東大総長に≪例の≫!!牛尾氏が詰め寄って」強行したようですが。。。
これって!!
本当に実力のある、帝大時代レベルの入学者を
日本の国立大学が採らないということではないでしょうか?
目先の受験経費数千万を削って、
日本の人材資産数兆円を捨てることにはならないでしょうか?
牛尾氏らのやってきたことは、
一貫して!!日本の国損になってるところから、
考えてみると・・・
彼らユダヤ政商属国主義者らの本音を考えてみたのですが・・
皆さんは、どうお感じになりますか?
京大は今年から後期日程がなくなりました
当初は突出した才能があったり、ちょっと変わった人間を
取ろうと言うことで後期がありましたが、
現在ではただ偏差値が低いだけなので、
意味がないということだそうです
東大京大レベルならば後期日程をなくしても良いと思います
それ以外ならば、前期は東大、後期は○大のような受験を
する人もいると思うので、必要でしょう
AO入試のようなものをやるべきかという議論は、
他の大学がやった結果を見てからでもよいのでは。
前期一発勝負だから、受験者全員が「後がない」状態になりますよ。
そもそも、後期の受験生は、前期に落ちたから後期を受験してるのであって、「わざわざ」「後がない」状況に飛び込んだわけじゃないですよ。そして、後期合格者が前期合格者より優秀という証拠はありません。
むしろ、非常に優秀な学生が、
冒険を前期でしたために?できるように?!?
絶対、自信のある人の集団が、
後期日程ですから・・
歴史一つをとっても・・
中学と高校とでは、
同じ事件を取り上げても、、
そこから派生する視点が大きく違うということを思うと・・
また、教育の最終目的を考えると・
試験のシンプル化により、
学生の思考法、能力のシンプル化は比例してるといわれます。。
戦前、江戸時代の試験・・
同じ19歳、16歳でもずい分、大人の見方を、考え方をしているのに驚くことがあります・・
今は・・幼稚化してる?!?
ペーパーテストでの、
二元論と対極にあるのが、論文だとすると、、
教授も、
少人数だからこそ、
また、時間をかける値打ちのある回答だからこそ、
そういうテストをして採点?合否を考えるというわけでしょうか・・?
優秀な人材が学生として、近くにいることで、
多くの学生も刺激を受ける・・?!?ということはないでしょうか
アメリカが彼らを取って、
日本でなく、アメリカの大学で
特許につながる開発は、発見、発明をさせたいという思惑があると思います。。
日本の大学のレベルは下がると思いますが・・
小論文を課す学部、前期後期に関わらずよく見かけます。
小論文はあるテーマや論文を与えられて、それについて論じますが、
詳しくその事象について知っていないとかけませんし、文章を読んでそれが何を主張しているのか、何について述べているのか分からなければ書けません。
テーマや文章ももちろん当日まで分かりませんし、限られた時間内に仕上げるのは容易ではありません。
つまり、文章を読んで著者の主張を読み取る国語力、その事象に対する知識とそれに対する自分の考えを説得力のある文章にする・・・ですので、大学のレベルにもよりますが、学科試験に負けず劣らず難しいと思います。
こういった試験は、普通の学科試験とは形こそ違えど十分評価の方法としてアリだと思いました。
後期廃止しても、そのぶん前期の日程を増やすわけですから、結果はそう変わらないでしょうね。そもそも現行の分離分割方式自体、連続方式導入後に東大に大量に合格者を取られた京大が憤慨した結果だったはず。
しっかり与えられた科目を勉強して前期で大学に入ってきてほしいという考えなら賛成です。
現在ではAO入試や地方国公立で地域枠が設けられれていたりもします。そういったことを考慮すると受験をシンプルな体制に、という考えから一概に後期日程廃止が悪いとは言えません。
また帝大時代レベルの入学者を取らないというのも、一部後期日程が廃止され始めた高レベルの国立大学の受験者数の変動を見るとあまり影響がないと思います。恐らくはそういった状況をきちんと考えているのだと思います。
