なり作者なり、推薦者がネタバレ気味に煽っているところはありますよね。
脱線しかしませんが、
万人に、【ネタばらししても怒られないであろうミステリ】はゼロです。
ただ、読者側にも、いろんな姿勢があるので、一部の人にネタバレしても怒られない、一部の人がネタバレを望んでいるミステリはあると思います。
ミステリというくくりが広く、〇〇ダニットだけじゃなくなってたりもしますし。
謎抜きにして、読んでて心地よい森博士さんや西尾維新さんの作品とかあります。ミステリから始まったはずなのにシリーズを重ねるごとに謎とかどうでもよくなってくるやつですね。
キャラに魅力が出過ぎて。
そういうギリギリミステリに区分されている、あるいはもうミステリではなくなりつつある作品にしたって、トリックや謎を求めて読む人はゼロだとは言い切れないのかなぁと。
時刻表トリックなんて、単なるアリバイ崩しだし、ネタを知ったところで、へぇーそんな臨時列車があったんだーみたいな、わたしにとって何らビックリ仰天でもないし、ドラマでやってるようなの見てる視聴者もそこに驚きを求めてないような気もするのですが、それでもそうじゃない人が居るということは否定できない。
(西村さんのはちゃんと読んだことありませんので憶測で書いてます)
結局ケースバイケースですね。「作品と相手」をセットにして考えれば、なんぼでもネタバレしていい作品は多数ある。
脱線ついでに、ミステリ以外でも、誰々(超重要人物)が途中で死ぬ、ほとんど誰も生き残らない、伏線回収しないなど、初見にはびっくりだけれど、あまりにも有名すぎてほとんどの人が知っちゃってる感のある展開なども、
「みんな知ってることだし、知ってから読み始めても楽しめるし、ゆっちゃってもいいじゃん」
って考えは本来は捨てるべきであると。
歴史ものとかの史実をそのまま再現してる作品なんて、結末わかっちゃってるはずですが、
歴史なんて学んでこなかったから、一般人なら知ってる常識知らないひとが、関ヶ原の戦いの東軍と西軍どっちが勝つんだろう! まさか裏切り(←壮大なネタバレ)なんて起こるはずがないし!って読む人だって極論としては存在するのでしょう。
他のみなさんもご回答されているように、ある程度のネタバレが許容されているのが現状でもあって、原作から、ドラマ、映画で犯人や結末が変わる作品もある。
原作を読んだ、ドラマは見ない、だが結末が変わるなら見てみようと考える人 が居たとして、「原作と結末が変わっているよ」というのはセールスポイントなのでしょうが。
(結末が変わろうが変わるまいが)ドラマから入って原作も読んでみようと思う人にとってはネタバレでもある。
本来のミステリ好きには分類されないのでしょうけれど、わたしの場合、トリックとか別にどうでもよくって、なんか犯人がわかって解決したらいいやーって思ってます。
名探偵コナンとか人気が出てるのはそこなんじゃないかなーと。敵の黒幕という大きな謎を残しつつ、毎回のトリックにはそんなに力を入れてない(といったら失礼か)。
子供向けなので、複雑すぎるのはダメでしょうし、あれだけ回を重ねると、トリックも被るでしょうし、一応謎解きだけれども、そうじゃない見方も楽しめるというか。
これも個人的な偏見ですが、火曜サスペンス劇場とか、サスペンスとミステリってどう違うの? ってのはおいといて、元の作品はそれなりにミステリだったりするのですが、犯人が誰か、動機は? どんなトリックを使ったか? なんてのはあんまり興味がなくて、事件が解決されること事態を求めて視聴している人が多そう。水戸黄門とか戦隊ヒーローものとかのテンプレと同じですね。
仮面ライダーとか、子供は仮面ライダーの活躍、新しい変身形態とかを重視してますが、大人はドラマパートにぐいぐい惹きこまれている。
水戸黄門にしたって、事前情報無しに見たら、果たして黄門一向は悪代官の悪事を暴けるのか?
ハラハラできますし、
「えー! おっさん! 越後のちりめん問屋だと思ってたのに、先の副将軍かよ!」ってビックリ仰天の展開です。
何が言いたいかわからなくなってきましたが、ミステリそのものも、読者も多様化してきたことはいいことなんじゃないかなと思います。
(読者のミステリに求めるものが)多様化してきたからこそ、相手に合わせた心遣いをすることが必要なんじゃないですかね?
質問なんでしたっけ?
