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イエルサレムのことですが、旧市街は城壁で囲まれているということですが、この城壁はいつごろできたんでしょうか?
併せて伺いたいのですが、現在のムスリム地区、キリスト教地区、ユダヤ教地区、アルメニア人地区という区分けはいつごろからなのでしょうか。
( 城壁ができてから後なのでしょうか。
また、最初から、4区分だったんでしょうか、
そこのあたりも知りたいです)。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸能・タレント 書籍・音楽・映画
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● 匿名回答1号

ネヘミヤ記には城壁を再建したとあるから
昔からあったんでしょ
モーセの後継者としてヨルダン入りを果たしたヨシュアの時代ですら
エリコの城壁に言及してるくらいだし
国境が陸続きの大陸では城壁のある町なんて珍しくもないだろう
国家の首都ともなればなおさらあって当然なんじゃないかと思うけど

現存する城壁は誰がって意味ならウィキペディアには
「スレイマン1世によって1538年に建造された」とある
でもヘロデ大王が作った門が残ってるって事は
紀元前から残ってる壁も存在するって意味のはずであり
それは万里の長城を秦の始皇帝が作ったと言われてるが実際は
超の長城、燕の長城、斉の長城の間を繋げて一つにしたのと一緒で
昔からある壁がリサイクル利用されてる部分が多分にあると思う

後半の質問は
https://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/dl/publications/no_0702/214-237.pdf
1.3 旧市街のユダヤ化
が回答になるんじゃないかと思う

こっちの資料でも
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/yamataka/iwagami.pdf
17ページ目の水色で囲まれた1850年当時のユダヤ人居住エリアは
ものすごく小さかったりするし20ページ目の表3でも
約30年でユダヤ人人口が15倍くらい増えてるようだ


匿名質問者さんのコメント
ありがとうございます。 「城壁を築いたのは、スレイマン大帝」ということはオスマン帝国の支配地だったころに築いたのですね。ありがとうございました。余談ですが、この時の線引きはどういう基準であったろうと思いました。 後半の質問に関連しますが、 もともとは(1948年より前)、キリスト教地区、アルメニア地区、マグリグ地区、ムスリム地区、ユダヤ地区があった。 1948年以降は、キリスト教地区、アルメニア地区、マグリグ地区、ムスリム地区となった。つまり、ユダヤ地区がなくなった。 1967年以降にマグレブ地区というのがなくなり、ユダヤ地区が復活拡大し、キリスト教地区、アルメニア地区、マグリグ地区、ムスリム地区、ユダヤ地区となった、 とまずは理解しました。ありがとうございます。 1948年までの変遷についても、いつかは知りたいと思っております。
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