前の件で。
回答者の拙者、アナタ様を勇気付けてなんかいない!
そんなつまりは微塵もない。
ただ当たり前のことを書いただけです。
勘違いしちゃいけないよ。
世の中の人間(特にオトナ、年配者)は皆こう思ってるのだ。
だけど表に出せないだけ、それは当たり前すぎるから。
誰だって神経がナイーブなアナタ様みたいなほうが絶対的に好きなんです。
社会に出たら、そういうタイプの方が愛されます。
オトナは思っていても言えないことが多いのよ。
だから、たまにはウサ晴らしもしたくなるのさ。
でもね、当たり前のことは、当たり前に思うのがオトナだから、そうじゃないと思ってはいけない。゙
「もともとメンタルが弱い」だって?
なにを、またまた勘違いして。
これが個性でしょ。
人間の歴史はじまって以来、どれだけ天才と言われる人物がメンタル弱かったか。
メンタル弱い人間がどれだけ世間の役に立っているか。
男性美容師
男性看護師
男性介護士
男性保育士
などなど、あれメンタル弱いですか?
立派に男前でしょ。
でも、そのヤカラみたいな神経じゃ勤まらん職業です。
警察官だって、やさしい神経がなければ勤まりません。
そのままでいいのです。
直して変テコリンになったらどうする。
でも、本当に弱いのだろうか。
だったら、し返すような気力はないでしょ。
結構芯が固いですよ、アナタ様。
そしてメンタル弱いとか、そんな事を自分が意識してると相手に悟らせちゃだめだ。
図に乗ってくるぞ。
まあいい気にさせておけば、他で必ず失敗する族(やから)だろうから、面白いけど。
失敗に失敗を重ねれば、そんなヤカラでも、やっと分かるようになるのさ。
でも、それをアナタ様はやったろうって言うの?
疲れるだけよ。
でも、やる?
相手を笑ってやれないのか?
それが進歩だと思うが。
相手にしないのが、スマートな仕返し方法だと思わないか?
相手が一介の教師なら、質問者は教授になってやれ。
って、できないかもな。
だったら、相手より金持ちになってやれ。
って、できないかもな。
だったら、相手より美人の嫁さん貰ってやれ。
できそう?
そうよ、差つけてやれ。
まずは仲間を見つけることでしょう。
同じ思いをさせられた奴を。
仲間で「噂」立てる行動だけでも、相手は非常に傷付きますから。
でもね、結構こういう場合もある。
そのヤカラ自体が他で傷ついたのを質問者でうさ晴らししてるとか。
社会に出ると、同じような経験した仲間同士で仕事がはかどるとか、楽しい思いすることも多いでしょうに。
忘れられるくらいになってください。
それが一番です!
絶対にヤカラらを、どこかで懲らしめられねばならないが、それをアナタ様がご丁寧にしてやるのですか?
やめときなさいよ。
警察がしてくれるって、そのうちに。
それを待ったほうがいいよ。
警察にひっかからなくても、なんかで絶対に引っかかるからさ、そういう奴らは。
「でもしか先生」という昔からの造語を知ってますか。
先生に「でも」なろうか、先生に「しか」なれない。
こういう層がいるのです。
大学出たって、その程度の大多数の人間たち。
相手はそういう人ですね。
全然気にしてませんよ。
それでも相手にしますか?
