個人的には、どんな場合でも暴力は使うべきじゃないと思っていますが
どうなんでしょうか?
(いきなりナイフ持ったやつが襲ってきたとかの場合は別ですよ、まあ、それでも専守防衛だと思いますが・・・)
↓私はこういうの否定派です
・言う事聞かない我が子には暴力ふるっても良い
・自衛隊やレスキューや消防隊員、警察官などの他人の生命を救けたり守ったりする職業であれば、自分がミスした時に先輩から殴られるのはしょうがない
・先生に愛があれば、学校の先生からの愛の暴力はしょうがない
暴力はダメですね。
物理的な暴力も、言葉の暴力もダメですね。無いに越した事はありません。
「保護者や指導者の『愛のある暴力』はどうか」と言われると、
ちょっと悩みますが、やっぱりこれも無い方が良いですね。
保護者や指導者は、要するに面倒だから暴力に頼るんです。
暴力に頼らず指導を完遂する保護者や指導者は本当に素晴らしいです。
でもそれは非常に苦労する事だと思いますよ。
私事ですが、自分もギリギリ体罰容認世代だったので、先生に殴られて育ちました。
両親も家庭訪問の席で先生に「どうぞ殴り飛ばしてくださいな」とお願いしていました。
殴る時も「殴るぞ!歯を食いしばれ!」と本人に言い聞かせて殴っていました。
殴られたら悔しいのは当然ですが、後にも先にも先生が憎いとは思いません。
暴力というのは、善悪は別にして、人間としての「必須教養」です。
無い方がベターではありますが、必ず存在する。
受ける方もふるう方も、いつの世でも必ず存在します。
軍や戦争が存在するように、見て見ぬフリをして無いと思いこむのは危険です。
日本人の悪い所なんですが、そんなものは無いと思いこみたがる。
そして対処できない。
平和な世の中がずっと続くと思いこむのと同じように、暴力を否定すれば無くなると思いこむのです。
実際にはそんなことはない。
物理的なものだけでなく、陰険なイジメや言葉の暴力など、必ず存在して対処する必要があります。
具体的には暴力を止めるには暴力が必要でしょう。
例えば、子供の躾と一言で言いますが、躾のされていない子供は暴力を平気でふるいます。
痛みを覚えてはじめて暴力を理解できる。
アダルトチルドレンも多い時代です。
場合によっては必要でしょう。
ただし、体育会系の暴力の連鎖はマイナスだと思います。
格闘技のクラブや名門野球部などで、その手の暴力をふるう指導者が権力を握る構図がありますが、そういうのは社会的に排除するべき対象だと思います。
上が暴力をふるえば下が真似するからです。
個人的な争いではなく、ヒエラルキーの構造を維持するための手段としての暴力になってしまいますから。
暴力に愛は、必ずしも、必要ではありません。
結果や効果が全てで、あなたが被害僅少で何かを学ぶことができていれば、それで良い。
愛の教えは世界中で殺人の大義名分に使われています。
愛ほど人間に被害をもたらしている感情はありません。
なぜなら愛は宗教の一部だからです。