全体としては当たり前のことをうまく言葉の定義がかみ合わない、あるいは意図的にずらしている? ために、これまでの定義とは違う新しいことを発見したかのような議論に持っていこうとしているように見えます。
まぁURLを貼るまでもないかとも思いますが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%8E%E3%83%B...
ここから「情報」と「伝送」「符号」あたりの関係を整理できると思います。
まずデジタルとアナログの言葉の定義としては
デジタルは量子化(標本化、数値化)
アナログは連続変化
にしましょう。これが言葉の定義としては普通だと受け入れてほしいです。
ShinRai さんが「アナログなバイナリデータ」という表現で言おうとしているのは、オートマトンとして扱いやすいデジタル符号とそうでないデジタル符号がある(仮説1)、ということを言っているんじゃないでしょうか。
まず、オートマトンとデジタルとの関係について。アナログの自然現象を標本化、数値化することによってデジタル符号に変換することによって、オートマトン理論が発達しました。つまり、アナログ信号は状態という考え方をすると無限大に発散してしまうものを、デジタル符号を導入することによって状態という概念を取り扱いやすい形で導入することができ、それをオートマトンによってモデル化することによってもとの信号のふるまいのモデルを定式化することが可能になります。
ですが、ここではデジタルがなければオートマトンは成立しない(命題1)、ということは言っていますが、その逆のデジタル符号はすべてオートマトンで扱える(オートマトンで扱えなければデジタルではない)(命題2)、という命題については触れていません。このあたりに誤解の根があるように思います。
# このことは前の質問のコメント欄にも出てますね。
仮説1については、オートマトンの分類について学ばれるといいのではないかと思います。シンプルな有限状態機械だけを考えていると扱いにくい事象についても、たとえば時間を特別扱いすることによってモデル化を容易にした時間オートマトンや、確率を導入することで不確定事象を扱うための確率オートマトンなどで扱うことができる場合もあります。つまり、オートマトンで扱いやすい符号もそうでない符号も存在する、という仮説1は正しいのですが、その表現や言葉の定義のずれから議論がうまく進んでいないものだと思います。
また、「時系列上で前後するデータの遷移」について、アナログの自然現象をデジタル化して、もとのアナログ事象を推定する方法のもっともシンプルなものとしてマルコフ過程があるのでこれも参考になるかもしれません。
このあたりを進めていくと、たとえば人間のつかう自然言語をオートマトンで扱う、といった言語理論とも絡むことになります。
まさにPCMはこのようにしてA/D, D/A変換しています。これはアナログ的です。
また、(別の質問も立っているようですが)この文についても、「このように」というのがシャノンの定義にしたがうことを指しているならば、シャノンの定義が普通で、「アナログ的」というのはアナログ/デジタルの一般的な意味とは別の分類のことを言っているように思えます。
D/A変換において、エントロピー的な差を利用して自動処理するところが、オートマトンであり、デジタルの本来の姿ではないでしょうか。
これ(仮説2)を「デジタル的」というならば、デジタル-デジタル間での符号化(圧縮とか暗号化とか)の話を想定されているのでしょうか。「エントロピー的な差を利用して自動処理する」ようなD/A変換というのはなにか想定されている手法がありますか?
デジタル-デジタル間であっても、たとえばシーザー符号のような簡単なものをはじめとして
受信機は,通常,送信機によって行なわれた操作とは逆の操作を行い,信号からメッセージを復元する
という手法のものもかなりたくさんあると思います(仮説2への反例)。
また、別の質問(1276980020)の分野かもしれませんが「操作」というのも概念上の問題です。たとえばアナログ回路の入力と出力を入れ替えても送信機が受信機にはならないことを指して、逆にしても受信できなかったからシャノンは間違っている、とは言わないと思います。
「操作」の入力対象としている信号と、そのときの出力信号を定義したときに、入力から出力への変換と、出力から入力への逆変換を定義できるとき、その「変換」に対する「逆変換」を「逆の操作」と呼ぶことで、すべての可逆通信はシャノンの定義にしたがうということもできます。非可逆通信についても、「復元」の定義として、送信機の入力と受信機の出力の等価性の定義を議論することで扱うこともできると思います。
何度でも書くが、あなたは言葉の意味を全く違って解釈しているだけだと思う。
デジタルか、アナログか、という言葉で定義するからおかしくなるのでは?
