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【太平洋戦争を阻止せよ!】
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上記質問に関連して、近代から大東亜戦争(太平洋戦争)に至るまでの歴史について、自由な議論をしてもらえればと思います。
例えばこんな感じで。
・もしあの局面でこういう選択をしていたら・・・(歴史のIF)
・こういった出来事により、その後の歴史を辿ることになったのでは?(原因と結果の推察)
現代の視点で見下ろすのではなく、できるだけ当時の状況を汲み取った意見を望みたいです。
例えば真珠湾がばれて迎撃された南雲機動部隊が壊滅したり、フィリピンの奇襲も失敗して逆にB-17によって台湾の航空兵力が打撃を受けたり、
ここまで読んで、
否定するだけというのも何なので、当時の状況を鑑みつつ早期講和が出来ないか考えてみる。
とは言っても、アメリカに譲歩させるような状況を日本が作るのは無理なので、逆に日本がアメリカの要求を受け入れられる状況を作ってみる。
日本がアメリカの要求を蹴って開戦に踏み切ったのはアメリカと戦えそうな戦力があったから、兎も角暴れまくってればそのうちドイツがヨーロッパで勝て孤立したアメリカは講和に乗ってくるだろうという見積もりがあったから。
だったら早期に日本の戦力を奪えば早期講和への道が開かれるんじゃないだろうか。
例えば真珠湾がばれて迎撃された南雲機動部隊が壊滅したり、フィリピンの奇襲も失敗して逆にB-17によって台湾の航空兵力が打撃を受けたり、インドミタブルに護られたZ部隊がABDA艦隊と合流して南遣艦隊を駆逐したり、初動の作戦が全部失敗して大損害を受ける。
大和は公試の最中潜水艦に襲われ沈没、陸奥も謎の爆沈を起こし、そうこうしている内に米機動部隊が東シナ海に進出して補給線を荒らしまわりフィリピンの陸軍はガ島状態。
そして空母による本土空襲が始まって残った主要艦艇も軍港の中で全部沈没。
その後開かれた御前会議で「海軍にはもう船は無いのか」という陛下の問いに対して「はい、御座いません。最早講和もやむなきに立ち至りましたる次第であります」と答える山本海相の姿が……ここまでやっても陸軍が納得しそうにないんだよなぁ。やっぱり早期講和は難しいや。
ノンフィクションからフィクション物まで、かつていろいろ読み漁った経験から、こういったお題は非常に難しいなぁというのが個人的な感想です。
その難しいところをはてなの皆さんに考えてもらおうというのが、先に質問したものでして。
私自身、だいぶ勉強になりました。
このいわしでは、さほど敷居を高くせずに、自由に考えていただき、あわよくば戦中・戦前の時代に興味を深めてもらえればと思って立てました。
世の中、歴史に知識が深い人・浅い人、立場によって考え方が違う人、様々ですが気にせず発言していただければ嬉しいです。
原爆落とされるくらいなら史実のままの状態でもいいので早く戦争終わらせられんかなと考えてました。「原爆落とされるくらいなら」というのが現代の視点でしたね。勉強不足でした。
日本が提示できる講和の条件とはどんなものでしょうか?
アメリカは今苦しくても最終的に勝てることを知っています。
日本は今調子よくても最終的に勝てないことを知っています。
こういう状況ではたとえ日本が講和を望んでも、アメリカは妥協する必要もなければ、する気もないでしょう。
要するに講和の条件は最低でもハル・ノートであり、悪くすれば軍備の制限や朝鮮、台湾、南洋等の放棄も要求してくるかもしれません。
こんな条件を日本は受け入れることが出来るんでしょうか?
どう考えても勝ち目はないし、しかも開戦が避けられない状況であったことから考えて、とにかく早期に講和に持ち込むにはどうすべきだったのか、ということをよく考えてました。早期に講和に持ち込めれば、結果的に原爆の投下も避けられたかもしれないわけですし。とにかく太平洋戦線に米軍兵力が整ってないうちにハワイまでダッシュで占領しちゃえばアメリカ国内でもやる気がなくなって講和までいくんじゃないかな、と。山本五十六一人でなんとかなるとは思いませんが、もう少し発言力のある立場にあればなにかしら違った結果は出ていたはずだと思います。
軍記物は今まであまり読んできませんでしたが、これを機に手を出してみようと思います。
日露戦争の本当の姿なんて、戦後はじめて知らされたものですからね。日比谷焼打事件については、当時の国民が「戦時政策」によってどれほど搾り取られ苦しめられていたことをよく示しています。しかしそれが自国の政治を考える方向に向かわなかったというのが、当時の様子をよく現しています。
戦争に関して言えば、実際に被害を受ける民衆は当然ですが、前線に立つ兵士・将校だって、多くは戦争が嫌だということだと思います。
そう。みんな殺し合いなんて嫌なんです。市街戦の後などには、頭を吹っ飛ばされた子供の遺体などがゴロゴロ出てきます。それを「敵」の兵士が泣きながら抱きしめたりするんですよ。それが戦場の実態なんです。みんな家に帰れば、やさしい父だったりする人たちばかりなんですから。
客観的に戦争を学ぶこと。戦争を忌むべき物と考えて目を逸らさず、その実態をきちんと見つめていくこと。これが大切だと私も思います。
綺麗事の政治論だけ。血みどろの戦場の実態を知ることもない。誰も医師のいない病院の前で全身の傷口にウジ虫のわいた負傷者だけが放置されている。そんな戦争の本当の恐ろしさを知らない「平和ボケ」でいってしまったら、命がけで平和を望もうとする人の声も掻き消されてしまうでしょう。
