正当防衛なら人を殺しても良いのでしょうか。殺されても殺してはいけないのでしょうか。また、どこまでが正当防衛なのかを簡潔にお願いします。

倫理に基づくご回答は、その倫理の正当性も教えてください。法律に基づくご回答はその法律の解説もお願いします。尚、宗教・感情を理由にしたご回答はご遠慮ください・
ちなみに、この質問に触発されて質問しています。「なぜ人を殺してはいけないのか」
http://www.hatena.ne.jp/1124114353

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回答(16件)

id:nissa0916 No.1

nissa0916回答回数21ベストアンサー獲得回数02006/02/14 06:46:53

ポイント18pt

ダミー。


【?正当防衛なら人を殺してもよいか】

別に正当防衛じゃなくても殺してもいいですよ。ただし誰かを殺すということは、誰かに殺される可能性もあるということを認めなければなりません。

そして、社会は誰かを殺す人間を殺そうという方向あるいは拘束して無力化する方向に動きます。

だから”殺してはいけない”ではなくて”殺さないほうが得ですよ”というのが正確なところだと思います。


【?どこまでが正当防衛か】

該当する裁判の裁判官が「ここまで」と思ったところまで、です。

正当防衛というのがそもそも人間が作った概念なので、正当防衛か否かは人が作った法の基準に合致するかどうかが問題となります。

その法は刑法第36条


(正当防衛)

