私が、8才の息子と、国道を車で走っているとします。その国道は制限速度50km/hですが、車の流れは65km/h程度で、私も65km/hで走っているとします。
そのとき、息子から、どうして制限速度を守らないの?と聞かれたときの、良い返答案を教えてください。
渋滞が起こるといやでしょ?っていうのはどうでしょう
一人が守れば渋滞が起こりますからね
時間によって流れが大幅に変わるところは制限速度を改める必要がありますよね
(1車線だと仮定して)私以後の流れは50km/hになるし、私の前には長い空白ができるでしょうけど、渋滞にはならない気がします。
http://www9.plala.or.jp/hiyotrio/newpage037.htm
取締りの対象は、一般道では30km/h超、高速道路では40km/超
返答案:
「もう少し車が少なくて道の幅が大きければ、お父さんも車を脇に寄せて制限速度で走るんだけれど、この道路ではそれができないね。他の人たちは急いでいるようで、それが今の流れのスピードとなっているから、お父さんもそうしてみんなの邪魔にならないようにしなきゃいけないね。でも、みんなも限度というものを知っているから、無法地帯にはならないんだよ。実際、何十キロも超過スピードで走れば、すぐにパトカーが来る。この速度でパトカーが来ないのは、図に乗ってスピードを出してもいいということではなくて、仕方のない状況を取り締まる側も認めている、ということだろうね。ほら、パトカーも同じ速度で走っているけれども何もしないだろう? この速度はお前から見たら許せないかもしれないが、おまわりさんから見て、まだ許せる範囲ということなんだ。ただ、許されているから問題ない、とは安直に考えないようにしなさい。できる時には制限速度、それが難しい時には取締りの対象にならない程度、ということなんだ」
参考URL:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=...
「このスピードメーター、病気なのよ」
とりあえず、子供に言い訳するにはこれしかないでしょ。
「少しぐらいオーバーしてもいい事になってるのよー」って説明してあげたらどうでしょう。それでも息子さんが納得しなかったら・・・「大人の世界はこんなものなのよ」って言ってあげる。
学校の廊下は危ないから走ってはいけません。でも皆はついつい走ってしまう、それと同じ
飲酒運転が許されるように速度違反も許されると教えなさい。
自分なら制限速度にまで速度を落としてみせます。
自動車に関係する死が現代社会ではあまりに軽視されていることを悲しく思います。
日本ばかりでなくどこでも自動車という凶器を運転する資格のない者に対して免許を与えすぎています。実際歩行者として道を歩けば、横暴な運転で怖い思いをしない日はありません。こちらが権利を主張したところで相手は威嚇するのみです。
あなたはそのような凶暴な車社会の一員として冷酷なドライバーとしてしか行動できない自分を子供に見せてあげなさい。
日本では思いやりという言葉は死語なのだと教えてあげなさい。
いじめをする方がえらいのだと教えてあげなあさい。
この冷酷な日本社会で車におびえる歩行者としての経験がながい私には、このような言葉しか言えません。
現在10人回答を頂いている中で、減速する、と答えた人が2人もいるのは驚きです。
実際の路上で、そのような空気の読めない立派なドライバーは1%もいないように思います。
もちろん、todo_todoさんは、そのような現状を憂いて回答されているのだと思いますが…
教育上のことを考えてなら、
「そうだな、お前の言うとおりだ」と言って減速するのがいいでしょう。
皆が間違っていてもそれを指摘する勇気、間違いを指摘されたら素直に受け入れること、など教えることができます。
それに、制限速度は守った方が燃費がよくなるのでお財布にも優しいです!
ほんとうに、「皆が間違っている」のでしょうか?
