私は、魂が永遠であること、そしてそれが輪廻するということを、けっこう信じています。
魂の永遠性や生まれ変わりを信じる考え方は、特に原始的なアミニズムに幅広く見られます。それぞれが別個に発生したと思われる素朴な信仰感であるにも関わらず、魂の永遠性や輪廻転生については、判で押したように共通していること。ここに私は、前世や来世の存在の信憑性が見て取れると思っているんです。
実際にそういうことがあるから、古今東西を問わず同じような伝承が伝えられている。実際にそれを体験してきたり見てきたりした人が複数いるから、そういう言い伝えが定着している。そう考えるのが自然だと思うんですよね。
だから、おそらく前世はある。そしてもちろん来世もある。私はそんなふうに考えています。
ただ、自分や他人の前世が何であったかということには、あまり興味がありません。また、来世があるから現世を粗末にしていいとも考えません。
おそらく前世や来世の存在が科学的に解明されていないのは、それは「意識」の連続性を保証しない現象であるから、ということだろうと思うんですね。
魂はたしかに永遠で輪廻もするが、生死を起点に意識は揮発する。前世の意識は現世には継承されず、現世の意識も来世には継承されないと。
したがって、現世の意識はたった一回。その意識を命と考えるなら、まさに「たった一度の人生」「死んでしまえば全ては終わり」なんです。
輪廻転生と、たった一度の人生という考え方は、ここにおいて両立します。したがって、いくら魂がリサイクルされていくとしても、現世の命は一度きり。前世や来世の存在に関わらず、今の命を最大限に尊んでいくことが不可欠だろうと思っています。
たった一度の現世を重視すれば、自分についても他人についても、前世や来世を考えることは無意味であると。そういうことです。
仏教でいう成仏。キリスト教で言う新しいエルサレム(神の国)への蘇り。これが宗教の考える、現世の意識を持ったまま到達する来世です。そこに至れなければ意識はリセット。至れればもうこの世には戻ってこない。いずれにしても、この世の中で過ごす現世は一度きりです。