第三十六条  急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。


とありますが、侵害が緊迫だったか不正だったか、行為がやむを得なかったかどうかを判断するのは裁判官、ということになります。

id:ryuryusese

殺さない方が得なのに、どうして人は人を殺してしまうのでしょう。勉強不足だからなのでしょうか。

裁判官は我々国民の総意に基づいて正当防衛かどうかを判断しているということでしょうか。具体例など教えていただきたいですね。

2006/02/14 21:35:00
id:TomCat No.2

TomCat回答回数5402ベストアンサー獲得回数2152006/02/14 07:15:21

ポイント218pt

-------

刑法第36条


急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、

やむを得ずにした行為は、罰しない。


2 防衛の程度を超えた行為は、情状により、

その刑を減軽し、又は免除することができる。

-------


上記URLによると、正当防衛が認められるのは、


> ①急迫不正の侵害に対して、

> ②自己又は他人の権利を防衛するために、

> ③やむを得ず行為をしたときに、

> ④防衛の程度を越えていないこと、


これらの全ての要件を充たされた場合に限られる、とあります。


「急迫不正の侵害」とは、突然の不正な行為による侵害、

ということですから、ご質問のようなシチュエーションの場合、

まず、今まさに殺されかかっている、といった状況でないかぎり、

相手に致命傷を与えてしまうような行為は

過剰防衛とみなされることになるでしょう。


また、「防衛の限度を越えない」とは、

少なくともひとつには、相手の行為と同等以下の行為であること、

そして緊急の危険を回避する上で必要最小限の

相手に与える被害にとどめる配慮がなされていること。

この二点が求められることになると思われます。


したがって、今まさに生命の危険があると判断される状況下においても、

ほぼ警察官が拳銃を用いる時と同じような配慮。


たとえば威嚇で済むなら威嚇にとどめる。

どうしても相手を傷つけなければ事態が打開できないとしても、

頭部や急所、損なわれると修復不能な

眼球などに損傷を与えることは極力避け、

致命傷を負わせないように配慮する。

どうしてもそれすらも配慮できない状況であっても、

防衛の後はすみやかな通報や手当てなどに努力する・・・・。

などのことが求められてくるかと思われます。


これらの配慮を怠って相手を死に至らしめるようなことがあれば、

おそらくそれは「正当防衛」ではなく、

「過剰防衛」とされてしまう事になるでしょう。


ただ、実情としてどうしてもやむを得なかった、

結果として過剰な行為を行ってしまったが、

身を守るために仕方がなかった、という場合などを想定して、

刑法では第36条2項において、過剰防衛であっても

情状によっては刑を減軽し、又は免除する、

と定めているわけです。


正当防衛として最初から罪に問われないというのと、

過剰防衛として罪にはなるが刑を免除される、

というのは異なります。


したがって、ご質問の答えとして話をまとめるならば、

正当防衛としての殺人はおそらく認められがたい。

つまり、正当防衛であっても人を殺してはならない。

ただ、過剰防衛として結果的に相手を死に至らしめてしまった場合でも、

罪を免除されることはある、ということになるかと思われます。


蛇足になりますが、もしそうした危機に見舞われる

という危機感を持つならば、万一の事態に備えて、

武道や格闘技の経験を積んでおくことは役立ちます。

相手の動きやこれからの展開が読めるならば、

必要最小限の行動で身を守ることが可能になるからです。


また、相手の受ける痛みが予想できる体験をしていれば、

それも必要最小限の衝撃で事態を打開できることにつながります。


そして、ダメージを与えると取り返しの付かなくなる場所も

知っておくことが大切です。


結局、どのような危機が襲ってきたとしても、

相手が人間である限り、銃を持つ警察官のように、

また競技に挑む格闘家のように、

相手の命と身体への十全な配慮をもって防衛に努めるべきであり、

殺害してしまうような結果をもたらす行為は

避けることが原則だ、と言えると思います。


その配慮ができなかった時は、いったんは罪に問われることを

覚悟しなければならないでしょう。

その後に刑が免除されるかどうかは、情状しだいです。

id:ryuryusese

大変すばらしいご回答ありがとうございます。

警察官を例に挙げてくださって大変参考になりました。正当防衛であっても人を殺してはならない、であるから警察官というお仕事は大変なのだと感じ入りました。

参考までにこういう記事を拾ってみました。

http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2001/sha20011203.html

http://response.jp/issue/2004/0804/article62703_1.html

2006/02/14 21:46:12
id:baggins No.3

baggins回答回数144ベストアンサー獲得回数32006/02/14 09:35:08

ポイント68pt

http://www.kcm.jp/topics/bouei.htm

正当防衛・緊急避難

法律的には、「とっさの場合には、法の保護が間に合わない恐れがあるので限られた条件のもとでは、殺人であっても自力で不正な侵害を排除することが許され」ます。

正当防衛が成立する条件は、

・不正、不法な侵害がある時であること

・急迫である事

・必要な限度を越えない事

です。これが成立していないと殺人や傷害致死等に問われます。


私の倫理観からすれば、どんなときでも私が望めば人を殺しても構いません。私の倫理は

「私が人を殺すのは良いが、他人が私とその周りの人を殺すのは悪い(私は殺されたくない)」というものだからです。

ただし人を殺した場合逮捕されるリスクが大きいですし、法律的に正当防衛に該当する場合でものちのち良心の呵責に苦しみそうなので、よほどのことがないと私は人は殺さないと思います。

id:ryuryusese

殺人事件は、通り魔のような見知らぬ者が被害になるよりも、顔見知りの犯行が多いというのを聞いたことがあります。bagginsさんの周りの人がbagginsさんやその周りの人を殺すのはどうでしょうか。

それと、申し訳ないことに私は「良心の呵責」というのを経験したことが無いのでお気持ちがなんとなくしか理解できませんでした。ごめんなさい。

2006/02/14 21:54:44
id:adlib No.4

adlib回答回数1984ベストアンサー獲得回数1232006/02/14 09:39:04

ポイント18pt

 

── Stewart,James《ある殺人 1959 America》

 

 いきなり「なぜ人を殺してはいけないのか」と問うより、満員電車で

「なぜ人の足を踏んではいけないのか」と考えてみませんか。

「踏まねばならぬ」「殺さねばならぬ」理由があるでしょうか。

 

 満員電車で足を踏まれても、傘の先で突きかえしてはいけません。

 しかし傘を振りかざして襲われ「殺されると思った」場合にかぎり、

傘を奪いとって、突き殺しても正当防衛となる可能性があります。

 

 満員電車で侮辱されても、殴りつけると傷害罪の現行犯になります。

 西部劇のようにパンチを食らわせた方が、しょっぴかれるのです。

 侮辱の内容については、あらためて民事裁判に訴えねばなりません。

 

 ryuryusese さんは「悪いから罰せられるのだ」という論趣ですが、

法律の運用は「ルール違反だから罰する」のです。

 原則として、口論は民事、傷害は刑事と分かれるのです。

 

 耳もとをかすめるビーンボールを、あやうくかわした打者が、投手に

殴りかかったら、暴行未遂の現行犯ですね。しかし誰もパトカーを呼ん

だりしないのは、野球試合のルールや審判を尊重するからです。

 