「原付は30km/h制限」とか「自転車は歩道を走ってはダメ」みたいに、下手に守ると余計危ない(だから誰も守らない)規則もあるように思います。
私もt-saitouさんの意見と同じです。
教習所では卒業できないから50Km/hで走り
卒業したら65Km/h。はっきりいってまともな
説明なんて出来るはずがありません。
「世の中こんなもん」というか人間なんてこんなもん
というか・・だからといって別にそれが悪いとは
いいません。だって、本当にこんなもんなんだから。
かといって、人に対して絶望しているわけでもないし
50Km/hでみんなが走るような希望を抱いているわけでも
ないし・・こんなもんとしか説明できない。
裏表なしに正直に言ってあげた方が良いと思います。
小学校などは表のことしか言わないので、裏の部分は
親がしっかり本当のことを教えてあげることが大切だと思います。
それに、調子の良いことを言っても子供は見抜きますし・・
うちにも8歳の男の子供がいますが、車に乗っていて1度も速度がオーバーしていると聞いてきたことがなく、聞いてくるということは
ある意味いいことだなと思いました。
もし私も息子に聞かれたら、速度は守らなければいけないけどその時と場合によってはオーバーしてしまうこともあるよ。というと思います。でもオーバーしたら警察につかまるよって聞かれたら、警察に捕まるほどではないから大丈夫よ、というと思います。
ええと。すみません。設定はフィクションです。(笑)
10の方もおっしゃってますが、こういうケースでは、まず褒めるべきなんでしょうね。私にはできる自信はありませんが…
良い事に気が付いたね。
(まずは褒める。これは、将来にわたって色々な事によく気が付くように育てると言う前提。)
実際、そもそも制限速度という考え方は国によって異なる場合もある。
(子供に、考え方をもっと外国にも向けるという意図。)
例えば、ドイツではアウトバーンという、その一部だけだけど「制限速度無し」という高速道路もある。
(注:アウトバーンが全て速度無制限では無いので、誤情報を与えない。)
ただ、みんなどの車も時速200kmで走っているかって、そういう訳ではない。
無制限でも、みんな周りの自動車を気にしながら走っている。それが例えばポルシェやフェラーリでもね。
最初の質問に戻るけど、日本の場合の「制限速度」は、「危険などで相手に迷惑をかけない為の速度」という考え方なんだよ。
つまり、自分以外の周りに迷惑をかけない事が「おとな」という世界のルールなんだよ。守れない人も多いけれど、守れた方が友達も増えて、いざと言う時に助けてくれる人も多くなるよ。
それで、日本の場合の「制限速度」を守らなかった場合、例えばね、質問だけど
誰もいない道路で周りにも迷惑をかけないだろうからかなりのスピードを出しました。
これって、問題無いだろうか?
警察もいない状態でね。
(考えさせる。。。)
正解はね、「迷惑をかける可能性があるので、出来るだけ速度を守った方が良い」
それはね、もし、急に目の前に猫が飛び出して来て、ブレーキをかけて、車がスリップして事故をしました って事もあるよね。
運良く生きていても、色々な人に心配かける。例えば、次から運転する時も家族も不安に思うよね。
だから、やっぱりそこで簡単に判断するのではなくて、いろいろと考えないといけないんだよ。
まだ難しい事がいっぱいあるだろうけれど、分からないと思ったらどんどん聞いてね。
(親子のコミュニケーションを継続的に持つ為)
(質問回数が増えてきたら、自分は何故そう思うのかを用意するように促す)
ありがとうございます。理由が書いてあるのが非常に納得性が高いです。ただ、、、
> 守れた方が友達も増えて、いざと言う時に助けてくれる人も多くなるよ。
こと制限速度に関しては、ここはちょっと疑問です。
あと、中学校あたりになると、下手に校則を全て守っていると、いじめの対象になって友達が減る、、、なんてこともあると聞きます。
人生、流れに乗ることも大事(周りとあわせること、協調すること )と教えます。
皆が早足で歩いているとき、君だけのんびり歩いていたら、ぶつかって危ないでしょ。
#2の回答者です…
少しだけ補足させてください…
(先のお父さんの話を聞いて)
息子:「うん分かったよパパ。できる時には制限速度じゃないといけないけれど、それが難しいからみんなと一緒のスピードで走って、でもおまわりさんに怒られるほどスピードを出しちゃだめなんだね。
「でもパパ、じゃあ制限速度で走ることってほとんどないんだね」
父親:「(笑いながら)そうだね。みんな忙しくて、おまわりさんでさえ忙しいのかもしれないね。
「そうだね。今度高速道路を走っている時に気を付けて見ていてごらん。郊外で何車線もある道路では、大抵1台か2台は一番左側のレーンを制限速度で走っているドライバーがいる。運転にまだ慣れていない人だったり、急いでいなかったりするかもしれない。でもね、わざとそうしている人も中にはいるだろう。なぜだか分かるかな?
