1.地方自治の切り札として「道州制」が議論に上がっていますが、
区割り議論のみ先行しています。
で素朴な疑問ですが、なぜ複数都道府県を統合して「道州」を発足させる
必要があるのですか?
http://d.hatena.ne.jp/itarumurayama/20060406
に書いたように、アメリカでは鳥取県より少ない人口のワイオミング州でも
ちゃんと運営されています。
現行の都道府県への大幅権限委譲ではなぜダメなんでしょうか?
なぜ複数都道府県を統合する必要があるのでしょうか?
2.もっとも、「埼玉都民」が常態化している1都3県では
統合の必要があると私は判断しています。
なので、広域自治体として、
3,000万人の巨大首都「県」と60万人の鳥取県が並立して、
特に問題がないと思いますが、いかがでしょうか?
首都「県」と鳥取県で、機能を変えればいいのです。(丁度一般市と中核市、特例市が区分されるように。)
3.その他、フリートークお願いします。
(道州制に賛成/反対、東京一人勝ちだ、等々)
私の持論は市長は選挙不要、任命制(ヨーロッパによくあるやつ)。
市会議員不要、全部廃止。
現代社会において、情報開示さえしっかりしていれば
市職員の監視などは一般市民がいくらでもできるはず。
道州制+市域拡大、市会議員廃止で無駄で無能な
事務系地方公務員を10分の1に減らそう。
趣旨が理解できなくはないですが、街づくりは確かに重要なことではありますが、基礎自治体にとってはたしてそれが最適なんですかね、私鉄沿線ごとの再編が。町田と相模原は商圏が同一かどうかは不勉強なので知りませんが、工業地域を抱える相模原と、抱えない町田とだと、求められるものは微妙に異なるとおもうのですが。
基礎自治体の合併で一番成功したのは今治だとおもいますが、やはり造船と海運という海事の集積があってのことです。住宅地同士とか工業都市同士の基礎自治体の合併や、北東北三県のように農業が外せない県同士の合併なら理解できますが。
(論戦を挑むつもりではなくて理由がなんとなくわからないのです)
町田市と相模原市などは、経済的には一体なのに、県境が異なっているので統一した街づくりができません。
極論すれば、「県が異なるので越県合併ができない」のです。
先日西武線秋津駅周辺を歩いていて、やはりそれを感じました。
東京都東村山市・清瀬市と埼玉県所沢市に跨っているため、駅前開発もままならない状況です。
本来であれば武蔵野線も乗り入れているというポテンシャルの高い
地域であるにもかかわらず、です。
1都3県を統合した上で、基礎自治体も私鉄沿線毎に再編すべきです。
財源の問題があります。
アメリカ国内でもカリフォルニアとデラウエアとワイオミングでは州税が違います。ワイオミングの生き方として独自の州税を設けて州政府を運営しています。アメリカの州政府と日本の地方自治体とは成り立ちも義務もシステムも環境も違います。道州制を考えるとき財源の問題は避けて通れないでしょう。地方自治の切り札として中央の政府がなるべく介入しないように道州制を入れて考えれば財源の大幅移譲を視野に入れないとマズイし、単に財源の問題を考えずに数を減らすのは乱暴だとおもいます。
申し添えるなら、一都三県を統合するメリットというのが判りません。農業政策ほか、とるべき施策が一都三県でまったく違うとおもいますよ。農業にある程度依存する北東北三県の統合なら理解できますが。
同じ道に横須賀だ厚木だ横田だと基地が多すぎるから一つにしようね、
とかなるなら、道州制も悪くありませんね(^-^)
でも、それは話が別だと言われてしまったら、
静岡の人も、じゃオラたちの空港も別だずら、
と言ってくるに違いないと思います(^-^;
県が道の一支庁になっても、陳情先が国から道に移るだけ。
あんまり変わらないと思いますが・・・・(^-^;
静岡県が空港だって。笑えないよ。馬鹿らしくて。全ての原因は「おらもほすい」という田舎根性。道州制なら起こりえなかった。
都道府県の数だけ空港つくるのかい?
