勝手ながら、ここでの「質の高い」と定義すると
・適切な取材元、または資料を利用している(取材元は秘匿されるかもしれないけど)
・事実と伝聞(不確定情報)が明確に切り分けられる
・主観が入らない、または主観であることが明記される
・文章の狙いが明確で、個人の思想信条に極端に偏らない(ある程度は仕方ないけど、単に人をこき下ろすだけではない)
こうしたジャーナリズムをネットで実現させるには、どういう方法があると思いますか? 例えば、オーマイニュースは失敗したけど、それに代わるメディアを立てるとしたら、何か良い方法はありますか? もしくは、ブログ、市民ジャーナリズム講座を開くとかのアイディアは有効だと思いますか?
これは確かに。そのための方法が確立、流通するといいなぁ。
査読システムが質を保つために必要だしなぁ。
ウェブを使えば誰でもジャーナリストになれるというのは幻想です。
この二つの技能をともに備えてはじめて、「ウェブでの上質な表現/ジャーナリズム」が実現できるのです。
ウェブの双方向性を理解しない「言いっぱなしジャーナリスト」はウェブでは生き残れませんし、逆に、「マスゴミ」の報じない裏情報と称して裏のとれない情報を垂れ流すネットワーカーはジャーナリストたり得ません。
また、SNSやWikipediaなどを含むウェブ2.0は、「真実」にたどり着くための装置とはなりえません。それは「多数の人がどう思っているか」「どういう少数意見があるか」を浮かび上がらせることができるかもしれませんが、しかし、真実は多数決ではありませんから、ウェブ2.0はジャーナリズムと相容れない存在であるともいえます。
記事チェックは、チェック者による検閲が挟まるわけですから、そのチェックが発言者のよいところを殺すこともあります。
ここで、忘れてはならないのは、受け手のリテラシーです。
「上質な言論やジャーナリズム」を期待するだけではいけません。「上質な言論やジャーナリズム」を見抜く力が受け手になければ、単に大勢にウケる情報、目先の役に立ちそうなハウツー情報ばかりがのさばることとなり、悪貨が良貨を駆逐する結果となるでしょう(いや、現状がそうだといえます)。
「ウィキペディアは信用できない」という記事が最近注目を集めましたが、そもそも何か信用できる情報があると思っていること自体がリテラシーの低さを露呈しています。マスコミもウェブも完全ではない。その中から真実にたどりつくための手がかりを探し出し、自分で真実を見つけていこうという姿勢が、受け手の側に求められます。
最も重要なのは、受け手のリテラシーを高めること。それが実現できれば、情報は淘汰されていくでしょう。
遅くなる可能性があるのでなんとも言えないところですね。
個人での情報発信のみでは、主観が非常に大きく影響するため、新聞や出版社のデスクのように記事をチェックできる体制が作れると、質を維持できるかもしれません。
■WEBの特性からかんがえると、
「取材データを延々とアーカイブし続けて閲覧可能な状況にしておく」
というシステムがあれば面白いのではないかと思います。
・編集無しで延々と撮られた動画
・編集無しで延々と録音されたインタビュー
などの編集していない一次情報を紙面や放送時間の制限なく晒すことができるということが、WEBの優位点なのではないでしょうか。
■そのアーカイブされた情報をいくつか切り出してまとめたものがスレッドになるようなシステムを作れば今までと異なるニュースの形が出来るかもしれないです。
スレッドに対するレスポンスは全て主観と伝聞の追加情報という切り分けも出来ます。
2ちゃんねるのニューススレッドの発展版という感じです。
市井のぼやきと政治的経済意図がある書き込みが並列になっていれば、その異質感は見る人が感じ取ることが出来たりします。
(気の利いた人がその意図を喝破してくれたりすればなお良いですよね。)
(そもそも2ちゃんねるのニュースは限られた人が恣意的にニュースを選んでいるという問題もありますが)
■ジャーナリズムとは、
まず事件があって、その事件を調査によって裏付けているという風に見えますが、
裏を返すと
ランダムな情報のログの中から、いくつかの一見関連のないログを複数ピックアップして意味を持たせる表現方法のひとつがジャーナリズムなのではないかと思います。
なので、主観や意図はなくならないと思います。
ジャーナリズムそのもののあり方を変えるわけではなく、
・WEB上に一次情報を増やしまくる
・経済活動ではないジャーナリストの記事を増やしまくる
でたくさんの言論を比較できたらよいんじゃないかと思います。
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>ブログ、市民ジャーナリズム講座を開くとかのアイディアは有効だと思いますか?
有効だと思います。
「新聞記事の比較ブログ」などがあれば読みたいですし、メディアリテラシーの勉強になるとおもいます。
意地でも、他のニュースが伝えない事件を選択し、
報道することです。
ことさら、(だれも知らないような)情報量が大きい事件を報じることです。
そのための障害は、利便性および経済的な理由でしかないでしょう。
というのは、全体的に重要な障害でしょう
そのために(読者に人気が出る)記事を選択しなければならなくなるのですから
情報を発信する団体を支援する団体(分かりづらいが、例えば広告主や支援団体等)の不利になる情報を発信することは、情報を発信する団体にとっては死活問題となります。
よって、情報を発信する団体を支援する団体が存在しない報道/ジャーナリズムが成立すれば、質の高い言論を行えると思います。
情報の発信の仕方や、情報の信頼性などは、自由な言論を行えるバックグラウンドが構成されないと難しいと思います。
立場や思想の違う人の意見が同じ記事に対して記事を書き、それを一度に掲載する。
それらを読んだ上で「読者が」モノを考える時代になれば、質の低い記事は掲載されても意味がなくなっていく。
既存マスメディアでは1つの紙面に1つの対価なので、偏った記事が掲載されていたとしても別の雑誌や新聞を買うことはまずないので、反証を得る機会がない。
「ペンは剣よりも強し」の意味を、偏向報道による人民誘導だと思っている世代の駆逐は発信者側ではなく受信者側によって行われる。
ニュースソースの裏付けがきちんと取れていて、議論が活発になれば
媒体は関係ないと思います。
よく警察発表などを丸写しのニュースを発表していますが、意外と警察の
公式発表には間違いがあります。
いかに正確で信頼の置けるソースを発表するかが、重要かと思います。
今は、ceek.jpやGoogleのニュース検索で、手軽に比較読みができるようになりました。
各専門領域で自他ともに認知されたヒトが記事なりコメントなりを記載できる仕組みを構築できればいいのではないでしょうか。あるいは、それに加えて、社会的事件に対して即座に多数の人々の意見が集約できる仕組みがあればいいと思います(テキストマイニングなどで)
WEBやネットはある特有の性質を持った媒体の種別にすぎない。
紙媒体や放送媒体と同列です。
従来のジャーナリズムが本質的に紙や放送媒体上でしか
存在し得ないと考える理由はないです。
だから、質問の状況を手っ取り早く実現できるのは
「従来のジャーナリズムが媒体をWEBに移行させる」が簡単。
もちろん紙媒体や放送媒体の現在のジャーナリズムが質が高い
としたときの話ですが。
そのための障害は、利便性および経済的な理由でしかないでしょう。
利用者が、利便性をふまえて、ネット上の情報に間接的/直接的な理由で
必然的にお金を払うようになる状況が生まれるか、どうかです。
kindleとかでネット経由で雑誌とかが便利にリーズナブルに
読めるなら、個人的には紙媒体だけのジャーナリズムなんか
全く持って不要です。
やはり出来得る限り、ニュースソース、裏付け、署名が望ましいと思います。