息子:「制限速度をきちんと守りたいからじゃないの?」
父親:「それもある。でも安全のためにそうしているのかもしれない。この前高速道路で走っていた時、お父さんは急いでいたし、車の流れも速かったから、お父さんは100kmではなくて120kmぐらいで走っていたんだけれど、乗っていてどうだった? 怖くなかったかな」
息子:「覚えてない…」
父親:「お父さんはね、正直少しだけ緊張してたよ。車間距離もそんなに広くなかったし、みんなが急いでいた。誰かがハンドルを切り損なっていたらきっと事故になっていただろう。
「だからお父さんはいつも広い高速道路では左端に寄って100km前後で走るようにしているんだ。そうすれば急いでいる人に後ろから煽られることもないし、お母さんも心配しないし、お父さんも気が楽でね。安全のためなんだよ」
息子:「ふーんそうだったんだ。
「そういえばこの前高速道路で、横を凄いスピードで通り越していった車のこと、あの人はきっと急用がたくさんあるに違いないって、みんなで笑ってたのを思い出した」
父親:「そうだったね(笑)。でも覚えておきなさい。もしあれが面白がってスピードを出していたのであれば、やっぱり危険なんだ。運転がとてもうまい人でさえ、スピードの出し過ぎで酷い事故に遭ってしまうことがある。そして最初に話したように、もし限度というものをわきまえないなら、カメラでしっかり取られて、罰金を払う羽目になる。
「他の人のことは、他の人のことだ。裁く必要はないし、お前が裁くことではないだろう。だけど、他の人がしているから大丈夫だなどとは、安直に考えないことだね。確かに今は大丈夫かもしれない。でもそのすぐ後に事故になったり取り締まられたりするかもしれない。
「お前は決して他の人を裁くことなく、自分が正しいと思うことをいつも行ないなさい。お父さんもそうしようと思っているんだ」
ありがとうございます。
自分が正しいと思うことを行うのはよいのですが、時と場合によります。
たとえば、息子の通う小学校では、自転車に乗るときはヘルメットをかぶらないといけない校則があるのですが、隣の学区にはないとします。もちろん、大人は誰もヘルメットなんかかぶっていません。こういうとき「自分の判断」で校則を破られると、ちょっと親として困ってしまいます。
「あ!そうだよね。これは良くないことだよね。ごめんね!」と言って50kmに落とす。
以後、子供を乗せて車を運転する際は制限速度を守る。
8歳の子供に社会のルールを教える、ということであればこれしかないと思います。
事実(一般の車両が制限速度を守らなくてもいい例外があるとは思えませんけど)はどうであれ、相手が8歳の子供であれば、まずは『ルールは守らなければならない』ということを教えるべきだと思います。
そして父親は、子供の模範となってルールを守ることを実践してみせることが望ましいのではないかなぁと思います。
ルールとしては「最大速度」を決めていることになっているけれども、実際の運用としてはルール違反気味だけど「目標速度」として運用されていると思います。私の場合は+10km/h程度を目安に走ってます。
周囲に合わせているからではなく、自分が制限速度より速く走りたくて、安全を確保できている自信があり、取り締まりもその程度の速度では行われないからです。
ただ、違反は違反であることは自覚すべきですし、「安全を確保している自信」も間違いの場合もあります。事故が起こった場合の責任は全て自分に帰ってくることは覚えておくべきです。そういうリスクを負った上で、大人は制限速度を違反しているのです(自覚しているかどうかは兎も角として)。
「周囲もみんな違反しているからだよ」というのは、教育的にも、自分自身の行動規範としてもあまり望ましくないと思います。
(あと、+15kmはオーバーしすぎでは?うちの近くでは、制限速度は昔に比べて10km/h程度上げられています……)
うーん。地域格差もあるのでしょうか?
