宮本常一編集の平凡社の叢書「日本残酷物語」は1959年から刊行開始。(それと無関係な映画、「日本残酷物語」は63年公開。これはヤコペッティの亜流)
大島渚の「青春残酷物語」は1960年公開。
永島慎二のマンガ「漫画家残酷物語」が1961年刊行。
ヤコペッティの「世界残酷物語」は日本で1962年公開。
南條範夫の「被虐の系譜-武士道残酷物語」は1963年刊行で、同年に「武士道残酷物語」として映画化。
なぜこう質問させてもらうかといいますと、呉智英「マンガ狂につける薬 下学上達編」で、「残酷物語という言葉は、「南條範夫が元祖で、映画やドキュメントの題名にも使われて流行語となった」とあったからです。
でも、こうして並べてみると、南條範夫が、一番遅いように、見えますが。
最初は、『残酷物語』ヴィリエ・ド・リイラダン 斎藤磯雄 訳 三笠書房 昭和十ニ年六月十八日発行、かも知れません。(元のヴェリエ・ド・リイラダン『残酷物語』は一八八三年です。)
元祖という言葉の意味が、一番古いものということであれば、もっと古いものも見つかるかもしれないですね。
流行語のきっかけになったものが、元祖ということであれば、南條範夫ということもありえます。(南條範夫が他の作品からヒントを得ていたとしてもですね。)
今では、残酷物語というのは、青春物語と同じようにつかわれているような気がしますので、元祖ということ自体意味が無いかもしれません。
ただ、上記リラダンの「残酷物語」が1954年に新潮文庫に入っています。南條さんが、これを影響を受けていたのかもしれません。