 ボールを頭に受ければ、過失傷害致傷容疑で取調べの対象になります。

 近年は、危険球と判定したら即刻退場を命じ、それ以上に発展しない

よう配慮されます。いわば“問答無用”の処置なのです。

 

 はじめに「宗教を理由にしたご回答はご遠慮ください」とありますが、

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の(殺人に対する)律法のちがいを

共有していないと、世間話のような感情論に終わりかねませんね。

id:ryuryusese

adlibさまは人の足を踏みたくなったら踏まないのでしょうか。理由は好奇心や出来心、憎しみや冗談など、数多くあると思います。

私もルール違反だから罰せられるのだと考えているのですが、ではそのルールはどうやって決定された、されるのか、なぜそうなったのか、そこを知りたいと思っています。

宗教を理由にした云々ですが、感情論にならぬよう気をつけます。ご忠告ありがとうございました。

2006/02/14 22:01:33
id:power1 No.5

power1回答回数410ベストアンサー獲得回数12006/02/14 09:50:41

ポイント58pt

人を殺してもそれ以外の方法がなければ正当防衛になる可能性はあるでしょう。

ただし、現実問題として、そのようなことがおきうるかといえば疑問です。いくら本人が侵害が差し迫ったものと主張しても、また、自己または他人の権利を防衛するためには殺すしかなかったと主張しても、殺さなくとも回避できる方法があると考えられることが多いでしょう。自分が殺されそうになったからといっても、相手に致命傷を負わす必要はないでしょうし、もしそうなったとしてもすぐ救急措置をとって何とかするような行動をとり、それ以外の方法がどうしてもありえないような状況など、まずないでしょう。

過失の減刑はあるでしょうが、殺してしまってまったく無実となるには現実問題としていたって特殊であり、ないと考えたほうがいいでしょう。基本的には過剰防衛だと思います。

id:ryuryusese

前のご回答者でも同様のご意見がありますけど、この考え方が今のところ一番納得出来るご回答です。どうもありがとうございます。

ただ、あくまで推測なのですが、実際その状況に陥った場合、過剰防衛であるにしろ私は生命の危機から回避するため、殺せるのならば殺してしまうと思うのです。しかも、本当にいけないことなのか、罪なのか、今の法律のルールに疑問を持ち、抵抗するのではと思っています。

2006/02/14 22:06:15
id:yoppy79 No.6

yoppy79回答回数391ベストアンサー獲得回数32006/02/14 11:19:04

ポイント68pt

法律の観点から言えば人を殺してしまったとしても正当防衛は認められることがあります。

正当防衛という物は単純な考えで言うと「やられたことと同等のことを仕返した」と言うことになります。やったことと仕返したことの差が著しいと法律で常に存在する反対の法、この場合では「過剰防衛」が適用されることとなってしまいます。

結論を言えば他人が見て明らかに殺されるような場面であれば殺しても正当防衛って事です。誰の助けも得られないような場面で日本刀をもって斬りつけられたのでもみ合ってる内にその刀で相手を殺してしまった。というのは正当防衛でしょう。

また、余りあり得ないような場面ではなくあり得そうな場面を例にしてみます。

・女性Xは駅のホームで帰りの電車を待っていた。そこへ酔っ払いの男性Yがやってきて、Xに執拗にまとわりついた。周囲の人々は笑いながらこれを眺めるばかりでXを助けようとはしなかった。YはXを「馬鹿女」とののしり、胸から首筋のあたりにつかみかかられる状態となった。そこでXは「あんたなんか死んでしまえばいい!」と言ってYの身体を両手でついた。するとAは酔っていたこともあってふらふらとよろめき、ホームから転落した。そこへ運悪く電車がやってきたため、Yは電車とホームに挟まれて死亡した。

この場合は結果として差が著しいですがXが周囲からの助けも期待できない状況のもと、Yからの攻撃に対してこれを突き飛ばすという行為は相当なものであって、たまたまY死亡という重大な結果が生じたとしても正当防衛は否定されないと考えるのが主流である。