関西は、全般に制限速度の低いところが多いように思います。西宮市とかは、「市内全域40km/h」となっています。
R43の淀川のへんあたりは、制限速度40km/hですが、70~80くらいで流れていますねぇ。
(実際、バイパスみたいな感じで、歩行者もいないし信号もないし、70で走っても危ない気は全然しない)
「何で守らないと思う?」と考えさせます。
特に道路交通に関しては、矛盾だらけです。
最高時速は高速道路でも100km/hまでなのに、なぜ150km/h以上もスピードのでる車が販売されているのでしょう?
自分なら、答えは教えず、自分で答えを見つけるように、考えさせます。
そしてそのために、まず自分の車を制限速度で走らせます。それがどういう状況を生み出すのかを考えさせます。パッシングやクラクション鳴らされたら、それはいい教育材料です。
たとえ8歳であっても5歳であっても、疑問は自分で答えを見つけさせます。
私は60キロまでしか出さないようにしています。
65キロは許容範囲ではありません。
実際には、50キロが許容範囲になるようにするのが
民主主義社会を受け入れている有権者の務めであるはずです。
*
65キロが許容範囲であるなら、飲酒運転だって、携帯電話を使いながらの運転だって許容範囲であるはずです。
*
いじめの原因は、「大人の判断」にあると思います。
子供に論理的説明をしたところでたぶん理解できないと思うので、『大人になったら分かるよ』の一言でかたずけてしまう。
それでも説明を求められたら子供が分かろうが分かるまいが徹底的に説明をする。それで分かってもらえればいいが、分からなければ「だから大人になれば分かる」で締めくくる。
スピード超過をしてしまう理由↓
1.前方の車との車間距離を保っていたらいつの間にかスピードを出しすぎていた。
2.制限時速の10km/tオーバーくらいでは警察が取締りを行わない事を知っていて故意にスピードオーバーをする。
警察が取り締まらない理由は、10km/tちょっとのオーバーではメーターの誤差などで言い逃れられる。その程度の違反を取り締まっていては署の人員も時間も経費も足りなくなってしまう。
>10km/tちょっとのオーバーではメーターの誤差などで言い逃れられる
そうなんですか?
じゃあ、3?km/h オーバーで赤切符切られた時、メーターの誤差だと主張すれば2?km/hオーバーになって青切符になりますか?そんなわけはないと思いますが。
「決まり事を守らないという点では確かに悪い。しかし、お父さんの車だけが決まりを守っていたら、速度違反の車にぶつけられてしまう。お父さんに取って一番守らないといけないのは、お前を守ってやると言うことだ。そのために制限速度を超えている」
小学校を卒業する頃には使えない言い訳ですが。
かっこよすぎて、私が口に出したら赤面してしまいそうです。(*^_^*)
皆様の意見も読んで再度考えてみました。
私が「周囲の流れ」をあまり重視しないのは、車線変更が不得手ではないので、煽られるようなところにあんまりいないってのもある気がします。
もっとも、やはり多少は周囲に合わせている面もある気がしてきました。周囲にあわせて+20、30km/hにする事はないですが、制限速度は(概ね)常に把握した上で、(この制限は遅すぎるだろう、と思うような場所でも)+10km/hは守るようにしています。自分の感覚だけで運転はしていないです。私は。(制限速度把握していないドライバーも少なからず居るであろうとも思っています)
スピードを出したい気持ちもあるのですが、要は私はルールを守るのが好きなんですよ。そうすべきだと思いますし。
ただ、制限速度ぴったり以下で運転すると、迷惑であることも理解しています。一般に制限速度は、安全率を大きく取り過ぎていると思います。