特に東大は後期日程を科類をまとめて人数削減、そして前期の人数増加など、受験勉強をしっかりやった人が評価の分りにくい小論文で合否を判断されないシステムに変えようとしているのだと思います。
行きたい大学なら浪人しても仕方ないと思って受けるでしょうし、学生は集ると思います。
むしろ、後期試験がなくなれば前期で冒険する人が減って、レベル自体は上がるんじゃないですか?後期はやはり滑り止めと考えてる人が多いと思います。
ユダヤ云々に持っていくのはちょっと無理があるんじゃないでしょうか。
後期日程を単なる学生の救済措置ととらえた場合には、後期日程はなくてもよいと思いますが、前期日程とは全く違った試験を行うことによって、ユニークな学生を採ろうということであれば、後期日程はあった方がよいと思います。ユニークであるということが、実力があるということにつながるかどうかはわかりませんが、そういう人がいた方が、集団が活性化されるような気がします。
後期日程がなくても、他に行くべき大学はそんなにないから、結局ちゃんと学生は集まる。だから、後期日程がなくなっても問題ない。
今の入学者が「帝大時代レベル」かどうかは知らないけど、受験者の集団から上から順に合格にする点では、今も昔も試験がうまく出来ていると思う。
ユダヤのせいにするというのは、「悪者」をつくりたいのでしょうか。
前期(4科)合格者と後期(小論文)合格者の間には歴然とした差があって、どうしても後期合格者だと基礎学力が無くて、そういう人は試験の時に困っていたのも確かです。
東大なら、「論文やレポートの書き方の授業(「基礎演習」と呼ばれており「情報処理」とならんで全員が必修でした)」がちゃんと入学後にありますし、前期の試験も理社は論述式でしたからね。小論文が書けてもあんまり意味がなかったりします。
上記kk_solanetさんのいうような前期合格者と後期合格者の学力差は一般的なものだと思います。(私の知る4つの大学、9つの学部で同様の意見を聞いています)
後期は小論文など、前期と異なる試験を課して前期とは異なる学生(いわゆる特殊技能を持つ学生)を受け入れる試験としての役割もありましたが、現在はAO入試や社会人入試
に取って代わられており、その役目は希薄化してきています。
よって、大学側としても必要性を感じなくなってきているのは事実です。
他の調べごとをしだすと、
次々、今まで、真実と思い込んでいたことと正反対の事象を裏付ける資料が、ドンドン出て来て!・・
A)さて・・・現在はAO入試や社会人入試ですが・・・
これが後期学生と役割?が変わってるというのは、
かつての専門学校での優等生、、つまり・・
二元論的な情報の暗記や、
マニュアル通りの再生モノの成績がいいだけではないでしょうか?
これって・・・本来、大学生レベルの学力?能力?とは、
別物??
本来は、高校で採点される能力では?!?
同時に、編入制度でも、
本来、天才的な才能とはいえないでも、
単に、苦手な科目を評価なしで入学できるという
便宜を使って、資格を取得し、
結果!視野の狭い、偏った視点での、
特殊技能者?として、社会で羽ばたくような状況?!?
ともかく・・・公明党が触るまでは、
日本人が作り上げてきた文化、伝統、習慣、社会制度は、
まともに!機能していたのです・・
また、二十代と十代の脳力では、
研究開発する時の、
基礎となる根本的な視点の自由さが育つ時期や集中力の違いが
あると思います
結果、その土台の上でされる研究には、
高く育っても、すぐ崩れるような
又、対処方法を考え直さないといけないような、
行き当たりばったりの研究に費やされるのは、
浪費ではないでしょうか?
基礎的な純粋の開発能力と
応用能力(企業の特化した研究)の違いの幅が大きいほど
それを埋めて完成する技術は、
多面からの追及がされ、適応力の高い技術が生まれる?
その協力体制で70年代80年代の日本の技術が
世界に冠していた理由ではとも思えるのです・・?!?
今は、圧倒的な技術力と仕事の落ち度や、村が少なく、
質実ともに世界一でしたが、
今の事故が続出してるのを見ると・・
結局は、流通での競争にさらされ、
価格競争のために、否応なく起こってる事件もおおいでしょうが
やはり、、日本人が日本人らしくなくなってるということだと思います