時代は小さいものを数多くではなく、巨大なものを少なくですよ。
思想信条は自由ですから、さすがに強制参加はまずいですが、
やってみないか?お、いいね、くらいの感覚で
広く政治に門戸が開かれたら素晴らしいですよね。
こうして考えていくと、地方自治の改革については、
単なる地図上の線引きなんかより、
もっと実利があってエキサイティングな政策が
バンバン出されていいように思います。
政治家の皆さんも、はてなに来ればいいのにw
なおさら目も当てられないということになってしまいます。
「平成の大合併」がなければ、ある意味、
道州制もいいかなと言えたかもしれません。
でも、これ以上自治体をいじり回したら、
ちょっと日本を壊しすぎ、ということになってくるかと思います。
また、平成の大合併にせよ道州制にせよ、
そこには必ず議員定数削減という
「民意の削ぎ取り」が伴います。
これが大問題。
金の問題なら、議員全員手弁当の大改革が大切です。
むしろ本当に郷土のために働きたい人に門戸を開き、
金のかからない選挙、儲からない政治を確立していくこと。
その上で、基礎自治体なら住民100人につき1人くらいの議員を出していい。
町内単位の地方自治。そうなったらすてきです。
そういう下地が出来れば、道州制も活気ある地方自治への方策ということで
少しはメリットが出てくるかもしれません。
首都圏の生活実感は、「行政市」ではなく「沿線」で区別されます。
千歳烏山付近の世田谷区民は、同一区内である三軒茶屋(東急田園都市線沿線)よりも、別市区ながら同一沿線である仙川とかつつじヶ丘とかに親近感を持っているハズです。
県・州はともかく、区・市レベルは沿線毎に再編すべきです。
北陸+新潟なんてのは、まず人口ありきなんですね。
新潟とか、県西部の糸魚川でも「県都から遠い」ということが問題視されているのに・・
実感としての「生活圏」で考えれば、地方圏では県と同等ないし県より小さくなりますし、逆に首都圏では1都3県にはみ出ます。
それを「区割り案」では、「人口は1千万人~2千万人であるべき」という「ドグマ」ありき、ですから、
「生活圏が分かれている地方において、むりやり複数生活圏を強制合併させて」「生活圏が同一である首都圏において、むりやり東京州+その他 のようの2州以上に分ける」という無理をしているのです。
こういう区割りは、地方にとっても、首都圏にとっても、不幸です。
http://www.tokyo-jc.or.jp/2005/23ward/chiyoda.html
>そして、国、地方にかかわらず、議員は全員名誉職として
>全ての活動を純粋な市民カンパと自費だけで行う原則を確立していくこと。
ドイツでは「プラーヌンクスツェレ」という行政手法が取り入れられています。
市民による行政参加、それも政治に関心がある「政治オタク」ではなく、無作為抽出による「クジで選ばれた市民」による政治参加の手法です。
日本でも三鷹市で実験されました。
選ばれた市民が「強制参加」させられるのは私は反対します(第二の裁判員制度になる)が、参加拒否もできるということなので、「プラーヌンクスツェレ」は検討の余地があると思います。
ありがとうございます。
ただ、基礎自治体(=市町村)では「より住民に近いところ」ということは重要ですが、中間自治体(=県)の場合は、基礎自治体とは別の役割が求められると思います。
広域連合構想には賛成です。
役所の規模は大きくなればなるほど、
住民の監視の目が届きにくくなります。
また利権が大きくなればなるほど
それを狙った不正の構造が根を張っていきます。
役所はチマチマ地元に密着したことをやる。
大きな利権は預からない。
行政の効率化は自治体同士で作る事務組合で実現していく。
その方が現実的です。
目が届きにくく巨大な利権が集中しやすい道州制になれば、
どんどん期待とは逆の方向に進んでいくと思われます。
「県」の現状は、国と市町村の中間管理職です。財源も乏しく、意味がないというのが道州制議論の始まりでしょう。
今の県知事クラスを5,6人が一人の州知事に。警察本部もひとつになってより広域捜査がかのうになる。
よくテレビで「国会議員、国家公務員ほこんなに金に汚くずるいやつらだ。」的な番組をやってますが、実際、毎日大した仕事(難しい仕事)もなく(1)地域の有力者にいかに国からの補助金を流すか。(2)世襲で議員のうまみをいかに守るか。(3)親族一同こねで公務員
庶民にばれずにウへへへ。(4)一流企業なんかいけるわけない市役所職員が国家公務員より高給取り。
とにかくマイナーリーグの奴らがメジャーリーグより賃金高いというありえん事がほったらかしだったわけだ。国会議員、国家公務員もほめられたものではないが、少なくともXX市会議員
やxxxxx町職員より仕事は高度で大量で大変だ。専門性の高度さは田舎議員、役人とは比較にならない。こいつらを減らすためなら、賃金下げるためなら荒療治もやむをえん。
なんか米国のやってることをそのまま真似しているようにしか思えません。
道州制の区割り案にもしかりですが、地域の交流を無視して決められてる(北陸3と新潟県、関西と徳島県、九州と山口県)ようにしか思えません。
でも、議会の役割というのは、単に議決だけじゃないんです。
本当は、審議、議論こそが中心なんですよね。
様々な立場から政策を出し合い、立場ごとの利害をすりあわせ、
できるだけ多数の住民の共通の利益を目指していく。
本来、ここにこそ重点が置かれるべきなんです。
単に評決だけで動いていくなら、それは民主主義としては
かなり未成熟な状態と言えるでしょう。
そして、残念ながら日本はまだ、そういうレベルなんです。
国会でも地方議会でも、質疑には時間をかけても、
賛否を論ずる「討論」に熱い言葉のやり取りは極めて稀で、
たいてい一人数分ずつの演説ですぐ採決に移ってしまいます。
そんな国で直接民主制を導入しても、
満足な議論が練り上げられるとは思えません。
むしろ身近な議会を活性化させて、そこでの議論に注目していく。
そして住民一人一人が思うところを議員にぶちまけていく。
そういう土台作りの方が大切です。
それこそメールの発達した今の時代だからこそ可能なことですよね。
地域間格差の問題は、どうせ住民の声が届かない議会なら、
道州単位で見れば改善されるように装えても、
道州の中で格差が放置されるだけで、なんの解決にもならないでしょう。
住民と議会、行政の距離を縮めるためにスイス方式で直接民主制を採用した上で、首長や議員や職員を減らせる道州制を採用というのがいいのではないでしょうか?
最近読んだ本では、スイスの各州では直接民主制の度合いが州ごとに異なっていて、各州の直接民主制の度合いと住民の幸福感に相関があるとか。開票作業の電子化等で事務コストも下がっているような気もするし、けっこうアリでは?
区割りに関しては、小さい県をどうするかというポリシー次第ではないでしょうか?自分でなんとかやりくりせいというなら小割りでいいですし、それじゃかわいそうというなら豊かな県と無理やりくっつけるしかないでしょう。広島は山陰を養いたくはないでしょうし。山陰は広島の財布をアテにしたいでしょうし。
関東等県をまたいで生活圏ができているところは統合が望ましいと思います。産業を抱える東京と、東京の会社をリタイヤした老人をこれから面倒見る周辺県は一体に見ないと気の毒なような。
生活地域による区切りというものがあればいいかもしれませんね。