ひばりの「お祭りマンボ(1952年)」は、曲も歌い方も明るくて乗りも良く、結構好きだった記憶があります。 当時は、おもしろく聞いたし、ヒットし、あとの時代でも再演されることの多い曲だと思うのです。 ところで、今改めて聞いて、最後のところにくると、こういう終わり方の歌詞でヒットしたのか、なぜこういう歌詞にしたのかと、不思議に思いました。 私の感じ方の個人的変化というよりも、時代が変わり、あの歌詞や作詞にヒットを阻害する要因がその後に出現したと思えてなりません。 ひばりの1950年前後のその他の歌は、演歌とも通じるような面を感じるので、不思議さは感じません。 不思議な感じがするのは「お祭りマンボ」の最終部分だけです。 当時の人々の人生観、生活感、他人のついての意見の表現法などの変化に関係しているのかと想像するのですが、考えあぐねています。
解釈のヒントになるようなことをお教えください。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND14935/index.html
個人的な意見ですが。
カギは、1952年と、作詞/作曲を手がけた原 六朗氏かなと思いました。そして、「祭り」はいつか終わる、という定めのようなものも。
原六朗 - Wikipedia :http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%85%AD%E6%9C%97
「モダンな明るい音楽を好み、演歌を作曲することを嫌っていた」けれども、演歌風でという注文が多くて困惑なさっていたという感じの記述がありますね。
「お祭りマンボ」の終わり方は、ある意味「演歌風の曲」というものを求めるレコード会社側との妥協点だったのかも知れないと個人的に感じます。
1952年 - Wikipedia :http://ja.wikipedia.org/wiki/1952%E5%B9%B4
この年は「サンフランシスコ平和条約」の年でもあります。
楽しい日々も、悲しい日々も、いつか終わるときがくるかもしれない。
お祭りも終わる。けれど、占領という日も終わるよ、と読めなくもないです。
あくまで個人的なひとつの意見として。