昨年しばらく関西に居たのですが、東京・神奈川に比べて速度制限が低すぎる気はしました。制限速度の設定をした人の(表現が悪いかもしれませんが)責任逃れ体質なのかな。
うちの近く(関東)にも時々国道の制限速度で70でいいんじゃないのってところが50のところがありますが(横断歩道が無い、バイパス的なところ)、これは多分周辺への騒音を考慮した結果かな、と思っています。
自分が10km/h Overをリミットとして運転しているというのは、「自分がもう少し早く走りたい」場合、「作ったルールは守るべき」という信念と、「他人様(歩行者・自動車)の迷惑になる事はしない」の間を取っているのでしょう。
8歳の子供に説明するなら、「作ったルールは守るべき」って所だけ説明するかもしれません。多分制限速度に落とすかな。ただ、仰るように制限速度と周囲の車の流れにあまりにも乖離があると、説明に困りそうです。
速度違反は少なくとも法律的には「決めたルールを守らなくて良い特例」ではないです。8歳児には「ルールは守る」だけを教えたいところです。
素直に謝り,スピードを落とすべきです。
父親が,自分の意見を真面目に聞いてくれること,社会のルールは絶対守らねばならないことをはっきりと示すべきです。
そうですね。失礼しました。少々意図を読み違えていたようです。申し訳ありません。返答の当該部分を見え消しにしておきました。
「(個人的には)守りたいんだけど、仕方なく守れない」
という論理構成の回答のようですが、個人的には、後続車がいなくて、制限速度を守っても誰にも迷惑をかけないときでも、65km/hで走りたいです。(^_^;;
(そんな自分勝手な奴に子供を育てる資格はない!というお叱りは、それはそれで一つの見識と思いますが、私には受け容れ難いです)
あと、すみませんが、広く意見を募集したいので、回答は1人2件というのは変更しないつもりです。ご了承ください。
いえいえ、それこそ小生も裁く側にはなりたくない…
強いて言えば、65kmは常に許容範囲ですよね > 裁く側の人
#そういう意味では
#13のBeirii氏あたりの線がが落とし所かもですね…
子供の前では制限速度を守るという
その場合は子供が長じてから
そのギャップを子供自身が埋めていくとは思います。
あるいは
#15のiorum氏のように最初からいわば突き放すか
(ギャップを自分で埋めさせる
あの父親はお察しいただいている通り小生自身ですが
かなり古風な(ある意味頑固な)父親です…
少しだけ追記を
もう一つ方法がありました。:-)
・なぜなに質問箱等に投稿してみるよう促す
結果として法律の専門家等が出てきて
現実的な法解釈(現時点での日本のルール)を
子供が聞けるようにする
つまり丸投げ論ですか
#頑固オヤジ二人はかたくなに?50km走行かもですが
実際、郊外の高速道路で
左レーンをとろとろ走っている車があったら
案外小生かもです…
(都内ではどだい無理な話なので
世の制限速度を守らない(守れなかったではなく)ドライバーって、故意犯なんでしょうか。確信犯なんでしょうか。それとも未必の故意?
#ちょっと興味がわきました。
故意犯であれば、これはもう弁解の余地は無いわけですよねぇ。
悪いとわかってしたわけですから。
未必の故意だと『とりあえず交通の流れに身を任せて運転しているんだけど、流れ次第では速度超過になっちゃうかも』って感じなのかな?
これも注意不足は否めないわけでやっぱり弁解の余地は無いんじゃないかと。
確信犯であれば、親である自分の信念を子供に訴えるしかないんでしょうねぇ。
でも、信念ってあくまでも個人にかかる属性であって、社会に通用するものでは無いと思うんですよ。
『社会のルール』を教えるのに個人の信念を持ち出すのって矛盾しているんじゃないかと。
#いわゆる『世の中、制限速度を守らなくてもいい場合があるのさ』ってのはあくまでも個人の信念に基く考えですよね?
