昭和研究会のメンバーは殆どが朝日新聞社の重鎮だったのですか?

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  • 終了:2018/06/13 16:55:04

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 朝日新聞社の重鎮というからには、相応の役職で、社内外に存在感が
なければならず、下記のリストで見るかぎり、いささか数が多すぎる。
 これを「殆ど」と称すれば、昭和研究会が軽く見えて、底が割れる。
 
…… 重鎮;(おもしの意から)ある社会・分野で重きをなす人物。
「財界の重鎮」。類語;首脳・幹部・要人。関連語;元老。
── デジタル大辞泉(小学館)
 
…… 1936年11月,近衛文麿のブレーン・トラストとして成立し新体制
運動に知的影響を与えた研究団体。後藤隆之助によって設立され,
賀屋興宣,風見章,蝋山政道,笠信太郎,尾崎秀実,三木清ら,新官僚,
転向知識人などを会員として国策研究にあたった。その主要な主張は,
アジア民族の運命共同性,東アジアのブロック経済化,東洋文化の保守
など,いわゆる「東亜協同体」論であった。だがこの団体でさえもやが
て左派思想に傾きすぎているとして攻撃され,大政翼賛会成立後の1940
年11月,解散した。── ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
 
 後藤 隆之助 昭和研究会を設立
 賀屋 興宣  朝日新聞社より著書2冊
 風見 章   元朝日新聞記者
 蝋山 政道  朝日新聞社より著書2冊
 
 笠 信太郎  1936年1月朝日新聞社に入社し、同年9月論説委員となる。
同じく朝日新聞社論説委員の佐々 弘雄や記者の尾崎 秀実らと近衛 文麿
のブレーン組織「昭和研究会」に参加してその中心メンバーの一人となり、
近衛を取り巻く朝食会(水曜会)のメンバーともなった。
 
 尾崎 秀実  朝日新聞社記者
 三木 清   昭和研究会の節の加筆が望まれています(Wikipedia)。
http://www.nipponkaigi.org/ 日本会議
 

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