何かの現象や物体を見たときに、それを言葉にすることは、デジタルの世界でいう「量子化(quantization)」、そして「符号化(coding, encoding)」にあたるといえるでしょう。また、言葉を意味へと還元するときにも、「復号化(decoding)」が行われます。これらの量子化、符号化、復号化の処理の際に、量子化誤差・符号化誤差・復号化誤差のようなものが生まれるから、言葉によるコミュニケーションには誤解や勘違いが生まれるのではないでしょうか。
禅が、言葉に依存するな、言葉を使ってものを考えるな、不立文字というのも、言語のデジタルな処理による誤差を排除することが目的ではないでしょうか。
皆様、いかがお考えになりますか。
同一集団内での相互作用を可能にするという側面さえあればよいでしょう。
取り込む素材が歴史の中で変わっちゃってるから文化圏によって疎通性がさがるのだとおもいます。
が関連しているのではないでしょうか?種を残していく、生存を目指すといった生物としての特性が、恣意性を深めるのではないでしょうか?
をするということも大切かと思います。
事象の理解を助けるはずのメタファーに振り回されるというのは良い表現と思いました。
説明可能であっても、異なるシステムで走ってるところがあってもいいんでないでしょうか?
わかりやすいものでいえば、私のあげたのに、
「ちいさい<ゃゅょ>を表すj(発音記号で、yの音)、
「ちいさい<っ>」を表すQを加えたものです。
人間は五感だけでなく全身を使って情報を受け取っています。
言語中枢は比較的重要な領域の一つではありますが、全てではありません。
むしろ他の刺激に従属するのではないか?と感じる事もあります。
記号化されていると思いますが、
デジタル=区別化されているかというと???
書き言葉は口調やスピードや顔色を排除して記号化するのに成功したと考えられますね。
話し言葉がそのまま書き言葉になるということは、我々の話している言葉は、記号であり、デジタルであるということにならないでしょうか。
でも、書き言葉になると、口調やスピードや顔色が見えなくなるから、誤解が多く生まれやすくなるでしょうね。
ありがとうございます。
日本語の音節の種類は、いくつというのが正しいのでしょうか。
入力情報に喚起された刺激は複数の波に起こす。ニューラルネットの複雑に入り組んだ網目の海に情報の刺激は波紋を伝える。無数のポイントを通過し減衰し、増幅する波は次々と接点を刺激していく。やがて波紋によって結ぶ像をすくい取る。
組み合わせる事で1つの音を表すならば、普通の数字をあらわすx進法にはならないと思いますね。
ただ、分けられた要素として「区別された値」と言う意味でのデジタル的な扱いはできるかもしれませんね。sibazyunさんの例では18個の要素とその組合せで表す処理装置はありえるかもしれません。
でも、リンゴと聞いてR、I、N、G、Oと脳内で変換するのは面倒なような?
ところで、「ン」ってNでいいのでしょうか?
元々、Gay_Yahngさんのコメントの前の「デジタルって世界中どこでも便利な技術ですよね~」ってレベルで終了しちゃったつもりだったんですよ、このツリー(笑)
これはALL-OR-NOTHINGの話じゃなくてSOMEの話でして。国際単位系やISO規格って、それだけじゃコミュニケーションできないけど、コミュニケーションの一端を担うのに便利な基準じゃないですか?便利じゃなかったらはじめから国際規格なんて作らないし。デジタル技術が発達してこういうのが楽になりましたよね、確かに~。ってな程度な話だったんですよ。
脱線話で血圧上げちゃって申し訳ありませんでした。本題の方に戻ってくださって結構ですので~。おつかれさまです。
情報機器の統一性が民族間の統一性に貢献するって事です。
民族間の統一に貢献しているとは思えないです。
一太郎や筆まめのUIに表示されるのは、「コンピュータ言語」じゃなくて「日本語」ですから話の論点が全く違いますよ~(笑)
論点の違う「言語コミュニケーション」と「情報機器の言語」、を言語という言葉で比較しているのを、
むしろ戻している思うのだけど。
コンピュータは日本語読めないし。教科書の例を出しちゃったからまずかったですね。ごめんなさい、混乱させちゃって。
次元のちがう話を比較対象におくと混乱すると思います。
ハードウェアで言えば、紙に文字を書いて綴じるという「本」というハードウェアの仕様は統一されているが、それで民族間のコミュニケーションに直接寄与するわけではない。コミュニケーションに寄与するのはその本(ハードウェア)に乗っている言語(ソフトウェア)が担うのでは?
