キリスト教、イスラム教の教典を両方読みましたが、これらの古代の小説はキリスト教→イスラム教の順に発刊されてます。最初に小説を書いたキリスト教はイスラムを発祥の舞台設定とした。普及し過ぎたので、焦ったイスラムはイスラム教という小説を書いた。ユダヤ教は知らないけど、イスラム人がイスラムの地をキリスト人に取られないようにイスラム教の聖書という物語が書かれた時点ではすでに分裂していたと思います。イスラム教の教典が発刊されたとには分裂していたのでキリスト教の教典が発刊された年とイスラム教の教典が発刊された年の間だと思います。
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匿名回答2号 ベストアンサー |
直接の回答ではありませんが…
現在もエルサレムの聖墳墓教会では毎朝キリスト教の牧師がイスラム教徒から鍵を受け取って扉を開けます。鍵はイスラム教徒に預けてあるからです。
こういう対応が現実的なもので、現地では長い歴史のなかで共存する道が築かれてきました。近代国家の領土意識や時の政府の方針で争いになることはあっても、長い歴史のなかでは平和と共存が培われきました。圧倒的な経験値の高さが生み出した共存方法は素晴らしいと思います。
経験がない、外にいて現地の現実を知らない、時代を経たのでリアルにわからな…そういうセンスからは異なる者同士は争うとか排除し合うという先入観を持ってしまいますが、現実はまったく違います。ある意味で国家や政府がいちばん迷惑になる原因であることもあるのでしょう。1000年や2000年積み重ねてきた経験値は貴重だと思います。
(補足) キリスト教とイスラム教の共存関係ですが、聖墳墓教会の鍵の件でなんとなく分かりました。教会内部に入るための鍵ですね。このような関係がいつからなのだろう、とご存じの方がおられると嬉しいです。
ユダヤ教の件ですが、嘆きの壁は、聖墳墓教会のような建物ではなく、昔の神殿の壁に過ぎないという点では、鍵というものには馴染みにくいかと感じました。神殿として残っておれば別ですが、廃墟になった神殿の壁の場所に行くための許可としての鍵を渡すというのは、考えにくいですから。
なんせ昔の事なので記憶も定かではありませんが、エルサレム自体は各派がそれぞれ独自にわが聖地としていたと思います。
地区割りなんてのは2次大戦後のイスラエル建国以後の事で、政治的なものであって宗教的な理由ではありません。