> 現代の数学は、集合論はzfc体系を基にして考えていると聞きました。それはつまり、解析学や幾何学、代数学などもその上で定義しているということですか。ZFCで正当化しようと思えばできるはずですが、普通は表には出しません。> また、それは、集合を集合とは何かという定義をせずに、集合を無定義概念として考えるということですか。公理的な扱いとしては無定義述語です。
というか自分の主観ですが、大学の教材などで書かれている集合の定義も、ものの集まりと書いているのみでいまいち定義しているという気がしませんし、べき集合などを集合と考えるのもzfcの公理があるからなのかなと思います
公理的な扱いとしては「公理を満たすもの」です。べき集合は公理そのものとしていますが。
べき集合や、内包的記法のある集合の部分集合などは、それが集合であると言い切っているのは、普通の数学においてもべき集合の公理や、分出公理を仮定してのものなのでしょうか?。
こちらと同じ方でしょうか。http://q.hatena.ne.jp/1548668543こちらで分出公理を普通の数学の実態に合わせて説明しました。
まあ、べき集合は公理にしないと大したことはやれないでしょうね。他は色々な言い換えがあったりしますが。
はい、同一人物です。何度もすみません。べき集合を集合と見なすことが出来るのか、それともzfcの公理からなるものなのか、本では、これらは集合であると書いているのですが、どうも自分は、納得できていません。それに、結局集合論では、集合を特に定義せずに、集合というものの存在を仮定すると、こういったことが出来るよとういう学問なのかと思うようになりました。また、自分の読んでいる斉藤毅さんの集合と位相では、集合の定義は、形式的な論理における無定義概念なので定義しないと書かれていました。
集合論に替わるものをネット上で提唱した人はいますが、べき集合に相当するものが認められないので、一々公理を付け加えなければ普通の数学がやれません。特に測度論をどうやって展開するのか疑問です。
上と行き違い
> べき集合を集合と見なすことが出来るのか、それともzfcの公理からなるものなのか、本では、これらは集合であると書いているのですが、どうも自分は、納得できていません。普通の数学では、集合について公理的な扱いはしません。ちょうど、中学校の幾何学で三角形の合同条件を証明さるべきことなのか公理なのか明確にしていないようなものです。普通の数学では、べき集合は公理と断らなくても認めるものです。> それに、結局集合論では、集合を特に定義せずに、集合というものの存在を仮定すると、こういったことが出来るよとういう学問なのかと思うようになりました。中学校の幾何学では、線分は「2点を結ぶ最も短い線」、直線は「線分を両側に延長したもの」のような定義をしますが、最も短いと言うには長さを定義は何かということになってしまいます。ですから、ヒルベルトの立場では直線の定義はせずに「公理系を満たすもの」です。集合にしても公理的な扱いとしては公理系を満たすものであって定義はしません。
ということは、普通の数学をやるうえでは、集合も図形などでの「点」と同じような感じで考えるのが、正しいのでしょうか
まあ、「点」はむしろ集合の元(要素)で「図形」が集合と思った方がいいでしょうけど、普通の数学では集合の集合は集合族と呼んで区別するのが普通ですが、公理的集合論ではそういった区別はしません。
なんというか集合の定義は、「各対象が入るか入らないかが、はっきりと定まるもののみ集合とする」と書いているのに、結局ものの集まりだったら何でもかんでも集合にしている気がして、そういったことはちゃんと考えているのだろうかというのが気になってこんな質問をしてしまいました。
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