最後のこの質問の私なりの答えです。

正当防衛であれば人は死んでしまってもかまわないと思います。ただ、私は殺してしまっても良いとは思いません。結果として、死んでしまったと言うことです。ただの偽善者かもしれないですが・・・

id:ryuryusese

この例は本当に正当防衛ですか?そういう判例があるということでしょうか。

Yさん?Aさん?に殺意があるようにはXの目からみてもないような気がするのですけど…。

2006/02/14 22:09:22
id:mk_o_km No.7

mk_o_km回答回数13ベストアンサー獲得回数02006/02/14 13:10:03

ポイント18pt

※URLダミーです

日本では死刑が認められています。

死刑=感情・血筋・怨恨関係全くない赤の他人(死刑執行人)が他人(罪人)を殺めることになります。

その判断は、やはり赤の他人である裁判官に委ねられています。

死刑執行人の苦悩の大変なものだとは聞きますが、法律で死刑を認めている以上、殺しても良い場合は存在するというのが現状ではないでしょうか。

ただ、同じような事例でも死刑判決が下ったり、無期懲役であったりしますので、判断を下す他人が納得する説得力(証拠提示力)がボーダーラインとなってしまうのかな、と思います。


難しいですね。。。

id:ryuryusese

裁判官は私達で除名できたりするシステムがありますし、裁判官の判断は国民の総意に基づいて為されていますよね。赤の他人といっても、我々一般人の常識で死刑が実施されているのではないでしょうか。

説得力という点は確かにありますね。ありがとうございます。

2006/02/14 22:11:53
id:ictelnet No.8

ictelnet回答回数35ベストアンサー獲得回数02006/02/14 14:32:52

ポイント68pt

http://www.cc.toin.ac.jp/sc/n_yoshida/schrift/ito/magister.html

�����h�q�̑������Ɋւ������l�@�`�����Γ������ւ̔ᔻ�ƓW�J�`

正等防衛は日本の場合は、極めて狭義に設定されています。このページの「四 最二決平成6年6月30日刑集48巻4号21頁」は恐喝にあい、7人の中学生から暴行を受けた高校生が護身用に持っていたナイフで一人を刺し殺した事件ですが、過剰防衛とみなさてれいます。どちらかというと、生命の危機に対する純粋な回避動作のみを正当防衛と認めるようです。米国などとはかなり違う判断になっています。このため、

「二 最一決昭和昭和62年3月26日刑集41巻2号182頁(註2)」の事件では、このページに書いてないのですが私自身この事件を記憶しており、被告は空手使いの米国人だったと思いますが過剰防衛として敗訴しています。米国人からしたら信じられない判決だったでしょう。

もう一歩踏み込んで私見を示せば、日本における正当防衛とは「自己の生命、貞操を守るために行われた行為」であって「人を殺すための行為」ではないのです。つまり、正当防衛なら人を殺してもよいのか、という設問自体が法律的にはありえない、つまり「否」ということになります。

もう少し分かりやすく言うと「自己の生命、貞操を守るためにやむなく相手を排除しようとしたら、結果として死んじゃった」であって、中学生の恐喝事件のように「恐喝にあって暴行されているから、殺しても仕方ない」という判断のもと殺害した場合は正当防衛ではない、ということになります。

尚、なぜ人を殺してはいけないのか、という疑問自体が現行法もしくは現行法から派生した一般的な倫理となっています。この倫理の多くは欧米民主主義からもたらされたものであり、極めて近年に成立したものです。(100年前を考えてみれば分かりますよね) つまり、人を殺していいかどうか、というのはすべて法律に帰結するものであり、その法律で人が人を殺す目的で人を殺しても罪に問わない、と規定しているのは「死刑」のみです。精神疾患などによる「無罪」は誤解であり、罪は罪で、罪がないわけではなく、それによる責任能力がないために責任つまり量刑に問えないというだけです。

id:ryuryusese

参考になるページ、ありがとうございます。

「結果として死亡してしまった」これが重要なのですね。しかしながらその中学生がなぜ過剰防衛なのか…。7人に囲まれて暴行されても生命を守る動作が許されないなんて。いや、その暴行が些細なものだったことが明らかだったということなのかな。

2006/02/14 22:20:56
id:sami624 No.9

sami624回答回数5245ベストアンサー獲得回数432006/02/14 21:15:40

ポイント27pt

①法的には違法性阻却事由に該当する場合と解されています。

②正当防衛により相手が死亡した場合は、無罪が成立している判例は実在します。

③よって、行為自体が違法性阻却事由に該当するか否かが、ポイントです。

id:ryuryusese

違法性阻却事由はどこまでが適用されるのでしょうね。

2006/02/14 22:34:04
id:nissa0916 No.10

nissa0916回答回数21ベストアンサー獲得回数02006/02/15 00:01:13

ポイント17pt

1.の回答者です。


【殺さない方が得なのになぜ殺してしまうのか】

理由は3つ考えられます。

a.ご指摘のとおりの勉強不足というか知能不足

…そもそもそのような人間社会の経験知を知らない(勉強不足)

