基本的には「問う」ために「論じる」、そして答える。のかなと思いますがいかがですか?
もちろん論じる手法として問いまくるというのはありますが、それは本質というよりそういう表現技法だと思うので
論ずることは何かを見つける手段です。
問うのは目的があるから問いが出てくるのであって、必ずしも正解を求めて問うのではない。
欲望の質と量という言葉を聞いたことがあると思いますが、現在の私たちは欲望の質が低く量が少ない。
ネットで遊びすぎて薄くてパターンな情報に染まっているから求める物を見つけられない。
現実との落差はストレスとなり、欲求不満だけが貯まり徐々に情報に依存していきます。
後半はちょっと考えてみないとまだ理解できないですが、量が少なく、それでいて質が高い情報が交換できたら良いのだとは分かりました
欲望の質が低く量が少ないから目的が見つけられない。
情報依存とはそういう人のことで、依存していない人の方が少ないのが現状でしょう。
問いがない状態で論じるということはないですかね?学会にポイント稼ぎの論文書いてたから感覚がおかしいのかな?私が
>ポイント稼ぎの論文
便宜上の問があったのでは。