戦後、京王帝都電鉄によって開園されたことはわかりました。googleで"東京朝顔園"で検索できるサイトは一通り見ました。
井の頭線の写真集から、富士見ヶ丘駅から行ける場所にあったらしいこともわかりました。
しかし、
・いつからいつまで存在したのか
・どこに存在したのか(正確な住所または地図上のポイントで)
・どんなところだったのか(広さや規模の情報、写真なども)
などについて手がかりがありません。
情報をお持ちの方、ご回答お願いします。
『朝顔抄 花とともに六十年』尾崎哲之助 誠文堂新光社(昭46)
や、
世田谷区が発行している、
世田谷古地図(明治14年、昭和4年、昭和14年、昭和30年)
をみれば手がかりがつかめるでしょう。がんばってください。
前者は国会図書館で。後者は世田谷区の区政情報センターで入手できます。
開園は戦後間もなくです。
http://www.keio.co.jp/company/corporate/summary/history/history_...
この施設?と地理的に近いので、なにか関係があるか、知っているかもしれません。お問い合わせください。
http://blog.goo.ne.jp/tairinasagao/e/092170d20e585eea3e2ebfc91a2...
実際の朝顔園の様子については、この方に尋ねてみればわかるかもしれません。
http://www.ongakumura.net/2006-6tuki19-29.html
朝の散歩で、いつもの川のほとりで大きな朝顔が咲いているのを見つけた。
小学生のとき、世田谷の自宅の隣に朝顔園というのがあって、
そこのおじさん達といろいろ話したことが想いだされる。
http://taxa.soken.ac.jp/Asagao/J/Introduction/htmls/48.html
http://www.nhk-book.co.jp/engei/news/asagao_2007.html
また、明治40年以来の伝統を持つ東京朝顔研究会に連絡をとってみればさらに情報が得られるでしょう。
日比谷図書館に所蔵されている『武蔵野』という記録映画には、朝顔園の様子が収録されているようです。
http://www.library.metro.tokyo.jp/13/13av/f290.html
武蔵野 3巻 カラー
多くの人に愛され親しまれている武蔵野も、うつりゆく時代の波に追われて次第にその美しい姿を消してゆく。日を追って伸びる宅地造成、工場建設。その中で今もなお昔の姿を残している府中大国魂神社高幡不動、深大寺、ダルマ市で賑う元三大師、烏山ろ花公園、明治記念館、東京菖蒲園、朝顔園など武蔵野特有の四季の移り変りをみる。
「朝顔園」だけだと昔は各所にあったようで、ここまで探し切れていませんでした。
「岩通所蔵」とされるイラストマップには、やはり久我山病院への道沿いにあったように書かれていました。
お勧めいただいたとおり、足も使って情報収集しようと思います。
本当にありがとうございました。
猛暑であまり人もいませんでしたが...
当時は久我山病院の隣だったかも知れませんが、いくらか距離は離れていました。
東名高速の高井戸トンネルの南側付近のようです。
現在、この付近に京王ストアがありますが、朝顔園が京王のものであったことを考えると、現在のストアの場所も朝顔園の一角なのかも知れません。
とりあえず、誤差100mくらいまでの範囲でわかってきました。
情報頂いた方へのお礼まで。