というかそれ以前に、これは紛れも無い速度超過違反という犯罪行為であるわけで、保護者たる父親にいかな信念があろうとも、例え制限速度が有名無実なものであったとしても、被保護者である子供に対して法律を破ることを肯定するような返答をすることはやっぱり良くないのではないかと。
良い悪いは別として、とりあえずその場を繕うために8歳の子供に速度超過違反を正当化する、あるいはごまかすような返答をするのであれば、それはもうとんちの類しかないんじゃないでしょうかねぇ…。
あとは日本人らしく『みんなやってるから』ですね><
はてな頑固オヤジ会(まて
少なくとも私は確信犯として速度超過をしています。
(この制限速度のほうがおかしい!ってこと)
あと、私は社会のルールを教えるのに、個人の信念を持ち出すことが間違っているとは思っていません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95_(%E6%B3%95%E5%AD%A6)#.E6.AD.A3.E7.BE.A9.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82
上記の「正義に合致していることが法を法たらしめることになるため、外見上は有効に成立した実定法も、その内容が自然法が求める正義に合致しないときは無効になる」に近い考えということになるのでしょうか。
回答ありがとうございます。納得しました。
#Baku7770様の回答、いいなぁ…。
車についているスピードメーターは個々によりますが最大で+-5km/tの誤差があるといわれています。パトカーも追跡中は正確な相手の速度が分かりませんから、こちらが制限時速を守っていた事を強く主張すれば10kmオーバーぐらいの微妙なやつはごまかせるわけです。
これはあくまで巡回中のパトに目を付けられた場合で、ネズミ捕りのスピードガンやオービスで測定された場合はアウトです。
法律の専門家に聞いても、
「1km/hでも超過したら違法だよ!」
となるだけのような気が・・・
あと、ちょっと前に、疑似科学に関するものがはてなブックマークあたりで流行りましたが、
(http://b.hatena.ne.jp/entry/3527481 はてなブックマーク - YouTube - 視点・論点「まん延するニセ科学」など)
「しつけも道徳も、人間が自分の頭で考えなくてはならないことであって、自然科学に教わるものではないはずです。」
と大阪大学の菊池教授がおっしゃってます。
同様に、法律に道徳って教わるものじゃない、と私は思っています。
ありがとうございます。
へー、そうなんですか!
知りませんでした。パトや白バイに捕まった場合は試してみます!
強気で行くのが大事ですよ。相手が食い下がってきたらその場で警察署に抗議の電話をかけるのも手です。とにかく弱みを見せて認めてしまったら負けです。
捕まらないに越した事はありませんが・・・
*
所詮、命が大事とかいうのはきれいごとで、自分の快適さのために他の人間が命を落とそうが不便を強いられようが、関係ないというのが品格を失った現代日本の悲しい姿なんだろう。
民主主義が正しいか間違ってるかなんて、ちょっと大げさでは?
あのナチスだって選挙で選ばれた政党ですが、それでも民主主義が間違っていると言うことにはなりませんでしたよ。
あなたがスピードを出しすぎれば、本当はずっと安全にずっと早いタイミングで道を横断できた歩行者が、猛暑の中または北風の中何分間か長く道端に立ち尽くさなければならないかもしれないかもしれないことを考えたことがあるでしょうか。
横断歩道上に車を停車することで、重い荷物を持った歩行者が何歩か長く歩かねばならないことの苦痛を考えたことがあるでしょうか。
昨年交通事故死者は51年ぶりという少なさでした。その要因は飲酒運転による悲惨な事故が続いて、取締りが厳しくなったためでした。逆に言えば、ドライバーが自分の責任をきちんと自覚し、安全運転につとめれば、毎年1000人以上の命が助かるということをあなたは考えたことがありますか。
*
私は難病で苦しむ一人の命を救うことよりも、今のこの自動車優先の交通事情を正常化することにより1000人以上の命を救うことのほうがずっと尊いことだと常に考えます。
だから軽い気持ちで車を運転するドライバーは許せないし、私のような考えを当たり前だと考えられない社会というのはやはり道理に反していると思うのです。
*
精神異常者が人を一人殺せば、誰もが隔離しろといいます。ところが車は毎年5000人以上も殺しても、自動車を廃止しろとはなりません。そして今年も、軽い気持ちで飲酒運転、軽い気持ちで30キロオーバー、軽い気持ちで抜け道を高速走行などなどが行われ、多数の命が奪われます。私はこのように車による殺人が軽視されているのは何らかの洗脳であるとさえいえると思います。
*
不思議なことに歩行者は反射材を付けて歩けといわれる一方、歩行者の姿を十分に確認できない速度で運転するドライバーに対しては何の指導も行われていないのが現在の交通安全運動の実態です。
*
交通行政をまじめに考えれば、そこには不合理があふれ、人命軽視があふれます。誰一人このようなことを認識しない状態で選挙にいったり、棄権したりするとすれば、それはあきらかに民主主義というシステムの欠陥です。
とにかく主権というものは重いのです。政治について、理想について、社会についてきちんと考えることなく、制限速度違反が常態化している状況に対して何の声もあげないとすればそれは有権者としての責務をまったく果たしていないといえます。
*
私は悲しいのです。
>昨年交通事故死者は51年ぶりという少なさでした。その要因は飲酒運転による悲惨な事故が続いて、取締りが厳しくなったためでした。
それだけでしょうか?
