共産党は私の指示する政党ではないので、昔大学の法学部で勉強していた頃の知識と支持政党ランダスパルタイの私としての勉強経験から書かせてもらいます。
(1)政治行動(国や自治体でなければ出来ない行い)を決定したり、どの様にしたらいいか提案することの、基準になる考えかたを、「その構成する人々が協同してあたる」という事を第一の前提にして集まった団体の主義ということです。「共産主義」を「協同主義(或いは共同主義)」と言っても全く同意味です。
(2)「いくら働いても給料一緒」ということや「労働者は私有財産を認めない」という考え方は、特に共産主義を成立させるための要件ではないと考えられます。ただ、そう言われても何もいえない状態の国が過去にありましたし、それで崩壊した話もあるのは事実です。
あくまで「財産も人々の持てる技能も、国や地域の管理運営をする為に、協同してことをなせるように出し合いましょう」という主題を同意して集まって共同体社会を作っているということです。
(3)それは、まえの二項に書いたように人々が集って行動するということは、シッカリとした話し合いと事実にもとづく主張によって、構成する人々のお互い一人ひとりが信頼関係を築かなければなりません。
それで、シッカリとした事実を検証しようと努力する人やきちんと話し合って物事を決めようとする人々の集まりは、誤魔化しを隠して統治しようとする権力者にとっては、自分達の搾取行動の安泰を終わらせる危険を持つ者として敵として位置付けられるのです。
たとえ共産主義を基調にして出来あがったはずの国や地方自治体でも、一旦権力を掌握してしまった政治権力者たちが汚職や政治的腐敗に慣れ親しんでしまって、それを「我が物として維持し続けたい」と考えたときは、同じ共産主義の考えで参集した人々であっても、事実を検証し良く勉強し積極的に話し合いをしようと志向する人達は邪魔者にされて適当な罪をでっち上げられて粛清として排除されることが時々あるのです。
(4)共産主義を過去の主義ということは間違いです。
国でも地方自治体でも、政治が行われる現場には協同になる財産や権利が必ず存在するのです。それらを構築し守り維持管理する実際の行動を担う行政の場面では、「皆で協同して作り、皆に共有されている財産を使用する」という意識が欠けてはいけません。それが欠けると私物化になってしまって、汚職になりますから、犯罪です。
行政だけの場面と限定された考えでなくても、「『協同して作り、共有の財産を維持し、利益になるものを共益として誰でもが享受しよう』という思いが、その団体の設立された意味であった」と、根源のところで意識のコンセンサス(皆の共感・同意)が改革されてしまえば、現在出来あがって行われている政治形態でも、共産主義に移っていくことは、有り得ない事ではありません。
(5)「(郵政民営化と何か関係ございます?)」とお考えなのには、「どう考えても全然、関係ありません。」とお答えするのが良いか、「断固反対の闘争をするのなら、共産主義っぽく聞こえる」と言えなくもないでしょうとお答えするのがよいか、決めかねます。
共産主義っぽく聞こえる発言ですが、「人々は協同するために集まっている」という事を前提にして話していたり、そう意味する発言を強調したり、押しつけたりするような印象で提案されるものはどれを取ってもそれっぽく聞こえると思います。
例えばという言い方で、最後に付けておきますが、例えば「『ひとりは皆のために居る。皆は一人のために居る』という考えが何時何処ででも正義だ。」と真剣に発言している人を見たら、私は「あの人は共産主義者っぽい」と思います。