…経験知は踏まえているが殺す瞬間にはその経験知を忘れてしまっている(知能不足)

…狂人(損得勘定が見えない)


b.(物理的・社会的に)殺されるかもしれないリスクを負うデメリットを背負っても誰かを殺す方のメリットが多いと判断した場合

…戦争の際の兵士

…恨みを晴らすなどの強い目的がある

…殺さない場合よりも殺す場合の方がデメリットが少ないと殺す人間が主観的に判断した場合(”これはきっと正当防衛”と考えた場合など)


c.デメリットが存在しないと主観的に判断した場合

…死刑執行人など


【裁判官が国民の総意に基づいた判断をしているか】

いいえ。

国民の総意に基づこうと努力はしているかもしれませんが、判断はあくまで裁判官個人(もしくは裁判官数人の合議)で、主観によって形成されます。

id:ryuryusese

b,cはaに含まれないのでしょうか。b,cの人々は全て勉強不足で知能不足で損得勘定が見えない狂人と考えて差し支え有りますか。

2006/02/15 01:04:40
id:genesys07 No.11

genesys07回答回数41ベストアンサー獲得回数02006/02/15 00:21:19

ポイント17pt

http://www.hatena.ne.jp/1139860102#

人力検索はてな - 正当防衛なら人を殺しても良いのでしょうか。殺されても殺してはいけないのでしょうか。また、どこまでが正当防衛なのかを簡潔にお願いします。 倫理に基づくご回答は、そ..

私は、過剰防衛というものはないと思っています。

自分の身を守るためなら、それは正当防衛だと思います。ただ、その時の対象は相手のみであって、他の人(その場にいた関係者)は含みません。


ゆえに、正当防衛ならば人を殺すのも生き残るひとつの手段だと思います。

しかし、必要ないのに殺すのは反対です。

id:ryuryusese

例えば同僚と出世競争をしていて、相手が先に昇進しそうで自分の将来の邪魔になってきた場合、このサバイバル社会を生き残るために殺してもいい、と?下克上の世の中であった頃は確かに選択肢の一つであったでしょうね。どうもありがとうございます。

2006/02/15 01:09:43
id:Baku7770 No.12

Baku7770回答回数2832ベストアンサー獲得回数1812006/02/15 21:24:56

ポイント67pt

http://www.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/17-3.html

尊属殺重罰規定違憲判決 上告審

>正当防衛なら人を殺しても良いのでしょうか。殺されても殺してはいけないのでしょうか。


 私は状況によっては殺してもいいと考えます。


 URLはここまでの議論を拝見していて思い出した事件です。


 実父に幼い頃から性のはけ口として扱われ、子供までもうけさせられた女性が、その実父を殺害し、その当時刑法に規定されていた尊属殺人が違憲であるとされました。違憲でなければ無期懲役または死刑です。


 人を殺すということは悪いと片づけてしまうのは簡単です。しかし、殺される側に殺されてもしょうがないといった理由がある場合がかなりあります。


 最近だと高利貸しの執拗な取り立てに苦しんだ老夫婦が自殺した事件がありました。もし、そのご夫婦がその高利貸しを殺してしまってもある程度は許されるべきだと考えます。


 私は以下の場合は殺人も許されるべきだと考えています。


 ①本人の生命又は生存権が侵されている状況で

 ②相手を殺す以外に本人の生命又は生存権が守れないと正当に判断される場合

 ②’または他に自身の生命又は生存権を守る手段が無いと思いこまされた場合


 ③殺害の手段があらかじめ殺人を意図して準備されたものでないこと

 ④立場、体力、身分など殺される側が優位にあること


 そうするといくつかの疑問が解決されます。8の回答で見れば、恐喝された高校生が持ち歩いていたナイフはあらかじめ殺傷を意図していたからと言えます。

 また、空手の達人であった米国人の場合は生命あるいは生存権を侵されていると信じるに足る程の行為であったか、殺された側より優位の立場にあっただろうということです。

id:ryuryusese

その「許されるべき」というのは、そういった場合の殺人に罪が無いということでしょうか。

実際この判例でも執行猶予付きの有罪判決ですが、一応現行の法律では罪、なんですよね。

ところで、③と④がある限り正当防衛が発生する状況は限りなく低い、つまりは普通の人は何をやっても殺人は殺人と判断されてしまうと思うのですがどうでしょうか。それにご紹介頂いた判例の被告も、殺害を意図して近くにあった股引のヒモを手に取った(準備した)と思います。