そういえば、「自分で推理してやるぞー」、って思って読んだこと、あまりないかも。
頭の片隅には、そういう気持ちがなくはないんだと思いますが、クイーンにも負けっぱなしだしなあ。
思ったのですけれど、推理小説(ミステリって言ったほうが良い?)って、伏線を必ず回収します宣言をしている文学なのかな、とか。
探偵役が謎を解き明かす、という伏線の回収があることが予め分かってる。
謎が不可能な状況での殺人じゃなかったり、伏線の回収が探偵のナゾトキじゃなかったりすると、ミステリジャンルの辺境区に近づいていく。
とか。
文学から派生した論理クイズなんでしょうね。そもそもは(&人によっては)。必ず読者が正解に至るということが保障され出したので。
そういえば、キャラが強すぎて純粋なミステリではなくなってますが、ガリレオシリーズの聖女の救済は個人的にトリックはしょーもなかったですが、楽しめました。
あれも、頭ひねっていろいろ考えて、降参してからトリック知ったらすごいトリックだ! って思ってたかも知れませんが。物語として読んじゃうんですよね。
結局、推理小説って、探偵(役)が、強大な敵(謎、犯人)に立ち向かう英雄譚なので、物語としても面白い側面はあるのでしょう。
各地を巡って武器や封印解くのに必要なアイテム得て(情報、証拠集め)、ラスボスを倒す。敵が強大で勝てそうにないと思えば思うほど、爽快感が得られる。
コロンボとか、古畑とかは、ラスボス=犯人 ですが、それがアリバイ崩しだったり、密室だったりなのかなと思たり。
コメント欄で「ネタバレはダメ!ゼッタイ!」と口すっぱく言ってきたので回答欄にしゃしゃり出るのは気が引けるのですが、
補足欄の《答えがないという質問かもしれない》は「質問者からの挑戦状」かもと刺激されて、答を考えてみました。えっとですね、
絶版になっている・版権が無い・今後も出版の見通しが無いなど、非常に入手困難な作品であるが、トリックやストーリーに見るべき部分があり、その存在を広く伝えたほうがいい作品については、ネタバレしても仕方ないかなと。
具体的にどの作品?と問われるとすぐにはタイトルを思い出せませんが、何かの解説本で、読める見込みが無いのに詳細を伏せられて困った思い出があります(いつか復刊するかもしれない、という配慮なのでしょうけど)。
…って、ここまで書いたところで、wikiが「wikiは百科事典だからネタバレするよ!非表示にするなどの配慮もしないよ!」とすがすがしいまでに言い切ってるのを知りました。まじかー。
百科事典としての性質上、ウィキペディアにはネタバレが含まれます。また編集者はネタバレに対して特別な配慮を行う義務を負いません[3]。その情報が作品の持つ重要性を説明し、あるいは物語全体の構造を説明するのに必要なものなのであれば、ネタバレを記述することに躊躇しないでください。またそれがネタバレであるからという理由で、記事から記述を除去したり、意図的にその情報を省略したりするべきではありません。
Wikipedia:あらすじの書き方 - Wikipedia
ウィキペディアの記事にはネタバレがあると一般に予想されます。ネタバレという理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません。また、非表示にしたり読み飛ばすためのリンクを設けたりするなど、読者の目に入りにくくするための特別な配慮もすべきではありません。そのような動機によって中立的な観点、百科事典としての在り方、完全性、その他の記事の品質を司る要素を妨げてはいけません。
(略)
ウィキペディアでは記事にネタバレが含まれる場合であっても「ネタバレ警告」を表示しません。「ネタバレ警告」が無いからといってネタバレが無いとは考えず、ウィキペディアの記事には常にネタバレが含まれているという前提でいてください。
Wikipedia:ネタバレ - Wikipedia
今や、前知識なく新鮮に驚けるというのは、貴重な体験なのかもしれません。
■追記[2017/10/24 19:35ごろ]
これなら大丈夫かなどうかな?
ルース・レンデル『ロウフィールド館の惨劇』
冒頭の一行で犯人、被害者、動機が明かされ、3頁までで個別の被害者名、共犯者、殺害方法も全て明らかになります。
以降は「いったい何でまたそんなことになっちまったのか」という経緯が明かされるのですが、そこはいくらネタバレ(要約)されてもわかりにくい。些細なことの積み重ねから破局に至るまでをとにかく読んで見届けるしかない、という仕組みになっております。
お。探してみます。
少し、予習してから読んだほうが良いかな?
まあまあ、良い感じに忘れていますので。
頑張って探すほどじゃないんで、巡りあえたら読むくらいでよろしいかと。予習は極力しないほうが。
なんだか「魅力的な密室ミステリ」を募集してみたくなってきました(^_^;ゞ
そういえば、「自分で推理してやるぞー」、って思って読んだこと、あまりないかも。
2017/10/07 16:39:14頭の片隅には、そういう気持ちがなくはないんだと思いますが、クイーンにも負けっぱなしだしなあ。
思ったのですけれど、推理小説(ミステリって言ったほうが良い?)って、伏線を必ず回収します宣言をしている文学なのかな、とか。
探偵役が謎を解き明かす、という伏線の回収があることが予め分かってる。
謎が不可能な状況での殺人じゃなかったり、伏線の回収が探偵のナゾトキじゃなかったりすると、ミステリジャンルの辺境区に近づいていく。
とか。
文学から派生した論理クイズなんでしょうね。そもそもは(&人によっては)。必ず読者が正解に至るということが保障され出したので。
2017/10/07 22:10:22そういえば、キャラが強すぎて純粋なミステリではなくなってますが、ガリレオシリーズの聖女の救済は個人的にトリックはしょーもなかったですが、楽しめました。
あれも、頭ひねっていろいろ考えて、降参してからトリック知ったらすごいトリックだ! って思ってたかも知れませんが。物語として読んじゃうんですよね。
結局、推理小説って、探偵(役)が、強大な敵(謎、犯人)に立ち向かう英雄譚なので、物語としても面白い側面はあるのでしょう。
各地を巡って武器や封印解くのに必要なアイテム得て(情報、証拠集め)、ラスボスを倒す。敵が強大で勝てそうにないと思えば思うほど、爽快感が得られる。
コロンボとか、古畑とかは、ラスボス=犯人 ですが、それがアリバイ崩しだったり、密室だったりなのかなと思たり。