丸谷才一の『笹まくら』は徴兵から逃げ続けて終戦を迎えた男が主人公なのですが、実際に戦争中ずっと、最後まで逃げ切った徴兵忌避者というのはいたのでしょうか?
もし実際にいたとして、名前を挙げていただけるとありがたいのですが、なにか手がかりになるような本や資料、Webサイトといった情報でも構いません。ご存知の方いらっしゃいましたら、よろしくお願い致します。
「徴兵逃れ」に関して情報量の多いページです。
http://www6.atwiki.jp/army2ch/pages/311.html#id_ffdb8b85
……その辺の徴兵逃れはやろうと思えば何とでも成ります。……
また、徴兵検査直前に醤油を飲むなど各種の欺瞞工作は行われていました。各市町村には、徴兵係が一名専任で置かれており、彼と懇意の場合は、徴兵を免れる場合もあったようですし、会社勤めで、事務屋をしていた人が、徴兵を逃れる為に、工場勤務と偽っていたケースもあります。
但し、徴兵逃れが発覚した場合の罪は重く、即刻召集、最前線送りというケースか、その代わりに常磐炭坑などの炭坑で炭坑夫となるケースがあります。
また、加藤陽子さんのウェブサイトに、下記の論考がアップロードされています。
反戦思想と徴兵忌避思想の系譜 御厨貴ほか編『岩波講座 日本文化論10 戦争と軍隊』岩波書店、1999年
http://www4.ocn.ne.jp/~aninoji/evasionofconscription.html
少し引用します。
強固な意志で減量し、肉体を持続的に衰弱させる方法で召集解除になった者に、文芸評論家の小田切秀雄がいる。自己の体験を語る小田切の語り方は無防備なほど率直である□( )■。
「ギリギリやせて四十キロほどになり衰弱してものうげなからだになった私は、徴兵検査場で”第二乙種合格”という判定になったとき、とにかく勝ったと思った[中略、召集されて入営するが]十日ほどの猛烈な訓練で、痔が急にわるくなったので、いやがられるのに耐えて病気申し立てをつづけていたら、うまいぐあいに牛込の陸軍病院に送られ、手術を受けた。二週間でよくなるのでまずいと思い、なんとか病院にいて、部隊が戦地に行ってしまうまで戻らぬ算段をつけようと思い、薄氷を踏む危険な二つの方法をとることに賭けた。」
※引用文、第一段落の最後の記号は脚注を示しています。詳細はリンク先でご確認ください。
加藤陽子さんの文章は下記の書籍のものです。版元で品切れの状態ですが、古書で手に入りますし、図書館にもあるかもしれません。
こちらの資料にこのような記述がありました。
近代日本における兵役拒否・兵役忌避・徴兵逃れ祈願
明治22年の徴兵令改正により免役条項はほぼ撤廃され,それ以降,忌避の主流は非合法的忌避へと移行していく。失除・逃亡や身体の設損・詐病がその主な手段となった。こうした手段を利用した忌避者の実数は不明だが,日中戦争後に至っても毎年約2,000人が失除・逃亡して行方をくらましている(菊地p,293)。
逃げ切れた場合でも後ろめたさからカミングアウトできなかったのではないかという気がします。名前が知られている人は少ないのではないでしょうか。
ご協力ありがとうございました!