いわゆるA級戦犯者合祀問題に関してなんですが、分祀論の中でなぜA級戦犯者の合祀のみが議論で取り上げられているのでしょうか。「人道に対する罪」を犯した(とされている)C級戦犯者が合祀されていることをむしろ問題として取り上げるべきであると思うのですが。
仮にA級戦犯問題が分祀という形で解決したとすると、問題がB級戦犯に移り、そして次はC級といった形でどんどん議論のすり替えが行われていくんでしょうか。
それとも根本的に分祀論者の中ではA級戦犯者だけが問題であり、B級、C級に関しては特に「問題である」という認識はされていないんでしょうか。
意見をお聞かせください。
「 昭和天皇のお考えは全く違うはずです」なんて聞くと、戦前の陸軍・皇道派将校みたいですね。
例えどんな立派な考えであろうと、「陛下の考えは○○である。だから●●でなければいけない」
なんて言動こそ昭和天皇が厭うことではなかったかと思いますし、戦後ではありえません。
特高云々にしても同様ですが。
いずれにせよ、真贋さだかでないメモなどを取り上げる必要を感じません。
自由民主主義と平和主義は正しいです。
それらが意味するものはとても尊いものです。
共産主義・社会主義や軍国主義には 言論の自由がありません。
共産主義・社会主義や軍国主義を望む人は そういう国に行って生活してみることです。
日本人は自分の国家のために戦うときが来たときは戦うのです。
国家のために戦って命を失った人達を祀る場所に直接行って、
感謝の祈りと平和の誓いをおこなうことは大切で自然で尊いことです。
国民の代表である内閣総理大臣は毎日 靖国神社へ行って
感謝の祈りをおこなっても足りないくらいです。
これは日本人一人一人の心の問題です。
中国共産党の影響下にある新聞、マスコミの捏造報道や、
中国共産党の影響下にある言論人、官僚の扇動発言に
翻弄されていては絶対にいけません。
最近の言い方で翻訳すると「昭和天皇は敗戦処理および国家再建、平和国家の建設に大きく貢献された」ということです。メモの真偽はともかく参拝を中止された公人としての意思は明確です。そして絶対平和主義とでも言うべき争いを悪しきものとする態度は現在の日本人に引き継がれています。当時はあのような言い方が一般的でしたし(もう少し敬語が多かった)そのメモが発端となってA級戦犯に議論がなされるようになったのは意味があることなのです。靖国神社の武家の精神を引き継ぐ性格とは、正反対にも見えます。そして形式上は靖国神社は分家扱いなのです。ことの善悪を現在の価値基準で判断せずに歴史の流れを意識してみれば少しは真実に近づけるのではないでしょうか。とりあえず正義など求めるのは間違いです。もちろん平和主義が正しいとは限りません。
「昭和天皇は敗戦処理および国家再建、平和国家の建設に大きく貢献された」
それはわかります。
昭和天皇ご自身は一貫して戦争の回避を望んでいたというのは有名な話です。
昭和20年8月9日に結論が出ない御前会議にて、「無辜の国民をこれ以上苦しめるのは忍びない」として慣例を破って「聖断」を下したのもそうです。
さて、ここは論点を分けてみましょうか。
「争いを避け、和を尊ぶ」という日本の伝統は何も戦後から始まったものではなく、古代から続いてきた日本の精神だと思いますが、戦後の「絶対平和主義」というのは何も昭和天皇の影響というより、「戦争によって散々な目に遭った。多数の犠牲者が出た。もう戦争はこりごり」という国民の思いや、戦前の一切合財を否定し、戦争を絶対悪とする教育など複合して出来上がっているのでは、と思います。
本当は「A級戦犯」と人括りに言うのは良くないのでは?と思います。
確かに三国同盟締結の推進派であった白鳥敏夫元駐伊大使や三国同盟を締結した当時の外務大臣松岡洋右は、天皇としては不快に思われた存在だったようですが、何かと悪名高い東条英機を実は評価・同情されています(『昭和天皇独白録』より)。
また先にkumonoyouniさんが言及されている、東郷茂徳などは、松岡・白鳥とは全く逆の立場ではないでしょうか。
つまり、一口に「A級戦犯」と言っても評価はそれぞれで、中でも松岡・白鳥は逆賊扱いにされていると判断します。
参拝はこの場合、臣下の屋敷などへの行幸と同じ範疇の行為でしょう。
形式上は靖国神社は分家扱いなのです。
とのご意見はすぐにわからなかったのですが、「明治2年に明治天皇が戊辰戦争で命を落とした人たちの霊を祭るために東京招魂社として創立し、明治12年に靖国神社に改名された。」という事実と、靖国神社「合祀基準」においては、後は靖国神社が審査し「天皇に裁可を貰う」となっていることを指しているのかと推測しました。
靖国神社とは国家の為に殉じた人を、戦闘員・非戦闘員の区別無く祀ったものですね。
ただし賊軍とされた西郷隆盛や白虎隊は本殿には祀られていません。
1978(昭和53年)以降、参拝されていないのは、先に述べたように「逆賊」が祀られてしまったことや、1975(昭和50)年8月15日: 三木武夫首相の参拝及び発言によって国内外で政治・外交的な問題に広がってしまい、あえて波紋を広げるのを避ける為なのかと推測しますが、真意については、はっきりしたことはわからないのでこれ以上の言及は避けます。
ただしFireBirdさんが挙げられたURL
http://www.sankei.co.jp/news/060802/morning/seiron.htm
や靖国神社には春秋二度の大祭に勅使が遣わされていることについてはどう思われますか?
http://www.wdic.org/w/CUL/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%...
ことの善悪を現在の価値基準で判断せずに歴史の流れを意識してみれば少しは真実に近づけるのではないでしょうか。
これは大いに賛成です。
難しいことですが、歴史的出来事を論ずるには、当時の状況をよく知ることが重要だと思います。まさに現在の価値基準で判断することが、誤解や偏見を招くと思います。
この発言は 藤尾元文相が参拝を中止した理由を述べた発言の可能性があります。http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid...
http://oiradesu.blog7.fc2.com/blog-entry-1359.html
産経新聞だけが 他社に惑わされることなく 公正な報道をしています。
徳川氏会見メモの可能性について報道しています。
http://www.sankei.co.jp/news/060802/morning/seiron.htm
日経新聞と朝日新聞は歴史を捏造しかねない報道をしています。
あのメモの部分だけを見て検証したという歴史学者がいるようです。
http://www.youtube.com/watch?v=Nx8P_RPJtxc&eurl=http%3A%2F%2...
私は今回の昭和天皇のメモに関しては正直言うと「昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感だって?ふーん」程度にしか思ってませんでしたし、天皇のこのような発言に世論が左右されるべきでは断じてないと思っていますので、メモ自体の真贋についても全く興味がありませんでした。
こと天皇の発言ともなると永田議員のメール問題とは格が違うどころの騒ぎではないので、いくらなんでも日経がそんなに危ない橋を渡るとは思えない、と考えたいところです。
独白の中の松平うんぬんの件からも推察できますが、参拝はこの場合、臣下の屋敷などへの行幸と同じ範疇の行為でしょう。御心に背き戦火を拡大させ国家に損害を与えた臣下を、別の臣が陛下に断り無く勝手に神として祭った。或いは戦勝国に対する遠慮なども有ったかも知れません。戦前の思想教育の復活を意図するように疑われる行為は慎むべきと思われたのではないでしょうか。実際戦前であれば、この投稿をした全員に特高が来るはずです。