その二つの言葉にはきちんと定義されたものがあるので、それをひっくり返すには全世界の学会を相手にするぐらいでないと無理だと思う。
デジタルは、現実的には理論上しか存在しない。
デジタルデータを現実に存在する物にするには、電気信号などのアナログ信号を使わざるを得ない。
変調方式は伝送方法であって、変調された物自体は現実の電気信号であり、これはアナログ。
しかし、伝える内容はデジタル。
原子レベル以下では違う、と言っている人もいるけどね、その考え方だと全ての存在はデジタルになる、
全ての物質は陽子、電子、中性子、もしくはそれらを作るクォークで構成される。
つまり、クォークがいくつあるかだけの違いであり、完全にデジタルだとの事。
つまり、この世にアナログは存在しない、という
ご意見ありがとうございます
私もずっと考え続けてきたのですが、あなたは
(そして世界の学会も)
バイナリーとデジタルを混同していませんか。
デジタルというのは、もっとダイナミックな
オートマトンを実現する原理だと思います。
そこには、本当のエントロピー的安定がある。
2を底にする対数で示す意味不明な数字ではなく、
離散的なデータを、連続的に受け止めることによる
エントロピー的安定性。
これがフォン・ノイマンが述べた「熱力学の型と
概念形成のあとをたどることになるだろう」
(「自己増殖オートマトンの理論」、岩波書店1975、p109)
ということではないかと思うのです
よってこのままでは回答できません。
ただし、新しく「アナShin」や「デジShin」などの言葉を造り定義して、
「アナログ」や「デジタル」の言葉を完全に封印されるならば、何か議論できるかもしれません。
書き込みありがとうございます。
定義の違いを、お互いの定義を示すことで顕在化することはできないでしょうか。
私には、あなたの定義(およびその許容範囲)がみえないので、なんともしようがないのです。
あたたの定義とその許容範囲をお示しいただけませんか
内容がスタンダードとして認識されています。
過半数はなくともある程度の数の支持者があれば、少数派意見として認知もされるでしょう。
ですが、あなたの意見が例え、万が一にも、真実であったとしても、誰も発想したことのない
ような内容を、このような場で問うのは愚挙です。
まずは専門的な知識を有するコミュニティー(学会等)で、問うべきではないですか。
当時「はてな」があって、アインシュタインが相対性理論を、質問で
「時間や距離は絶対的でなく相対的なものだと思いますが、そのようなサイトがあったら教えてください。」
などと書いてもバカにされただけだと思います。
おっしゃることはもっともです。
とくに文字情報だけで読み取ると、なかなか本来伝えたい、言葉の向こう側にあるものは伝わりません。
人間は、自分があらかじめ知っていることしか、新たに知ることはできないといいますからね。
僕も自分のまったく理解できない、わからないものを見ると、馬鹿にしたくなります。でも、馬鹿にしても、自分は何一つ成長しませんから、一応調べてみたりしますが。
この「はてな」のすばらしいところは、学会のレセプションの会話レベルのコミュニケーションが時として得られることです。
学会の懇親会で5千円とか払うより、はてなで100円払って、そういった議論に出逢うことを期待するほうが、有効ともいえます。
たとえば、一般にシャノンは「デジタル通信の父」などともてはやされますが、彼はデジタルという言葉を一度として使ったことがないようなのです。
もちろんシャノンの先生は、ヴァニヴァー・ブッシュでしたから、アナログ派だったわけです。
ウィーナーも、アナログ派で、やはり一度としてデジタルという概念を使っていないようです。
そして実に残念なことに、情報理論の研究者は、シャノンを金科玉条としていますから、わけもわからないままに2を底にした対数をとって、それがエントロピーだなどといっているわけです。でも、それは、逆に学会では角が立つのでいえません。
「情報理論」の教科書は、わけがわからないままに、シャノンのいっていることを、真似して、半信半疑のことを書いているものばかりですよ。
結局、デジタルという概念を十分理解していたと思われるのは、フォン・ノイマン、ガモフ、そして免疫のネットワーク理論を打ち出したイエルネくらいではないでしょうか。
つまりノーベル賞クラスの学者ではダメで、それより10dBくらい上のクラスの学者の霊を呼び出して、議論しなければならないのです。
○○の科学の教祖みたいに、昔の人を呼び出して対談することができるサイトがあれば、そちらで質問をしたいくらいです。
はてなは、自分の知らないことを知るには、とても有効な場です。
ヴィゴツキーも、島泰三も、このはてなの人力検索で教えてもらいました。