2006/02/15 22:28:03
id:Baku7770 No.13

Baku7770回答回数2832ベストアンサー獲得回数1812006/02/16 16:10:40

ポイント37pt

 #a12で回答した者です。


 コメントに対して回答いたします。


>その「許されるべき」というのは、そういった場合の殺人に罪が無いということでしょうか。

>実際この判例でも執行猶予付きの有罪判決ですが、一応現行の法律では罪、なんですよね。


 その点では仰るとおりですが、実刑に処せられないという意味で、「許される」という言葉を使っています。

 法律の建前上、罪を科さないといけない。しかし、実刑に処していいものか?あの状況では殺すのは当然だ。といった考え方になるでしょう。


>ところで、③と④がある限り正当防衛が発生する状況は限りなく低い、つまりは普通の人は何をやっても殺人は殺人と判断されてしまうと思うのですがどうでしょうか。それにご紹介頂いた判例の被告も、殺害を意図して近くにあった股引のヒモを手に取った(準備した)と思います。


 ここの表現は難しいですね。少なくとも直前に手にしたではありません。


 まず、一番わかりやすいのは、殺すために買っておいた物かという判断ですね。

 その次が殺すためにその場所にあらかじめ運び込んでいたのではないか。


 そういったことです。たまたま手許にあった股引の紐を使ったというのはOKです。


④については他に回避手段が無かったのかを検討できるかという意味です。意外と少ないですよ。

id:ryuryusese

どうもありがとうございます。

うーん、どうでしょう。殺すために買っておいたものなのであれば、なぜ7人が揃って少年を暴行しているときに刺したのでしょうか。報復行為?みせしめ?計画的な殺害行為が正当防衛に当たらないのは理解できるのですけども、警察官の拳銃のように、「護身用」の道具を所持するのが困難になりますね。威嚇・制動目的でナイフを所持するのを規制されるとなると、殺されるしか無いのかもしれません。(まあ、交通事故より確率は低いでしょうが)

あと余談ですが、この尊属殺人事件で被告は正当防衛が翻されて過剰防衛と認定されています。裁判官曰く「誤想防衛であった」。心神耗弱の状態に追い込まれ常に殺されるのではないかいう精神状態であるから情状酌量されたわけですね。(決してたまたま手元にあったヒモを使ったから正当防衛だったわけではないので、閲覧していただいている方はご注意ください)

2006/02/17 00:54:24
id:adlib No.14

adlib回答回数1984ベストアンサー獲得回数1232006/02/17 10:11:12

ポイント17pt

大学祭の模擬裁判劇「スナック『ひまわり』傷害事件」

 

>正当防衛なら人を殺しても良いのでしょうか<

 殺してしまった後の弁護技術として、過剰防衛すれすれの“情状酌量”

なので、殺しても良いわけではありません。

 

>殺されても殺してはいけないのでしょうか<

 殺された者が、他の者を殺すことはできません。

 他の者が代って報復する“仇討”も、わが国では禁じられています。

 

>どこまでが正当防衛なのかを簡潔にお願いします<

 正当防衛を主張して無罪を勝ちとるには、緊急事態に限られます。

 正当防衛を意図した傷害行為は、酌量されません。

 

>倫理に基づくご回答は、その倫理の正当性も教えてください<

 倫理は原因を問うだけで、法律は結果を裁くのです。

 倫理を論じることは可能ですが、法律にまさる効力はありません。

 

>法律に基づくご回答はその法律の解説もお願いします<

 イスラム教国家は《律法》、ユダヤ教国家イスラエルでは《独立宣言》、

キリスト教先進国やわが国では、それぞれの《憲法》にしたがいます。

 

>宗教・感情を理由にしたご回答はご遠慮ください<

 宗教は集団の戒律であり、歴史的にみれば法律の父です。

 感情は世論の母であり、法律は世論の子です。

 