ここ15年くらい、交通事故死者は毎年減り続けています。
http://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h18kou_haku/genkyou/01010101.html
そんなに毎年毎年、取締りが厳しくなったという記憶はありません。
別の要因(たとえば車の対衝撃性能の進歩や、道路網の整備など)がメインだと考えるほうが自然ではないでしょうか?
現在でも毎年5,000人以上の人が亡くなっている事実は重く受け止めるべきでしょうが、最も多かった昭和45年に比べれば約1/3です。過度に悲観的になる必要もないのでは、と思います。
車は、個人の私生活に便利なものであるだけでなく、物流や交通を支えている基盤でもあるのですから。
あなたが言われている事は気持ち悪いぐらいに正論です。民主主義ではそれが正しいと言い切れないこともご存知だと思いますが、
私としては歩行者の方にも十分責任があると思います。
日本では車よりも歩行者に重きを置きすぎで、たとえ交通規則を厳守していようと飛び出した人を轢いてしまったら100%運転者の責任になってしまいます。それを知ってか知らずか歩行者は堂々と車道を歩いたり、横断歩道が無くても走行中の車を止めて道路を渡ったり、自転車で車道を逆走したりとやりたい放題。これがアメリカだったら轢かれるか逮捕されても文句は言えません。
つまりは交通事故は歩行者のせいでもあるという事です。
速度15キロオーバーももちろん完全に判断が狂っていると思いますが、追い越し禁止区間であるにもかかわらず追い越しをしたり、合流しようとする車があるのに、制限速度を30キロも超えるような速度で迫って前に行こうとする車があったり、明らかに飲酒運転をしていると思われるのろのろ運転の車があったり、歩行者が避けることを前提に突っ込んでくる車があったり(実際にぶつけられたことがあります)、ほんの少し回り道をすれば十分広い道があるのに狭い道に進入し、当然のように歩行者をクラクションでどかせる車があったり、ウィンカーもださずに車線変更をしながらどんどん追い越していく車があったりと、人の命のはかなさも、車を運転することの責任感もまったく持ち合わせない車が多すぎると感じるからです。
*
私は本当に避けられない事故は1000人未満だろうと見ています。あとの数千人は、車優先の自動車行政による殺人です。
なぜこのような状況を大衆が許容するのか私には理解できません。
このような状況に思いを寄せることにない人たちが選挙権を得ることにも納得がいきません。もちろん横暴な運転者に免許が与えられている実態も完全におかしいと思います。
*
人は一度死ねば決して生き返りません。今の交通事情はこのことをまったく考えていないとしか私には思えません。私は悲しくてたまりません。
可能であれば教えていただきたいですねぇ。
はい。質問を終了するときには、どれを選ぶか(もしくは、どれでもない別の言葉にするか)決めてお知らせします。
はてな頑固オヤジ会は早くも解散ですね…
少しずつ見解が違うような気が
todo_todo氏:
抜け穴を子供に説明するための質問とは
しかも抜け穴の説明に皆が知恵を絞っている
歪められた車社会こそが諸悪の根源なのに
私は悲しい…
Beirii氏:
ほう、知的演習ですねこれは
いやそういうことにしましょうか
で、実際に説明するんですねそうですね
pasosavi:
警察がいいならいいのかも
警察がまずいというならまずいのでは
とりあえず法律は法律だし安全でもあるし
#実は先のなぜなに質問箱に丸投げ案は
回答時間からお分かりの通り
#16のtodo_todo氏のお答えを受けて
そうであれば正論をはっきりさせましょう
という話(半ば冗談)でして
貴殿へのご回答としては
投了を強いてしまう禁句でした… 失礼しました…
余談:
貴殿やretorin氏の気持ちは分からなくもないです…
既存の権威や法体系が完全無欠なはずはない…
この線で別質問を立てると興味深いかもです。:-)
(例:法律ってどの程度従うべきなんでしょう、みたいな
事故死者数が減少傾向にある最大の要因は医療技術の進歩です。
死傷者数・事故件数とも増加傾向にあるのがその裏付けです。
ちなみに、事故から24時間以内に死亡した方だけが事故死者数にカウントされます。現代の医療技術で救命され、しかしながら植物状態で一生を過ごす被害者が増えていることは死亡者数統計には表面上出てきません。
(家族にとって死亡以上の負担を与えることは明白なのにです)
