※私の気に入った回答にはこっそりポイント送信もしようかと思っています。
【自由には責任が伴う】というフレーズは別に間違いではない。
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たとえば「○○すべし」と命令され拒否する『自由がなかった』場合、結果について責任を取るのは命令者であって、実行者には『責任はない』。逆に、何ら命令や強制がなく『自由に』おこなった行為の場合、実行者本人に結果についての『責任がある』とするのがルールである。なぜなら彼にはそうしない『自由があった』からだ。
人は、自分が何を引き受けるか自由に選ぶことができる。そして、私はこれこれのことを選んだ…と自覚することが「責任」である。その意味で自由と責任は切り離すことはできない。たとえばケーキ屋で「チーズケーキとチョコケーキとショートケーキ」のどれを選ぶかがあなたの「自由」であったとする。そしてその場合「チーズケーキ」を選んだとすれば、「チーズケーキ」があなたの「責任」というわけだ。『いかなる責任を背負うか』という選択こそが『自由』の中味であり、その意味で『自由は責任を伴う』という言葉は間違っていない……というのはこちらの受け売り。
じゃあなんで「嘘くさく」聞こえるのかというと、これもリンク先にあるのだけれど、この台詞を
「自由に振舞うには、責任を果たすという代償を払わなければならない」
という意味に誤って用いる人が多いから。そして、そういう人はこの台詞で何を言おうとしているかというと、「君がそれをするのは勝手だけど、僕はそれについて責任を負わないからね」と宣言しているというわけです。あるいはそう脅すことによって、こちらの「自由」を制限することを意図している場合もあるでしょう。少し前に流行った「自己責任論」の胡散臭さとこれは同じ構図です。
たとえば上司というのは部下の失敗も含めて責任を負うのが職務なわけですから、別に理想的な上司でなくても部下に対して「思いっきりやれ、責任はオレが取るから」と言うのが当然なわけですが(責任取りきれないようなことを部下がしないように教育することも上司の責任、という意味を含めて)、にもかかわらず往々にして上記のような「自由と責任…」台詞を分別臭く述べることがある。それは実は自分が「上司としての責任を放棄している」か、もしくは「部下を教育するという責任を果たさず単に管理しようとしている」に過ぎない、いずれにせよ自分の責任逃れの言い訳にしか使っていないということですね。
というわけで、言葉としては問題がなく一件正論に見えて、しかも誤って使う人が自分の責任逃れの言い訳に使いやすい……ので「嘘くさく」聞こえるのではないでしょうか。
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【自由には責任が伴う】というフレーズは別に間違いではない。
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たとえば「○○すべし」と命令され拒否する『自由がなかった』場合、結果について責任を取るのは命令者であって、実行者には『責任はない』。逆に、何ら命令や強制がなく『自由に』おこなった行為の場合、実行者本人に結果についての『責任がある』とするのがルールである。なぜなら彼にはそうしない『自由があった』からだ。
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人は、自分が何を引き受けるか自由に選ぶことができる。そして、私はこれこれのことを選んだ…と自覚することが「責任」である。その意味で自由と責任は切り離すことはできない。たとえばケーキ屋で「チーズケーキとチョコケーキとショートケーキ」のどれを選ぶかがあなたの「自由」であったとする。そしてその場合「チーズケーキ」を選んだとすれば、「チーズケーキ」があなたの「責任」というわけだ。『いかなる責任を背負うか』という選択こそが『自由』の中味であり、その意味で『自由は責任を伴う』という言葉は間違っていない……というのはこちらの受け売り。
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じゃあなんで「嘘くさく」聞こえるのかというと、これもリンク先にあるのだけれど、この台詞を
という意味に誤って用いる人が多いから。そして、そういう人はこの台詞で何を言おうとしているかというと、「君がそれをするのは勝手だけど、僕はそれについて責任を負わないからね」と宣言しているというわけです。あるいはそう脅すことによって、こちらの「自由」を制限することを意図している場合もあるでしょう。少し前に流行った「自己責任論」の胡散臭さとこれは同じ構図です。
たとえば上司というのは部下の失敗も含めて責任を負うのが職務なわけですから、別に理想的な上司でなくても部下に対して「思いっきりやれ、責任はオレが取るから」と言うのが当然なわけですが(責任取りきれないようなことを部下がしないように教育することも上司の責任、という意味を含めて)、にもかかわらず往々にして上記のような「自由と責任…」台詞を分別臭く述べることがある。それは実は自分が「上司としての責任を放棄している」か、もしくは「部下を教育するという責任を果たさず単に管理しようとしている」に過ぎない、いずれにせよ自分の責任逃れの言い訳にしか使っていないということですね。
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というわけで、言葉としては問題がなく一件正論に見えて、しかも誤って使う人が自分の責任逃れの言い訳に使いやすい……ので「嘘くさく」聞こえるのではないでしょうか。