・昔は量り売りだった
・昔、フロッピー20枚組みで売っていたときの箱がまだ余っている
・買い物かごによその会社のソフトを入れなくするため
・手にとって、説明を読まれたり、他のソフトと比較されないように、でかく重くしている。
・紙を多くしないとリサイクル率が悪くなるから
デカイ意味なんてないんじゃないでしょうか
ホームページ・ビルダーはバージョン・アップされるのにともない、パッケージも小さくなっていましたw
デカければそれに応じてコストも高まるでしょうし、輸送や保管に余計なスペースを必要とするでしょうから、まったく意味がないということは無いと思いますが。
店頭で目立たせるため
中身の耐衝撃性を高めるため
大きなマニュアルを入れるため
パッケージに書くための文言の量を増やすため
高級感を出すため
店頭のスペースを大きくするためのPCソフト製作会社どうしの談合
6番目を是非掘り下げて、経済小説のひとつでもデッチ上げて頂きたかった。
カジュアルな気持ちで万引きして欲しくないから、という噂でもちきりです。
※ゲームソフトの場合ですと、ひとむかし前までは、あの黒いプラケースの金型を起こすのに 200万円とか普通にかかってしまうので、それ専用のケースをいちいち作っているわけにはいかなかったという事情がありますがこれは別におもしろくも何ともないリアルな話。…でもひょっとしたら PC ソフトの紙箱も、大きさを変えてリデザインするだけの器量がソフトハウスに無いとかそういうようなことだったりして。まさか。
「我が社の挑戦を受けてみよルパン!!」ということですね。細部にこだわって肝心な所を見落とす粋さは素晴らしいと思います。
そもそもは、単に店頭での見栄え、ライバルソフトよりもお得に見える、等でしょう。
有り得なそうな理由・・・
モニタ画面を印刷するとでかい方がわかりやすい。
子連れの客の子供の気を引くため。
子連れの客よりも、変なところで損得勘定が働くおばちゃんの気を引けそうな気がしました。
大きい箱だと威圧感とか、すごい商品が入っていそうな印象を与えるからだと思います。
小さい箱だと、あまり価値がないような印象です。
「驚きの十大機能!!」とか書いてあるとなんかわからなくでも更にすごそうですよね。
こんな感じでしょうか。
昔はCDではなくてフロッピーディスクで販売されていた。
で、当時のフロッピーは7インチであったため、その大きさに合わせて箱を作っていた。
現在もその名残が残っているのです。
なかなか説得力がありますね。その伝統を守る職人のエピソードとかもあるともっと良いですね。
・昔は量り売りだった
・昔、フロッピー20枚組みで売っていたときの箱がまだ余っている
・買い物かごによその会社のソフトを入れなくするため
・手にとって、説明を読まれたり、他のソフトと比較されないように、でかく重くしている。
・紙を多くしないとリサイクル率が悪くなるから
「昔は量り売りだった」にお茶を吹きました。
・あふれんばかりの夢が詰まっているから(それらは開封すると逃げてしまいますが、最後にインストールディスクだけが残ります)
PC ソフトの工場はすなわち夢工場なのですね。
「今年もあの人から最新版のウイルス対策ソフトが届きました」→ウイルスの人呼ばわり
・箱が大きいと、振ったときに音がして中身がちゃんと入っていることを確認しやすいから
・製造工程で手先の不器用な人でも、簡単に箱に中身を入れられるようになっている
企画者のやさしさに涙を禁じえません
確かに最近のPCソフトのパッケージって、中身スカスカですよね…。
他の回答者の方も触れられていますが、配布メディアがフロッピーの時代、ヘルプなどの各種ドキュメントは基本的に書籍で同封されていました。
94年頃、BorlandのCコンパイラを購入した際は300ページ以上の書籍が2冊も付属していて、実際ソフトを買うというよりかは付属の書籍を買っているような感覚でした。
なので高額なソフトでも『買った!』という満足感があったように感じます。Adobeのソフトとかに多少その時代の名残りがあるのかな…。
ちなみに当時Borlandのライセンス規約は、ソフトウェアは書籍と同じ扱いとして定義されていました。つまり貸出が認められていたのですね。
やはり満足感というのは理屈ではないんですね。
買ったときの満足感です。
ソフトウェアというのは無形なものなので、ただ販売するだけじだとダウンロード販売でもCDRで販売しても問題ないわけです。
しかし、高い商品の化粧箱が粗雑だと買ったときにありがたみがありません。それが商品のマイナスイメージにつながります。
例えば、高いソフトの代名詞であるAdobe製品なんかを買ったときには飾っておきたい気分になります。ダウンロード販売があったとしてもあえてパッケージで買いたいもので、買ったという確信というものが大切です。
ずっしりと重量もあると更に満足感が高まりそうですね。
大昔にソフトウェアを商品としてお金がとれるようにしたときの名残です。
そもそもソフトウェアなんていう形の見えないものは、ハードウェアの付属品あるいはサービスとしてあった時代もPC以前のコンピュータ黎明期にはあるわけです。
それをメディア、マニュアル、ライセンスシートその他もろもろを「パッケージ」化して独立した商品にするためには、それ相応のお値打ち感のあるボリュームが必要だったのだろうと思います。
会社で稟議をあげてソフトウェアを購入したら、厚さ総計数十センチにもなるパッケージをキャビネットに並べておきます。役員から「何を買ったんだ?」と聞かれたときには、「ハイこれです」と見せると納得してもらえる、ってストーリー。
人は見た目が90%なのですね。
18禁ゲームに関して言えば・・・
アレが書架を埋めている光景はなかなかクルものがあるのですが、それなりに大きさの揃った箱の並びなので、擬装用のカバー(洋書、特に辞書・専門書系がgood)をかぶせると一転して知的な棚に・・・・
つまり・・・
http://www.rakuten.co.jp/kawachi/363693/443159/
こういうのが並んだ棚ならぱっと見た目は騙され・・・・・
#わかる人にはわかるけど(苦笑
ディスクだとパッと見で中身がわからないからいいですね。レーベル面さえ見せなければ。
既出になってしまいましたが、
ソフト会社にとっては、見栄えがよく、ソフトの特徴を見せることができ、売り上げに結びつくためでしょう。
店舗としては、盗難防止の為に、大きいパッケージは助かります。
ユーザーは、マニュアルが見安かったり、高価なソフトを購入したときは、所持する喜びにつながるのでしょう。
なるほど。
だいたい回答は出尽くしたようなので、そろそろ質問を打ち切りたいと思います。皆様どうもありがとうございました。
「昔は量り売りだった」にお茶を吹きました。