>触発された質問「なぜ人を殺してはいけないのか」<

 あらかじめ質問者の意向が読みとれる設問は、つぎの誤解を生じます。

 質問に同調した回答が、あたかも正論のような印象を与えるのです。

 

 ◆

 

 水戸黄門があらわれて「不届きである」と一喝しただけで、みんなが

平伏するイメージが、いまなお根強く刷りこまれているのでしょう。

 わが国の裁判が、判例を重視するのは、近代法の歴史が浅いからです。

 

 尊属殺人は「父や母を殺したとき、通常の殺人より重い量刑を科す」

という刑法が「新憲法の“平等の原則”に違反している」という論点で、

犯行にいたる動機や理由を酌量したものではありません。

 

 法律や裁判を論じるにあたっては、思いつきの意見を述べるのではなく、

豊富な資料と判例にもとづいて、くわしく語りあう必要があると思います。

 おしまいに、質問者の、格調たかいしめくくりに期待しています。

id:ryuryusese

「殺されても殺してはいけない」という件。当たり前だと思ったのですが、言葉が足りなくてすみません。今まさに殺されることが明白でも殺してはいけないのかということです。

正当防衛の範囲。傷害行為は酌量されないとのことですが、危機を回避する際の制動行為として傷害を与えた場合(例えば警察官が急所以外の場所を狙って発砲するなど)は認められているのではないでしょうか。

倫理の正当性。倫理でのお話もお伺いしたかったですね。法律の実効力は仰るとおり述べるまでもありませんから。

水戸黄門(笑)。わが国の裁判は判例を重視するとのことですが、他国の例も示していただけたら尚良かったと思います。

例の尊属殺人事件。憲法違反云々は原判決の破棄を論じているもので、懲役2年6月や判決執行猶予等は判決理由の「その余の上告趣意について」の16項をご覧いただきたいのですが、通常の殺人による刑罰に情状を酌量したものと思われます。

ところでこの質問が終了した後(格調高くしめくくる必要があるとは思えませんが)、もしご興味がある方が沢山おられるのであれば、掲示板で引き続きお話したいですね。

2006/02/17 23:59:41
id:rxg03350 No.15

rxg03350回答回数3ベストアンサー獲得回数02006/02/19 04:35:55

ポイント17pt

はじめに断らせていただきますと、今回の件に関して法律的にはどうなるのかさっぱりわかりません。

ですので、以下は倫理に基づく…というより、私の個人的な価値観に基づいています。


で、結論から言いますと、私は、正当防衛であれば人を殺しても良いと考えています。

また、正当防衛の範囲とは、相手の存在が自分の命に対する脅威となり、かつ、相手の生命活動を止める以外に自分の命に対する脅威を排除する方法がない場合と考えています。


以下、正当性に関してなんですが…

例えるならば、朝になれば太陽が昇り、そして日が沈むと月が昇るように、生物は自らの命をつなげるために多くの生き物の命をごくごく自然に費やしています。

例えば私自身のことを考えてみると、今日の夕飯だけでも、魚や鶏、米、大豆といった多くの生命を自分の命をつなげるために特別なことは何も考えず普通に消費しています。

つまり、われわれ生物にとって、自分の命をつなげるために他の命を消費することはごくごく自然な、普通のことであり、それ故に正当防衛の殺人もごくごく当たり前な行為なのです。


※URLは見たままダミーです

id:ryuryusese

命という単位での消費の仕方(同属殺しも含む殺害行為)は本人の意思を尊重するということですね。同時に、本人が同属を含む他の生物に消費されることも尊重していらっしゃるのでしょうか。

人間だけが死者に対して埋葬のような行為を行うことからもわかるように、我々は知性により死を理解したときから、殺害行為というものに対して他の生物が連綿と続けてきた摂理とは違う考え方を持つようになっていると私は思うのです。適当に言ってますが、これが倫理の始まりなのかもしれません。ひょっとしたら、魚や鶏、米、大豆といった多くの生命を分けてもらっていることに山や海や自然の神々(みたいなもの)に感謝するようになった(そんな文化から始まった)のも、自らの命の儚さ、相手の命を奪っているという自覚に目覚めたからかもしれません。繰り返しますが適当に言ってます。いろいろ考えさせられるご意見ありがとうございます。

