「まだしも=まだ」です。「しも」=強調だけの意味ですよ(国語や古文で習いますね?)。
例示のテレサさんの文章でも、その他の夫婦のケースをこれから説明することで「比較」しようとしているのですから、あながち間違いではありません。
ただ、ナショジオのつかってる翻訳文ってクセがあって今になじむ和文じゃないんだよなとは思います。
(ブログ調だと「テレサさんのご夫婦はまだマシな方。他の夫婦をみてみると~」くらいにくだけるのでは。)
ナショジオなどの海外記事の配信では契約上、そのまま逐語訳しないといけないみたい(勝手にわかりやすくしてはいけない)ですが、それでももうすこしどうにかできるはず。everを「まだ」だけですませたって間違いじゃないとおもうんだが。
他方、読み手としても「まだしも」を広い比較じゃなくて「気にくわないものともっと気にくわないものだけを比較する(「どんぐりの背比べ」や「目くそはなくそ」のときだけつかえる)」と思いこんでいるとしたらそれはちょっと本来の語意とちがいます。
日本でも新聞調のお堅い文章ってもう通じなくなって、ネットの煽り文だけが正式な使い方だと思う人がふえるんでしょうね。古い文章の読書量が減っているからだとおもいます。(別に悪いことじゃないかもしれませんが)
追記:
「議員ならまだしも、首相が」の例文では、「議員ならまだ(許せるのだが)、首相が参拝するとは(許せん)」
のカッコの部分(本来のそれぞれの述語部分)が敢えて省略され、かわりに「しも」や「…」をおいて感慨ぶかげに空気で伝えようとするから、誤解がうまれたのだとおもいます。
これは、本来は、筆者は議員を「(首相より)まだ許せる」「まだよい」「まだまし」のように言う文章だったのですが、それを堂々とは言えません。言ってしまうと、立場を超えすぎていて高飛車だからです。
(全部省略せずに書いてしまうとこの評論者は高飛車だ、何様だといわれてしまう。)
「一般人」としてはなかなか言えない言葉なのです。
それで「まだしも…、」と言わずに強調だけでおきかえる形が普及したのですね。
さらに、「1番目はまだしも~~だが二番目は~~ではない」というのは対比の場合の定型文ですから、二番目の「~~」と一番目の「~~」におなじ形容詞が入るのはわかりきっています。ならばどちらかを省略したくなるのが人情。「まだしも」と比較の副詞を強調しておくことで同じ形容詞の繰り返しですよ、とわかりやすくなる一番目が省略されるのがあたりまえになってきています。
そういう事情があるため、まだしもの後ろの熟語が省略された文章は、ググるとすでにたくさんあります。(「まだしもです」でググって一次結果が一千万を超えているようです)。
だから人によっては「まだしも」=「まだマシの婉曲」であるという誤解もすでに定着しつつあるのかもしれません。この質問者さんのような人が増える可能性があります。
たぶん最後までよまれないとおもいますが、長文を読んでくれてありがとうございました。