”フェアーなら隣の人が、生活できなくて良いですか?”
日本が、隣国にとっている態度、
企業の競争、地域や世代の競争も同じですが、、、
そこで、
これから益々広がる格差に備え、
不公平な現実(格差)を踏まえた、政策提案を!
つまり、
人のために生きるのが、勝ち組って社会出来ないでしょうか?
儲けても、態度悪いと摘発するとか、、、?
可哀想でしょ?
似合いもしない成金の生活!
好きにさせとけ?
まあ良いけど別に、、、
気分の問題だけなんだけど、、、
誰か!
http://www.jinken-net.com/old/tisiki/kiso/jin/ti_0201.html
私は基本的人権がきちんと尊重されている限りにおいて、
「再チャレンジ」なんていう政策は不要だと思っています。
日本国民には全て、健康で文化的な最低限度の生活を営むことが
保証されているわけですから、どんな状況になったとしても、
これさえ保証されていれば、あとは自己の努力で
どうにでもなっていけるわけなんです。
ところが現実の日本は、この健康で文化的な最低限度の生活、
というのが保証されない社会になってしまったわけですよね。
会社が倒産して社長が廃車の中で寝起きしているとか、
多重債務の上に税金の取り立てで、業者と役所の両方に
その日の食費すら持って行かれたとか、
蓄えが無くその上病気になって、電気もガスも止まって、
これじゃ病気も治らないとか、
さらに行政が保険証の発行を渋って病院にも行けないとか、
そういう極端な状況の人が珍しくなくなってしまったから、
どこかで甘言を弄して取り繕わなければ票が取れないと。
ただそれだけの政策です。
したがって、格差は当然という立場を取るならば、
とにかく健康で文化的な最低限度の生活だけを
あらゆる人に対して国家が保証していくということ。
これは現状の社会保障制度がきちんと適用されていく限り、
現行制度の範囲内だけで実現します。
あとは国家が福祉充実を敵視しないということだけ。
国民から反発が出たら、これほどの赤字を抱えていながら
よその国の軍隊のために多額の負担金を支払うのと同じ熱心さで、
これは国家責任なんです、何とか理解してくださいと
誠実に説明責任を果たしていけばそれで良いわけで、
何も難しいことはありません。
政府は課せられた責任を果たしていける能力があるから
国民の信任が得られていくわけで、
ただ現行制度内で基本的人権の実現に努力していくだけの
簡単なことが出来ないはずはありません。
ま、それでは政策の目玉がないので困るということであれば、
再チャレンジに政治の場を提供するという仕組みを作ったら
いいんじゃないかと思います。
色んな意味で苦労してきた人達に議員への道を開き、
選挙に当選させて、国民の痛みの分かる政治をやってもらう。
金持ちの職業政治家は後進に道を譲って、
潔く権力の座から下りてもらう。
議員としての報酬は、一般国民の平均給与を基準にすればOK。
元々が庶民出身なのですから、
再チャレンジで人並みのお金が手に出来れば
それ以上は高望みという物です。
これで無駄な議員歳費が大幅に削減できます。
日本全国、地方議会にまで再チャレンジ受け入れていけば、
かなりの受け皿が確保できます。
そしてそこでチャレンジが成功したら、
どんどん後進に道を譲って卒業していく。
これで常に新鮮な人材が確保でき、
いつもリアルな国民の要求に対応した政治が実現します。
そんな、素人に政治が出来るわけがない、という政治感覚なら、
それは国民を主人公に据えた国作りができないということですから、
そんな政治家に「再チャレンジ」推進は無理でしょう。
素人の声がそのまま通用する政界にしていくことが、
「再チャレンジ」など不要な社会を作る原動力にもなるはずです。
僕は以前、再チャレンジ推進国民会議(だったかなぁ?)in札幌 に行ったのですが、
その時の印象を書きつづろうと思います。
(かなり暴論が含まれますので、安倍氏の支持者は閲覧をご遠慮下さい。)
安倍氏は、再チャレンジという横文字に酔ってるだけです。だから、再チャレンジが内包する危険性に気付いていないのです。際チャレンジさせた人がまた失敗したら、どうするおつもりなのですか?また再チャレンジさせるのですか?お茶の子再々、とか言って。
政治の究極の目的は、再チャレンジさせることではなく、運に左右されがちな人の人生を救うことだと思います。一言で言うなら、富の再配分だと思います。