基本的に車輪付きの交通機関は平坦な道か軌道でなければ運用不可能です。
ヨーロッパや中近東の広大な平原など、ローマ帝国が支配した地域は元々平らな道を作り易い地域でした。
全ての道がローマに通じたのは地勢がそれを可能にしたからです。同じ事は中国の平野部にも当てはまります。
だからこそ少ない兵力でも広大な地域を高速移動(当時のです)する事によって効果的に軍を配置展開できたために支配が可能だった。
従って広大な帝国が発生し、車輪の付いた馬車なども道路の建設に合わせて増えていきました。
これは世界史の常識なので、参考文献など無いのでは?(常識は取り立てて記録される事が少ないのです)
日本は山間部が多く、平野が少ない。平らでアップダウンの少ない道を長距離に渡って作るのは技術的に困難だったのです。
平城京や平安京を一歩出ると海運に頼る地勢です。人間が歩いて移動するための道が国道でした。
例外は騎馬ですね。これは高価でコストパフォーマンスが悪い。それでも武田の騎馬軍団などそれなりの実力がありました。
羽柴秀吉の毛利攻めも人員の輸送こそ陸路ですが、軍需物資の輸送は海路がメインでした。
輸送の大動脈を支配する者として瀬戸内海の水軍が強大な勢力を持っていたのです。
大量輸送機関は人員輸送に於いてさえ昭和初期ごろまでは船が主でした。徐々に鉄道が増えましたけどね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%88%B9
和船の伝統は、四季があり台風も来る日本の自然に合わせて発達したものです。
今でも底の深い和船は復元性に優れているため風の強い日には安心だそうですが、安価なグラスファイバー製に押されて絶滅寸前です。修理の出来る船大工は希少価値です。
http://shopping.autobytel-japan.com/wheel/trivia/tire2.html
http://www.erca.go.jp/taiki/siryou/pdf/W_A_001.pdf
一応後付けですが検索してコレぐらいは見つけました。車輪の歴史に関してはサイトが無いみたいで昔その筋の本を読んだことがあるのですが、・・・。
ご参考までに。