(私にとって)法律はどの程度従うべきかについては、
私の中ではもう結論は出ているので、質問を立てるつもりはないです。
私の行動は、私自身の信念(価値観・道徳観)に基づいて行われており、
それを決定する際に、法律や他人の行動は、あくまで参考にするだけです。
「法律で○○と決まっているから、○○は正しい。」
「みんな○○をしているから、○○は正しい。」
どちらも私には、自分自身の価値判断を放棄した態度としか見えないです。
ただ、だからといって8才の子供に、自分の価値判断でルールを破られると、
ちょっと困ると言うのもこれまた事実でして・・・
「守・破・離」というのは、剣の道だけでなく、人の道にも通じるものがあると思います。
自分の子供には、中学生あたりで、校則とか親とか教師とか、いろいろなものに反抗する過程で、
「破・離」の部分は見つけていってほしいなと望んでいます。
確かに、救急医療の進歩は、めざましいものがあるみたいですね。
統計を見ても、死者は減っていますが、事故件数や死傷者数は増えていますね。
重度の後遺症は、死亡と同等か、それ以上に悲惨な結果を招いてそうです。
単純に怪我といっても、ピンキリですからねぇ・・・
「死傷者数」の中で、重度後遺症が残った者の割合がどう推移しているか、統計はあるのでしょうか?
(ちょっと探したのですが、見つからなかったので)
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009915120010601017.htm
>>
最近十年間について言いますと、事故件数、死傷者数の増加が約一・三倍であるのに対して、重度後遺症障害者数は、平成元年の九百七十三人から平成十年の千九百四十四人と約二倍の増加になっているわけでございます。
<<
だそうです。
人は結局のところ、自分がしたいことをする…
> 自分自身の価値判断を放棄
ある程度の放棄はやむを得ないかとも思い
小生のこの線引きは貴殿と全く同様
実はそれなり信念なのです…
(税金をきっちり払う/嘘をつかない等の延長線上
もっとも
貴殿のスタンスの方が多数派かとも思い
お子さんにうまく説明できるといいですね。:-)
お父さんのこうした悩みが分かる日がきっと来るかと
余談:
× pasonavi http://pasonavi.jp/
○ pasosavi http://d.hatena.ne.jp/pasosavi/
#これは何度申し上げてもだめのような気がしていますが
別の例 http://b.hatena.ne.jp/t/pasonavi
(多分このお方も思い込みだとは全く思ってはおらず…
お名前間違えていたようですみません。
> 人は人自分は自分、分かりますよ。異論なし :-)
> 人は結局のところ、自分がしたいことをする…
念のために申しますが、わたしは他人をどうでもいいと思っているわけではありませんよ。
むしろ、少なくともこの件では、「人が自然に作り出した流れを重視している」という点では、(法律に無条件に従うより)他人の判断や行動を尊重していると言えると思いますが・・・
#名前の件は当方はある意味どうでもいいのですが
あちらは間違えられると困るかもです…
誤解されないでいただければと思うのですが
> 人は人自分は自分
小生の意図していた意味:
貴殿にとって他人が法律に従う従わないかは
この場合は判断基準とはならない
貴殿としては自分で考えて物事を判断したい
という意味でした…
#法律に無条件に従うのは如何なものか
という貴殿のスタンスはよく分かります…
(それは既に述べさせていただいてもおり
小生も自分の信念の押し付けは毛頭ございませんので
その点はどうぞご理解ご安心ください。
最後に、わたしの最終的な結論(?)を申し上げます。
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良い事に気が付いたね。
(まずは褒める案、採用!)
どうしてみんなルールを守らないんだと思う?
(考えさせる。そして、質問に対してはすべて正面から答える。)
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です。
結果的には、ちょっと困ること(子供の勝手な判断でルールを守らなくなるとか)
も発生するかもしれませんが、やはり小手先に頼らず、正面から向き合うべきと感じました。
お付き合いいただきました皆様、みなさんありがとうございました。