「言語」って言葉を使うから悪いんですね。このいわしでこんな話を続けて良いのか分からないんですが・・・そもそも言語や脳やデジタルの話じゃなくて全然脱線しちゃってるんですよけど話続けちゃいますか?(笑)
ただでさえ、言葉の意味があいまいなここの議論でわかりにくい比喩を使うのか、、、
まあ、じゃあこれ以上はやめましょうか。
論理→ロジック。ALUのLの字の事でした~。
つまり情報機器に統一性を提供したって事ですよ。
そして、情報機器の統一性が民族間の統一性に貢献するって事です。
言い換えれば、数式同様、AND、NOT、OR、XORはどの国でも同じですし。
日本の一太郎や筆まめを持ってアメリカに行っても、日本語が分からないアメリカ人にはさっぱり。
一太郎や筆まめのUIに表示されるのは、「コンピュータ言語」じゃなくて「日本語」ですから話の論点が全く違いますよ~(笑)コンピュータは日本語読めないし。教科書の例を出しちゃったからまずかったですね。ごめんなさい、混乱させちゃって。
「言語」って言葉を使うから悪いんですね。このいわしでこんな話を続けて良いのか分からないんですが・・・そもそも言語や脳やデジタルの話じゃなくて全然脱線しちゃってるんですよけど話続けちゃいますか?(笑)ShinRaiさんに悪いような・・・ようは、「コンピュータやインターネットが出来て、世界中どこも便利になったよね♪」ってだけの話です。
コンピュータ言語もしかりですが、国際単位系でも良いんですよ。国際規格になりうる要素があるか否か。そして実際にどれだけ海を越えたコミュニケーションに貢献しているか。言いたいのはここなんです。
かといって、別にプログラミング言語やメートル法を使って直接外人とコミュニケーションが取れるなんてのは言ってませんよ~?だって日本語発音で「メートル」って言ってもアメリカ人には通じないし(笑)
例えば、日本や中国で使われていた「尺」という単位と「メートル」を比較すると、その由来を考えればメートル法がいかに民族間の統一規格になりうる要素が高いか分かりますよね。(まあ、マイルに拘るへそ曲がりもいますが!)
「『一つ』の論理的に処理できる統一性」というのは、それ『一つ』がコミュニケーションの全てになりうるというわけではなく、コミュニケーション全体の『一つ』の項目を補う事が出来るって意味ですよ。
この議論の本質には関係しないと思いますが、言語学の立場から念のため。
日本語の音素は、(厳密にはちがうが、わかりやすくいうと)a,i,u,e,o の母音と、k,g,s,z,t,d,h,b,p,n,y,r,w などの子音です。「五十音」、
すなわち「カ(ka)」などは、その複合です。
だって、民族間に一つの論理的に処理できる統一性を提供したんですよね?情報機器間に統一性を提供したって事じゃないですよね?
日本の一太郎や筆まめを持ってアメリカに行っても、日本語が分からないアメリカ人にはさっぱり。
コミュニケーションのレベルではコンピュータ言語の出る幕じゃないと思うけど。
じゃあ追加で
x進法は5進法になっちゃうんですか?音素と音節は同じ次元に並べちゃっていいんですか?それとも50進法?
離散的数字は1,2,3,4,5・・・・という量1ずつあがっていきますが50個の音はどういう量の違いなのでしょう?
質問10:50音表のそれぞれの要素はどういう関係がありますか?
肉体もデジタルなのかどうか?
環境がデジタルなのかどうか?
頭脳がデジタル処理を前提に作動しているとすれば環境と融和するには細分化するしかないでしょう。
確かに感覚器官の刺激はデジタルで神経線維を伝って脳に至り、デジタルに処理されているように見えます。