アナタ様が今回決心して働きかけたって、気にもかけません。
教師は飯の種なだけだから。
倫理じゃないのです。
給料が大事なだけ・・・。
裁判にはそぐわない内容だとアナタ様も認識してるじゃないですか。
ならば、せいぜい教育委員会に噂を流してやるのが・・・。
でも、こういう人物は気にしないだろうと。
最初から気にするような人なら、そういうことはしませんよ。
人間の顔した人間じゃない神経のヤカラなんですよ。
そして言うことが、「まだ、そんなに気にしてるの?」なんて平気でぬかすと思う。
もし本気でやっつける気なら・・・。
助っ人は大勢現れるでしょう。
鬼に金棒なんだから。
心配するな。
最後に・・・、災害で家が流されたら、まず大事なのはなんですか。
そういう事を考えて下さい。
今、大事なのは就職すること。
親を安心させること。
経済的自立すること。
自分の好きなことに没頭すること。
他にしなければならないことがたくさんあるじゃないですか。
おバカなヤカラに構ってられるか。
構ってたら潰されるってのも真実です。
前回の質問で最後の方へのコメントの内容が、非常に文学的だと思いました。
それで、時間才能お金など度外視して考えたわたしの方法は、これをネタに小説を書きまくって作家への道を目指すことです。
そこそこ作家の知名度がつけば世間への影響力はかなり大きくなります。
その知名度を利用することで当該教師への対応をいろいろ思いつくことができるのではないでしょうか?
一般的に考えられる、どこかへ訴えるとか、そういう方法文面を拝見する限りでは、作家になるのと同じくらいの難易度のようにわたしには思えるのです。
(あきらめろ、という話ではありません。そのエネルギーをどこに向けると一番実を結びやすいか、という点にこだわって考えたわたしなりの回答です)
自分に文才があるとはとても思いませんが、純粋に何かで認められたいという気持ちは多分人一倍強いです。
しかしその海原に乗り出すだけの勇気もありませんし、エネルギーも多分今は無いです。
本当に教師が動いてさえくれれば些細な問題なんです、私自身それが本当に出来たら正直180度性格も生活も変わると思います。
ふざけた解答だとは思っておりませんので安心して下さい。
ただ、ずるずるとやってきたけれど、いい加減ケリをつけたいのです。
ブログとか発信していないのですか?
犯罪的な話題は載せられませんけれども、最後の方へのコメントのようなことをブログに書いて、自分の考えを整理していくうちに、対応策が見えてくるかもしれません。
一番心から信じている(無意識に真実だと思いこんでいる、真に受けている)のは
質問者さん自身ですよね。
他の人は真偽を考える以前に、全く無関心だとおもいます。
質問者さんには深く刺さったため、「アレは真実だ」とすごく深く思いこんで、
「死んででもうちけしたい」とまで心に負担になるのであって、
親など親しい人に尋ねればそうではないと必ずいってくれたはずです。
たとえば「冷蔵庫に象を入れた」という文章が色紙にかかれていたとします。
それは書いた人にとっては一応真実でしょう。
なぜなら死んだ象を切り刻んだ一部だけでも入れたことがあれば、
その文章は「真実」としてなりたつのですから。
書いた人は「俺は冷蔵庫に象の肉を入れたと書いたのだから真実だ」というかもしれませんが、
色紙はそこまで読みとれるようには書かれていません。
象の側にしてみれば、生きているうちに冷蔵庫に入った記憶などないのに、死んでいるので釈明権がありません。
一面的な真実をたまたま色紙に印されたとしても、
他の人からみれば一見して意味のわからない、価値のないものです。
「象? 冷蔵庫? どうでもいいよ」
その一行が表すことは常識でも、人を励ますものでも貶すものでもありません。
文脈から切り離されて省略されまくっているのですし、事実でもないかもしれません。
今回も一番大事なこと「スポーツが好きで毎日がんばっていたあなた」を書き落としています。
でもそもそも色紙ってそういうものです。一枚の紙で人生やら人格などあらわせません。
色紙一枚程度であなたのその日までの人生の全てを表すことはできない
と親ごさんや一緒に青春をすごした人ならよく知っています。
質問者さんのように「色紙で人生を否定された」「色紙で人格を否定された」と感じるのは
苦労性すぎるとおもいます。
今まで質問者さんの周りに、
そういってくれる人がいなかったのでしょうか。
だとすれば不幸なことだとおもいますが、
これ以上思いこみで不幸を深めることのないように祈ります。