国が戦争に傾斜していく原因についても、真剣な検討が必要ですね。日比谷焼打事件ひとつをとっても、それを検討していくことで、どういう情報操作でどういう庶民感情が形成され、それがどう利用され、最終的にどういう結果を招くのかということが見えてきます。
また戦争になればほぼ確実にこの国は滅びるという危機感
当時これを認識していた政治家・軍人は極めて少なく、かつその声はずっと小さかったでしょうね。
前者について、ふと思い出したことがありました。
日露戦争は勝利とは言いますが、何とか優勢勝ちがせいぜいで、特に陸戦および国内経済に関しては崩壊一歩寸前でした。
その頃の日本にはもはや戦争を継続する力は無かったのに、戦争中は景気のいいことしか言わなかったので、ほとんどの国民はまだまだいけると思い込んでしまったのでしょう。
その挙句日比谷焼打事件です。
このあたりに後の大本営発表の萌芽が見られますね。
戦争に関して言えば、実際に被害を受ける民衆は当然ですが、前線に立つ兵士・将校だって、多くは戦争が嫌だということだと思います。
※TomCatさんが挙げられた学長は、こちら側の事情を身をもって体験されたということでしょうね。
景気のいいことを言うのは、前線に立つことのない、政治家・将官・企業家だということでしょう。
ただですね、たぶんTomCatさんの世代ならご存知かと思いますが、日本の教育は、戦争を絶対悪とする教育の影響が強かったと思います。
それも、戦争は悪だから、知ることも悪だという極端な意見もありました。
偏るのではなく、客観的に戦争を学んで、どうしたら戦争になるのか、どうすれば戦争を防げるのかという考え方が大事だと思います。
nobita_tさん、ありがとうございます。
山本五十六=連合艦隊司令長官というイメージが強いですが、彼は元々軍政畑出身だったというのがありますね。
連合艦隊司令長官になったのは、英米講和派だったということと、その歯に着せぬ性格から、陸軍強硬派の意を受けた暴徒から身の安全を図る為に米内光政によって現場に出されたといいます。
アメリカ駐在武官の経験により、かの国の実力をよく知っていながら、連合艦隊司令長官とされてしまった。
その性格からもあえて賭博的な作戦に手を出すことになったと思うのです。
むざむざ人材を暴徒の手にかけさせたくない、という米内さんの思うところもわからなくはないですが、ここは例えば海軍大臣といった職で、山本さんに思う存分手腕をふるってほしかったですね。
日赤九州国際看護大学の学長が言ってました。問題なのは「戦争は嫌だ」という声を、弱い立場の者があげていかないことだと。これが世界中の戦場を70個所以上も回って救護に尽くしてきた人の実感なんですよ。
戦争になれば自分はほぼ確実に殺される。国民の間にこの危機感が乏しかったこと。また戦争になればほぼ確実にこの国は滅びるという危機感が、文民政治家の間に乏しかったこと。これが昭和初期の日本の最大の問題でした。そして今また全く同じ状況を土台とする軍事待望論が台頭しつつあります。
先の質問は私には敷居が高すぎたので見送ってましたが、いわしで質問なされたので挑戦してみます。
ベタなところですが、山本五十六が連合艦隊司令長官などという不慣れな現場に回されることなく海軍の中央でがんばっていたら、もう少し早期の講和が可能(8月6日より前)であったのではないのかなと思います。もちろん、海軍中央にいる限りいつでも「事故死」の可能性は捨て切れませんが…。
山本五十六が海軍中央でがんばっていれば、ミッドウェーももう少し迅速に行動でき、早期講和へ持ち込めたのではないかなと考えますが、どうでしょうか。
外交に関しては、日露戦争ではよくやったが、その後がまずかったというのがよく言われる気がしますが。
帝国主義をとらざる場合は、スイスのような永世中立国で同時に軍事国家を目指す道ですかね。
もし帝国主義を打ち出さなかったら好戦国にならなかったでしょう。そして大国と言われた国々から睨まれる事も無く世界大戦参戦は無かったでしょう。
嫌だ嫌だで済むものではないわけで・・・。
例えば列強との外交の錯誤の積み重ねで、戦争せざるを得ない状況に追い込まれたという面があるとすれば、今の外交も危うい気がします。
己の派閥やセクションの益より、国益を重視し政治的バランス感覚に優れた人物が必要ですね。
徹底的に粘り抜くというより、美しい散り際にこだわるというか。
バンザイ攻撃については、終盤の硫黄島や沖縄では戒められたみたいですが。
ご指摘の通り、もっと効率良く戦うならば、この2点はもっと戒められなければならなかったと思うのですが、どうも日露戦争の頃に比べてみても、合理的な考えが影をひそめ、精神主義に走りすぎたような気がしてなりません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%AD%B3%E7%AA%81%E6%...
が無かったらもっと抵抗できたかも??捕虜にはならないという思想・・・これが無かったらもっと死者は少なかったのでは??
たとえば国際連盟事務次長も務め、著書『武士道』を著し、「我が国を滅ぼすものは共産党と軍閥である」と喝破するなど政治的バランス感覚に優れていた新渡戸稲造あたりを総理に据えておいたらとか。
とにかくいかにして戦争を防ぐべきだったかという視点に立たないと、二度と戦争は嫌だと言い続けてきた戦争経験者の皆さんたちに申し訳が立たないです。