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 因幡の武将、吉岡将監定勝の系譜についてなのですが、

 どなたか戦国時代の歴史に詳しい方がいらっしゃったら教えていただけませんでしょうか。
 1581年、因幡の吉岡将監定勝という武将(あるいはその弟の吉岡右近)が羽柴秀吉の馬印を奪ったというエピソードについて調べていたのですが、いろいろ検索してみると、頼山陽の「日本外史」には、吉岡質休(さだやす?)が馬印を奪った、と書いてあるようです。
 また「陰徳太平記」という書物には、「吉岡入道質休、同嫡子安芸守、二男右近」が羽柴秀吉の諸隊の攻撃を退けた、と記されているようです。
 wikipediaによると吉岡定勝は安芸守とも呼ばれているということなので、するとこの吉岡質休というのは定勝の父であり、対秀吉戦の大将はこの質休だったということになるのでしょうか?
 他のサイトを見ると定勝の父は吉岡春斎入道という名で出て来るので、わけが分からなくなってしまいました。昔の人名は複雑でよく分かりません。どなたかこのあたりの系図に明るい方がいらっしゃいませんでしょうか? よろしくお願いいたします。

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登録日時
2013-08-22 02:33:53
終了日時
2013-08-29 02:35:03
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