匿名質問者

次のWikipediaの記事について、素人的な疑問があります。


>①「アンギャン公( duc d'Enghien)は、フランス貴族の爵位。アンギャンとは、エノー地方(現ベルギー)にある地名(fr)である。ブルボン=ヴァンドーム伯フランソワの元へ輿入れしたマリー・ド・リュクサンブール=サン=ポルが持参金としてもたらしたもので、当初は伯爵領であった。

>②第1期(1566年 - 1569年)1566年、上記のマリー・ド・リュクサンブールの孫にあたるコンデ公ルイ1世のアンギャン伯爵位が公爵に昇格した。登記が完了していなかったため、1569年、彼の死とともに失効した。
~~~~~ 
質問1:マリー・ド・リュクサンブール=サン=ポルが持参したときは、伯爵領であったということですが、これはもともとフランスの伯爵領と認識してます。ですから、フランス王への臣従義務が付随していると思うんですが、この理解で、大丈夫でしょうか。もしも、ドイツの伯爵領であれば、ドイツ王への臣従義務が付随していると思います。
質問2:公爵位として登記未了ということですが、伯爵位としては、子孫に残せそうな気がしますが、どうなってるんでしょう。この文だけではわかりませんでした。

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  • 終了:2018/09/08 02:15:05

回答2件)

匿名回答1号 No.1

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%AB

マリー・ド・リュクサンブール(Marie de Luxembourg(-Saint-Pol), ? - 1547年4月1日)は、ヴァロワ朝期のフランスの貴族女性。


https://en.wikipedia.org/wiki/Enghien

In 1566, the county of Enghien was elevated to a duchy-peerage.

とあるので公爵位が与えられたのは人物ではなく土地の方だったのでしょう。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1128250226

爵位は、基本的に領土に与えられますから

匿名質問者

有難うございます。
>『In 1566, the county of Enghien was elevated to a duchy-peerage. 』
>とあるので公爵位が与えられたのは人物ではなく土地の方だったのでしょう。

 とのご説明を有難うございました。

 伯爵領としての領地が、公爵の格式に、上昇した。
 という風に読めます。
  >「伯爵領という格の領地」だったけど、
  >「公爵領という領地」になった。
 というふうな感じだと思いました。有難うございます。
 主語は、カウンティという土地を意味する言葉で、
 目的語?が、デユーキーという領地を意味する言葉、
 この場合、領地の格式が上がったということですね。
 別に広くなったわけではなく、上がったという感じです。

 新たに、疑問になったのですが、
 この領地を「elevate する」というのは、王様の勅許状でおこなうのでしょうか?
 ということが気になりました。

2018/09/03 01:44:49
匿名回答2号 No.2

とりあえず混乱を避けるため、本回答文では
Princeは「親王」、Ducを「公爵」で記述を統一します。



まず匿名回答1号氏の引用されている
「爵位は、基本的に領土に与えられますから」という言葉には注意が必要です。

これは正しくあり間違ってもいます(分かりやすい日本語で言い替えると「参考にしない方がよい」です)。


例えばコンデ親王Prince de Condéは
「ルイ(1世)・ド・ブルボン=コンデを祖とする家系の長に与えられた称号」としか言い様がなく、土地とはあまり関係ありません。

たしかにコンデ村というのがあってそこにはコンデ城がありそれが家名(分家名)の由来ですし、割とコンデ家の人々が滞在してますが日本人の感覚的には領地と言うよりは御料地・御用邸の類です。伏見宮が栄仁親王の子孫の家名であって、伏見御料の領主の称号ではないのとほぼ同じと理解すればいいでしょう。


さて、ほぼ同時代に伯爵から公爵になった人がいます。他でもない、ルイ1世の父親であるシャルル・ド・ブルボンです。
ヴァンドーム伯爵の長男として生まれたシャルルは軍人として活躍して、その功績としてヴァンドーム伯爵からヴァンドーム公爵になっています(これも土地と言うよりは人に紐付けて考えるべきでしょう)。

アンギャン公爵も基本的には
「ルイ・ド・ブルボンは軍人といて活躍してるから新たに公爵にしようぜ」ということで成立した称号です。
『アンギャン伯爵位が公爵に昇格した』はあまり正確な記述ではありません。



