何がきっかけであれほどまで、問題になっていた国際化が進み始めたのでしょうか。
参考文献として「首都圏における航空の現状と課題」http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kanko/ksk/01-1.pdfが示すように、首都圏(成田+羽田)のうち、成田の拡張がままならないまま、近隣(韓国、香港、シンガポール)などにハブ空港が次々にできて、日本(東京の)国際的な地位が低下していることがあります。
Wikipediaを出すのは気が引けるのですがhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF羽田の国際化を阻んでいたのは敷地の狭さでした。そして、埋め立てで敷地を広げるには、当初土木技術が追いついていなかったのです。成田開港後にも、結局国内線需要だけでも捌ききれなくなって埋め立て工事が始まるわけですが、それも難航して20年かかり、さらに埋め立てと桟橋を組み合わせた新工法のD滑走路が完成するのが2010年です。つまり、羽田の国際化が急に進んだ理由は、土木技術の進歩だと言えます。
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