小学生のうちは勉強しなくてもテストでよい点を取ったので天才扱い。
中学生でも勉強しなかったけど、クラスの上位にはいたから秀才扱い。
高校生だと興味の無い科目は勉強しないから赤点スレスレもしくは赤点、興味のある科目は満点近い。結局はクラスの中央ぐらい。
大学生になると落ちこぼれ。
社会人だと就活に苦労してようやく入った新卒の会社を早々に辞めて非正規。
(引用元:http://anond.hatelabo.jp/20130723100830)
その増田文、僕も読みましたが「自分が親だったら」視点というのは斬新ですね、目からうろこりました。
いわゆる結果主義、成果主義の話なのかなあ、と僕なんかは感じました。
ベイリーさんの意図とずれていたらごめんなさい。
元増田の文章からは「結果こそ全て」という成果主義にどっぷりつかった感がにじみでています。
恐らくテストの点数(私の時代だとセンター満点800に対して何割とれたか、が学生の唯一無二の指標、なくらいの純度でしたが、そういうの)それも結果系に対して、人間がランク付けされているんでしょう。そう意識していなくても性根に刷り込まれてるんですね。
この手の話のカウンターとしてすぐに想起されるのが「サラリーマンの年功序列から成果主義評価の導入」とドゥンカーのろうそく問題です。
どちらも結果系に対してのみ、評価を与え続けると、人は経過を軽視して短期結果のみに注力するため、長期的で実行力のある成果があがらなくなる、というジレンマを教訓として与えています(一側面として、なので実はそうではない、という面ももちろんある)。
で、何がいいたいかというとごく当たり前のことですが「人を育てる過程での評価軸は、結果系は軽視し、プロセス系に注力すべきである」ということです。
リンク先にも紹介されていますが、能力を開発する過程においては「100点をとった結果よりも」「100点を取るために努力した時間・労力」を褒める必要がある。高業績を上げた結果よりも他人が思いつかなかった発想を称えるべきである、ということです。
自分自身うまくできているとは言い難いので天唾なのは承知ですが、子供を褒める時にはそういった点を念頭においてはいます。
でも難しいですよね、時間的にも、心情的にも(親ですもん)。
とはいえできる限りは結果だけを見て子供を評価せず、経過にも介入するようにしています。
私が親ならテストの勉強ができるからといって必ずしも会社に就職できるとは限らない現在なので勉強に関しては何も言わないです
それより人との接し方を学ばせていきたいです
しかし、いくら子供に上記のような人生を歩まないようにするために頑張ってもどうしても非正規雇用にだってなる場合というのはあるので子供が一生懸命頑張って仕方なく
非正規雇用になったのなら何も言わずに応援します
今の職場で非正規雇用から正規雇用になれるように「仕事はうまくいってる?」とか聞いたりします
確かに親としてはちゃんと就職をして欲しいと思いますが、必ずしも人生うまくいくとは限らないと思いますので
ちなみに子供には正規雇用だから偉いとか非正規雇用だから劣っているとかそういう偏見を持たせないようにします