それをきっかけとして、今度は専門書を読み、学会研究会に向けて準備するというのが、一番効率がよいのです。
馬鹿にするのは、自由です。でも、馬鹿にしても、何も成長はありません。
たとえ一万人の人が馬鹿にしても、1人の人がヒントをくれたら、はてなを使った価値はあります。
フォン・ノイマンですら、1950年のサイバネティックスの第7回シンポジウムで、デジタルということを論じたために、周りから袋叩きにあい、ウィーナーや、マカロックや、ベイトソンから、もう二度とみんなの前でデジタルを語るなと言われたのですから。
例えば、デルタシグマ変調はアナログでもデジタルでも実現でき(数学的に区別が全くない)、また入力と出力とでアナログとデジタルを混在させられます:デルタシグマ変調器は全く同じモデルでA/DコンバーターやD/Aコンバーターにもなり得ます。
上に「面白い」と書きましたが、例えば昔、ラジコンで「デジタルプロポーショナル方式」というのがありました。これはパルス位相変調の一種ですが、デジタルと呼べるのはパルスの部分で(時間方向には不連続)、パルスの位相は連続的に変化するので伝達される値はアナログなわけです。でも呼び名は「デジタルプロポーショナル」なのです。
コメントありがとうございます。
書きこんでいただいたことを読んでいて、ふと、思ったのですが(だから直接関係ないかもしれませんが)、普通、「変調(modulation)」というのは、「搬送波(carrier wave)」を、「ベースバンド信号(base-band signals)」で変調して、遠くに送る技術ですよね。
PCMの場合、「アナログな音波(音声や音楽)」を、標本化して、ビット値に変換する技術であり、ここには搬送波の変調の要素がなくはないでしょうか。
つまり、PCMは変調ではない!?のでは???
Wikipedia 英語版の Modulation の項目
http://en.wikipedia.org/wiki/Modulation
のテンプレートでは、PCM は "See also:" つまり「関連項目」になっています。
従って、Pulse-code modulation の項目
http://en.wikipedia.org/wiki/Pulse-code_modulation
には、このテンプレートが存在しません。
これまた定義の問題のようですが。
私の記憶では、
それは単なる数値化であって、本来はそれだけで「PCM」とは呼ばないようです。
その数値(や、その数値列に対応する符号)を大小のパルスの列に変換して初めて「PCM」と呼ぶらしいです。
「アナShin」や「デジShin」を既存のアナログとデジタルで使われる理論に勝手に当てはめてしまうところです。
このコメント欄も「アナShin」「デジShin」とアナログ、デジタルで書き換えた方が良いと思います。
学会では賛同してくれた方は多いのでしょうか?どなたかの感想は聞かれましたか?
デジタルとアナログについては、学会でもきちんとした定義がないのです。
そのために、何か手がかりを求めて、このような質問をしています。
あなたご自身、もしきちんとした定義をもっておられるなら、ぜひとも教えてください。
アナログは連続変化
でいいと思いますけど?
バイナリは2進法という事ですから、デジタル化の単なる方式の一つでしかないですね。
量子力学みたいな方向を攻めるなら、デジタルか?アナログか?、みたいな表現方法はそぐわないと思いますよ。
いままでも、他の方々も同じことを言っていると思います。
難しくしているのはShinRaiさんですよ。
少なくとも工学を勉強、仕事にしている人のデジタルは同じ概念だとおもいますよ。
アナログの電圧は測定するまではアナログだが、測定した一度数値になった瞬間サンプリングが行われ数値化する(=デジタル化)される訳で、その数値はデジタル。
アナログメーターの針の位置はアナログ表示だが、その値を読み取った時点でその値(数値)はデジタル値。
もっとダイナミックな、情報伝達のメカニズムとして
デジタルが機能するという可能性はないでしょうか
論文等で書かれないのはいまさら説明する必要の無いものなのでは?
なにも、「自然世界にデジタル、アナログと言うものがあって、まだまだ人類には解明できていない」と言うものでもなく、単に人が定義したものですから。
有りようを議論するべきものではなく、前提だと思うのですけどね。
ShinRai さんが既存のデジタルと言う言葉に違う意味を持たせようとするのはどういう意図があるのでしょう?「デジタルはアナログ値を数値化したもの」と言う意味・関係では何か不都合でもあるのでしょうか?
新しい概念ならば、何か新しい言葉をつけてあげればいいのに、古い言葉にこだわるのはなぜなのでしょう?