さて、シャルル・ド・ブルボンと結婚したマリー・ド・リュクサンブール=サン=ポルの持つ爵位は「アンギャン伯爵」ではありません。彼女の持ってきたのはウィキペディアに記述されているとおり「サン=ポル女伯、マルル女伯、ソワソン女伯」の3つです。

ではアンギャンとは何なのかと言えば、これもウィキペディアでマリーの父親のピエール2世・ド・リュクサンブール (サン=ポル伯) の項目を見れば分かります。
『父は1475年、シャルル突進公と組んでフランス王ルイ11世に対する陰謀を企てたため、反逆罪で処刑された。このためピエールは父の所領の大部分を没収され、アンギャンの所領のみを相続した』
アンギャン自体は伯爵領の一部(一部資料では男爵領と記述されています)である小領地に過ぎません。
じゃあ「アンギャン伯爵」とはなんぞやという疑問がでるわけですが、どうやらシャルル・ド・ブルボンとマリーの息子の一人、ルイの兄にあたるフランソワ・ド・ブルボン

https://fr.wikipedia.org/wiki/Fran%C3%A7ois_de_Bourbon_(1519-1546)

が名乗ったのが最初のようです。フランソワの死後はやはりルイの兄であるジャンが保持したようです。
1557年にそのジャンが亡くなったことで、彼が持っていたアンギャン伯爵位とソワソン伯爵位をルイが継承します。

ですので、ルイは公爵になるに際して、「ソワソン公爵」を選ぶことも出来たはずですが、思い入れがあったか何かで「アンギャン公爵」の方にしました(ソワソン伯爵位はルイの末子であるシャルルの方に受け継がれることになります)。


さて、手続き不備でアンギャン公爵位は成立しませんでしたが、アンギャン伯爵位は以後もコンデ家本流に引き継がれていくことになります。
それどころか、英語版

https://en.wikipedia.org/wiki/Duke_of_Enghien

の記述を見ると、登記不備だっただけで実質は公爵になってたんだから別に構わないだろう、とばかりにコンデ親王家の嫡男は代々儀礼称号としてアンギャン公爵を名乗る習わしになります。まあ儀礼称号とはそういうものだと言ってしまえば実際そんなものかもしれません。

他3件のコメントを見る
匿名質問者

匿名回答2号さま

アンギャン公爵位の顛末についてありがとうございました。アンギャン伯爵位として、以後もコンデ家本流に引き継がれていくということ、ありがとうございます。

2018/09/03 22:35:53
匿名質問者

匿名回答2号さま

 次のふたつの点もありがとうございます。

 ルイが、自らの保有する伯爵位(アンギャンと、ソワソン)の
 どちらかを、公爵にするというとき、
 選択することができたみたいだということ、
 フランスは柔軟であるなぁ、と思いました。
 アンギャン公の称号も、手続き不備で正式なものと
 ならなかったにもかかわらず、
 嫡子が、アンギャン公を儀礼称号として名乗ってしまう
 そういうような柔軟さがあるのだなぁ、と思いました。

 爵位をそれぞれ別々に相続できるというのも、
 柔軟な扱いだと思いました。
 ソワソン伯位を末子が継いていくということですが、
 爵位を、子供それぞれに継がせていくことが可能ということ、 
 とても、柔軟であるなぁ、と思いました。
 領地をそれぞれに 分割して相続させるからかもしれませんが、
 それぞれの爵位のカバーする領地の範囲と合わせるように、
 封土も分割するだろうかな、と思います。

2018/09/03 22:44:47
匿名質問者

質問者から

匿名質問者2018/09/05 00:24:19

質問1 がわかりにくかったと思うので、直します。

「直す前」:マリー・ド・リュクサンブール=サン=ポルが持参したときは、伯爵領であったということですが、これはもともとフランスの伯爵領と認識してます。ですから、フランス王への臣従義務が付随していると思うんですが、この理解で、大丈夫でしょうか。もしも、ドイツの伯爵領であれば、ドイツ王への臣従義務が付随していると思います。

「直した後」:マリー・ド・リュクサンブール=サン=ポルが持参したときは、伯爵領であったということですが、これはもともとフランスの伯爵領ゆえ、フランス王への臣従義務が付随していると思います。嫁ぎ先も、フランス王の臣下ですから、問題ないですが、もしも、嫁ぎ先が、ドイツ王の臣下であれば、単純に持参金として持っていくことはできないと思います。

逆に、彼女がドイツ王国の中の領地(伯爵領)を、フランス貴族に嫁ぐ時に持参すると、同じく、単純に持っていくことはできないと思います。

伯爵や公爵が、人に対する(或いは家系に対する)ものか、土地(領地)に対するものか、という話と同時に、主君は誰か(誰により授爵されるのか、誰から与えられる崩土か)という点があると

想定したという次第です。

 (注)匿名回答2号さまがご指摘くださいましたが、

  彼女が持参したものには、

  アンギャン伯というものはなかったということでした。

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