2006/02/19 11:56:33
id:itashin No.16

itashin回答回数24ベストアンサー獲得回数02006/02/20 12:32:56

ポイント87pt

正当防衛の要件については既に回答されているので割愛します。

結論から言うと、正当防衛が成立するなら、その結果相手が死んでも違法性が阻却され、罪にはなりません。


なぜ違法性が阻却されるのかについては議論がありますが、一般的には、不正な相手の法益(法的に守られるべき利益)に対して、自分の法益が優越するからだと言われます。

乱暴に言えば、何も悪くない自分が悪い奴に襲われたなら、逃げずに戦って撃退してもいい、ということです。

これを原則に置くと、大体の範囲が分かります。


正当防衛は、自分の正と相手の不正を比較して前者が優越している範囲で可能ですから、撃退に必要な範囲でのみ認められることになります。逃げる相手を追って攻撃したり、殴りかかってきただけなのに銃を撃つというのは不可です。

昔は「武器対等原則」と言って、素手には素手、ナイフにはナイフというように撃退方法が侵害者と対等でなければならないと言われてきましたが、判例では、手段が危険性の高いものでも、他に手段が無く防衛による侵害が重大でなければ許されますし、逆に手段が相当であればたまたま防衛結果の侵害が重大でも正当防衛が認められます。


また、正が不正に譲歩しないためのものですから、「急迫」というのもある程度緩やかに解することができ、侵害を予期していただけでは急迫性は失われません。判例では、「積極的加害意思」、つまり「攻撃してきたら逆にボコボコにしてやろう」というような意思まであった場合に、正当防衛を否定しています(意思の認定は、自白に加え武器を用意していたなどの客観的事実にもよります)。

それと、挑発するなどして相手の不正侵害を自招したなら、やはり正当防衛は認められません。


以上を踏まえると、相手の撃退に必要な限度でなら、殺人も許されることになります。

正当防衛は、学説・判例でもまだ議論の多いところですから、以上とは異なる見解もたくさんありまが、「やらなきゃやられる」という場合には殺すこともできる、と考えていいでしょう。ただし、「やられる」の部分は、ある程度(自分が「やる」のと同じくらい)重大な侵害でないとダメです。豆腐数丁のために殺した事例では、正当防衛を否定されています。

id:ryuryusese

解説ありがとうございました。大変わかりやすかったです。切迫した事態で悠長に「ああこれでは正当防衛にならない」などと違法性が阻却されるような防衛手段を考えていることは難しいでしょうから、心構えとして刑罰を受けるかもしれないことを覚悟した方がいいですね。

例えば私がその当事者(危機回避のために殺害してしまった人)だとして、正当防衛だったか否かは、それこそその後の自分の人生が大きく左右される事だけに、司法判断で正当防衛を否定されたら最後まで上告するのだろうなあ、と、なんとなく思いました。

そろそろ回答していただく方も少なくなってまいりましたのでこの辺りで質問を終了いたします。

これまでの皆さまのご意見を踏まえ、私なりに得た事をまとめてみます。(それ違うよ!というツッコミは覚悟の上で)

「正当防衛なら人を殺しても良いか」。法律的には明らかに「良くない」ですね。罰せられないだけで違法は違法。ただその違法性が相手の急迫不正に抵抗するためだから阻却されているに過ぎないということになりますか。

また正当防衛の範囲は自身の供述も参考にはされるでしょうが、司法が判断することで、急迫不正の事実を証明しなくてはならないようです。ただ、皆さまに教えていただいた過剰防衛の行為(相手を挑発する。事前に武器を用意する。積極的加害意思、等)を防ぐことは出来るのかな、とそう思いました。

倫理的には「殺されても殺してはいけない」もそうですが、本当のところ人に聞くものでなくて自身が判断することでしたね。倫理面でいろいろご意見頂きましたけど、やはり人それぞれでした。それなりの理由があれば人を殺しても良い(進んで殺害する)とお考えの皆さまとも私が仲良く社会で暮らしていけるのは法のお陰でしょうか。誰もが同じ考え方を持つことは不可能ですし、誰もが少しずつ違う考え方をもっていることを認めなくてはなりませんね。たとえ自分と大きくかけ離れた倫理観を持っていたとしても、相手に自分の倫理観を押し付ける行為は避けたいと思います。

たまにこうして質問などしてみると、自身の倫理観を再確認、再認識、再考する意味で大変勉強になりました。

それでは皆さまどうもありがとうございました。ポイントの配分は私なりに考えさせてもらいます。

2006/02/21 02:10:46

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