http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%9...
この問題を考える上で、まず明確にしておかなければならないのは、
「歴史」と「歴史観」とは違う、ということです。
「南京大虐殺が有ったか無かったか」という議論は
まさにこの「歴史観」の論争で、
史実の捉え方と共に、互いの思想的対立がその争点を形成しています。
だから実際、話が噛み合わないんですよね。
たとえば南京大虐殺否定派は、
事件のあった区域の人口を20万人として、
一部の肯定派が主張する30万人など殺せるわけがないと反論します。
しかし30万人犠牲説をとる人々は、
この人数の中に上海戦以降の軍人の数も含めています。
また否定派は対象とする区域を南京市を基準に論じますが、
肯定派はもっと広い南京行政区全体で考えています。
想定される事件の期間にしても、
否定派はこれを東京裁判による日本軍の南京占領期間、
つまり1937年12月13日から6週間と考えますが、
肯定派はこれをさらに拡大して、
たとえば1937年12月4日から翌年3月28日までの
4ヶ月などと考えていることが多いようです。
これだけ基準が異なれば、
見解に差が出るのは当たり前でしょう。
さらには、否定派肯定派それぞれに「虐殺」の定義も違います。
投降兵の殺害、一旦捕虜として受け入れた兵士の殺害、
正規軍兵士以外の戦闘員の殺害といったものを、
「戦闘行為」と見るか「虐殺」と見るかで意見が分かれます。
こうして史実の捉え方も思想的歴史観も、
双方噛み合わないままで議論しているんですよね。
ですから、よくよく考えれば、どちらの説ももっともなんです。
人は死んでいるんです。
戦争なのですから、それはどう考えても明らかなことです。
ただ、どこで何人殺害されたか、
どういう理由で殺害されたかなどの考え方で、
それが戦争による死亡だったのか、
虐殺という犯罪被害による死亡だったのか、
といった見解の違いになってくるというだけの話です。
最終的には、南京大虐殺はなかったとする説に立てば、
戦争は多数の人を殺す行為を正当化する、
だから二度と戦争は起こしてはならないという結論に達し、
南京大虐殺があったとする説に立てば、
戦争はこれほどの狂気と犯罪を引き起こす、
だから二度と戦争は起こしてはならないという結論に達します。
うわべだけの議論を通りすがり的に聞きかじると、
虐殺がなかったとする否定派の意見は
あたかも犠牲者はいなかったとする説のように聞こえますが、
本当は、そういう議論ではないわけですね。
話をまとめます。
人はたしかに死んでいる。
ただそれが戦闘行為による犠牲だったか
犯罪行為による犠牲だったかという認識の違い。
それが両者の主張の大きな違いということです。
まともな議論である限りにおいて、
二度と戦争を起こしてはならないという結論では
どちらの見解も対立するものではありません。