誰にでも優しすぎる人間は理想ばっかり高く現実を見れない悪人そのものだと思います。まさにそれが自分自身なんですが、いい加減疲れたのでそろそろやめたいです。本来は短気な性格です。周りに合わせるのはもう疲れて、めまいがしています。どうすればいいですか?
あなたが善人であろうと悪人であろうと、誰も気にしないので、好きに生きればいいです。周りに合わせることをやめればどんないいことがあるのか、そして何を失うのかをじっくり考えて決めればいいと思います。
結局私は臆病なのでしょう。好きに生きればいいという言葉に少し救われました。ありがとうございます。
本来は短気というのは、怒りや憎しみを押し殺している状態なだけかも。ムカつく人がいたら、ぶん殴って毒づいてやればいい。ただし心のなかで。まずは自分の中の素直な感情を認めることから始めてみては?悲しいとかうれしいとか悔しいとか楽しいとか、口に出して言ってみる。あとは、それを人にうまく伝えられるところまできたらいいのかなと思います。
おっしゃる通りです。特に笑い方が下品な人間とかは嫌いですね。あからさまに見下されてる感があるからです。人に伝えるのが苦手なのは、訓練で治療するしかないですね。頑張ります。ありがとうございました。
バランスの問題です。両極端に走るからおかしな事になります。ある程度博愛主義、ある程度利己主義、偏らないのがベストです。
やはりそうですよね。あまり欲を出し過ぎないように頑張ります。
思いを掛ける相手を、自分に必要で大切と思える人限定になさるといかがでしょうか。範囲が狭くなるだけでも随分違ってきますし、いやな人にかかわったり時間をかけると大切な時間が無駄になってしまいますから、線引きするだけでも違うと思います。人に掛ける想いや時間等に余裕が出てくると、その分気も長くなると思います。
ただ、そういう愚痴はだれしもいつでもどんな人に対してでも必ず思うものです。
だれでも親や自分自身以上に他人が優しいわけがないことはわかっていますがそれでも「あの人は口先だけだわ」って言いたくなることがあるんです。
でもそれを本人の前でいうようなことは自分の感覚からすればあり得ません。
ということは、理想主義だったなと思うような事件があったのかもしれません。
若いうちは自分を客観視しにくいのですが、「どこが」一番無理なのかをよく考えて
(たとえば、Aさんにだけはもう優しくできない。以前やさしさのつもりで言ったことが逆恨みされたから)、
そこからゆっくりと地金を出すようにしていったほうがよいとおもいます。
よいチャンスとおもって自分自身を見つめなおしてください。あなたは神様ではありません。